第1話 おはよう攻防戦(通常)
空が薄闇からだんだんと明るくなってきた頃、
長く続く廊下を歩きながらランディは準備体操を始めた。
襟元がハイネックの真っ白なシャツ、濃紺のベストに七分丈のズボン。
いかにも高貴な方に仕えている少年従者風の装いである。
視界が遮られないように前髪はピンで留めた。
シャツもズボンの中に入れた。靴の履き心地も違和感はない。
内ポケットに忍ばせた魔法陣紙と魔石はそれぞれ五つも用意している。
身なりを一つ一つじっくり確かめ、大きく深呼吸をする。
――これで準備は完璧。
身体の筋肉もほぐれ、気持ちも落ち着かせたところで、
そびえ立つ豪奢な扉をノックした。
「元帥閣下、おはようございます。お目覚めのお時間です」
しかしランディの呼びかけもむなしく、声の余韻が廊下に響き渡る。
今日こそは起きていて欲しいと、そっと願った希望はあっけなく散った。
「それでは強制執行に入らせていただきます」
ランディはそっとため息をこぼし、持っていた合鍵を差し込んだ。
ガチリと重厚な音が最終通告だ。
ここはアイヴァー・ジグルザンセンの部屋。
数百年前、世界は魔族と呼ばれる者たちの襲撃を受けた。
目的は領土の強奪と人類を隷属化させること。
長い戦いの末に人類は魔族に辛くも勝利、世界には再び平和が訪れた。
アイヴァーは魔導士として、魔族の侵略を食い止めた一人だ。
現在はノーウェリア帝国軍の元帥となっている。
軍の最高階級ではあるが、実質、老齢のため前線に出ることはなく、
有事があった際の助言役といった立ち位置だ。
ノーウェリア帝国民の平均寿命は約八十歳。
しかし彼の齢は千を超えていた。
寿命を全うしてもよい頃合いは過ぎているが、
自身の持つ強大な魔力によって、常人以上に生き永らえている奇跡の人。
そのためか元帥閣下の寝ている時間は異様に長い。
自然に起きているのは稀で、誰かが起こしに来るまで食事も摂らず延々と眠り続けてしまう。
いくら規格外の魔力が生命エネルギーになっているとはいえ、
放置すると餓死や衰弱死する可能性もある。
そのため帝国は彼を起こす人間を必要とした。
そう、ランディは元帥閣下の唯一の生存確認係なのだ。
ランディは元帥閣下の眠るベッドへ近寄った。
誰もが見惚れるほど造形の整った外見。
千を超えているにも関わらず、三十代にも見える若く落ち着きのある顔つき。
滑らかな顔の輪郭の中にまっすぐ通った鼻梁、雪がけぶるような白い睫毛が瞳に被る。
シーツには氷のように澄んだ白銀色の長髪が広がっている。
一見すると中性的だが、寝間着からは角張った手足が見え隠れしているため、よく見ると男だと分かる。
元帥閣下は、すぅという息づかいをしながら大きな枕を抱いている。
唯一無二の最強魔導士でありながら、類いまれない美貌の持ち主。
もはや神と称えられてもおかしくはない。
そんな完璧さの中に潜む子供っぽい寝相につい微笑みたくなる――のは就任初日だけだった。
他人に元帥閣下を起こす仕事をしていると喋ろうものなら、大半は羨ましいと平然と言い放つだろう。
――極めて質の悪い仕事だと知らないのだから。
「元帥閣下、おはようございます」
扉前と同じ言葉を直接かけても、本人はすやすやと鼻息を立てている。
至近距離にもかかわらず、起きる気配は微塵も感じられない。
やや憎たらしくも思うが、そう簡単に目覚めてしまえばおはよう係なぞは要らないのだ。
そのまま眠り続けるのであれば態度や言葉遣いの配慮も不要。
なぜならこの仕事は起こすことが何よりも第一優先。
起こす>>>不敬。
どんな手段を用いても構わない。それは契約にも書かれており責任者も認めている。
だから。
ランディは片足を思いっきり振り上げた。
「早く起きないと痛い目に合い、ます、よっ!!」
躊躇なく元帥のみぞおちに向かう踵落としだったが――
パァンッ――と、乾いた音とともに激しい火花を散らせた。
ランディが放った踵落としは、元帥閣下の身体に触れる直前、突如現れた円陣に受け止められてしまった。
ランディは素早く後退し、体勢を立て直す。
肝心の元帥に顔を向けるが、未だにすぴすぴと幸せそうに寝ている。
まだ夢の中。つまり無意識下で魔法を発動させているのだ。
さすがは圧倒的な強さを誇る魔導士、と賞賛を送る余裕はランディには無い。
元帥閣下の魔法陣は学習機能を持つ生きた兵器だ。
攻撃を仕掛けた=敵だと認識し、元帥閣下の安眠を守るために敵の排除活動に移行する。
これまでの傾向を考えると、次に出る行動は――
「いい加減、素直に起きてくださいよう」
ランディの額から一筋の汗が流れる。
水平だった魔法陣は垂直に立ち、ランディに標準を合わせ始めた。
円の中から小さな光球が現れ、一筋の光弾が放たれる。
それを見計らったランディは、勢いよく地面に魔法陣が描かれた紙を敷き、魔石を叩きつけた。
「防御魔法展開、“シールド”!」
すると紙から盾の模様が描かれた魔法陣が浮び、攻撃を受け止めた。
主を守った紙は役目を終えると燃え散った。
「くっ、一撃をくらっただけで消えるなんて……元帥閣下、こっちは魔力素質無しなんですから手加減してください!」
寝ている相手に訴えかけても、生きた兵器は休む間も与えず、次々に攻撃を仕掛ける。
「あああ、もう!」
今度の光弾は生き物のようにしなり、的確にランディを狙ってきた。
ランディは瞬時に床を蹴って回避すると、平らだった床は半円形のくぼみを作っていた。
すばやく動かなければ致命傷を負っていただろう。
ドカンドカンと爆発音が続く。
未だに攻撃は途切れず、放たれた光弾は続けて部屋に数々の穴を穿つ。
ランディの顔は青ざめた。一方的な攻撃を止める手段はないのか。
「ん……っ、……っ――しぃ」
すると、元帥閣下がのそりと上体を起こした。
小さな呟きを聞き逃さなかったランディの行動は早かった。
「おはようございます! 元帥閣下ー! 朝ですよ! 今日の朝食は中身がとろっとした半熟仕上げのオムレツ! サクサクふわふわで絶妙な焼き加減のパン! 味わい深くひんやりと冷たいスムージー! 庶民では手の届かないごちそうです! 贅沢のフルコースを食べたくはありませんか!? だから起きてください!」
光弾を紙一重で避けながら、うつらうつらと身体を揺らす元帥閣下の説得に入る。
なんとも器用な立ち回りだ。
しかし――元帥閣下はちらっと半眼でランディを見つめたが、
ぷすぅと鼻ちょうちんを作り、再び身体を後ろへと傾ける。
「もあぁあああ!! なんでですかぁぁあああああ!!」
怒りの火事場の馬鹿力よろしく、元帥閣下の魔法陣を裏拳で破壊。
素早く元帥閣下の背中に腕を回し、ベッドの着陸を防ぐ。
「むぅ」
元帥閣下は不満そうに眉根を寄せた。ここまでくると覚醒は間近だ。
「そんな拗ねた顔をしたってわたしには通じませんから。今日こそは食事を摂っていただきますよ」
「目が開けられない」
「では朝食ではなく、先にお風呂にいたしましょう。目がシャキッとしますよ」
「……じゃあ、入れてくれる?」
元帥閣下の身体がランディに向いた。
シュルっと衣擦れの音、服から覗くまっすぐな鎖骨が近づく。
破壊力ある大人の色気が醸し出されており、適齢期の女性であれば身悶えること必至。
しかしランディは淡々と頭を左右に振る。
「脱ぐのはおやめください。それはわたしの仕事ではありません。浴室には連れていけますが、そのあとは別の者を呼びます」
「……なんで? ランディは男の子だし、いいじゃん」
ランディの肩がわずかに跳ねた――が、何事も無かったように振る舞う。
「なりません。わたしの仕事は元帥閣下を起こすのみ。他の者の仕事を取り上げることは出来ません」
「わー真面目ー」
「そんなことはありません。一般論です」
そう答えながらもはたして正しい常識だったかと思考を巡らせる。
掃除係、料理係、洗濯係と使用人にはそれぞれ仕事が振り分けられている。
職場によってはその仕事を奪うと給与面に関わるので避けるべきだと咄嗟に断ったが、
このくらいなら手伝ってもいいかもしれない、と顎に手を当てた。
与えられた仕事だけしかやらない人間は、自分の頭で考えられず責任感がない者と見なされる。
言われたらやる、ではなく、言われなくてもやる必要があるのではないか。
上流階級では主人の湯浴みを使用人が手伝うのは当たり前だ。
だがランディは湯浴みの仕事などしたことは無い。
知識の限りでは着替えを手伝う、髪を洗う、手足を洗う、香油を塗るといった過程があったはずだ。
段取りも分からないのであれば、やはり一度は指導を受けてからでないと顔を上げたところで――
「……ぐぅ」
元帥閣下は再び眠りに就いたようだ。
「のおおおおおおぉぉぉぉーーーー!!!」
今日もランディの叫びが部屋中に響き渡った。
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