夜の散歩と、数時間の青春。
ある日、いつもの公園を散歩していると、同い年くらいの女の子がいた。
服は何故か制服のままで、ぼくがいつも座るベンチに腰かけていた。
変に声をかけるのもなと思いつつ、
狭い公園で他にできることもなく、
引き返そうかどうしようか悩んでいると女の子の方から声をかけてくれた。
その声は夜に散歩している状況に反して、
何処か明るくて落ち着いていた。
「あ、こんばんは。」
「こ、こんばんは。」
「すみません、お邪魔ですよね。
すぐ退きますね。」
「い、いやいや、公共のものですし、
全然大丈夫ですよ。
こちらこそ、なんかお邪魔してすみません。
気にしないでください。」
「いや、でも…」
お互いに譲ろうとして譲らない変でぎこちない会話を数回繰り返すと、
少し不服そうな顔をした彼女は少し考えてから
何かを閃いたような顔でまた口を開いた。
「あ、じゃあブランコ。
ブランコ乗りません?」
「へ?」
反射で変な声が出てしまった。
捉えようによっては失礼ともいえる反応である。
いや、でもこれに関しては彼女が悪い。
急にブランコ乗ろう、なんて言われたらみんなこうなるだろ。
でも、
大発見をしたかのように、
さもそれが普通のことであるかのように、
平然とふたつのブランコへ誘う彼女は少し面白かった。
しかも、
「ふたつありますし、ひとつのベンチに座るより良さそうじゃないですか?」
ぽかんとしているぼくを置いて、さらに彼女は冷静に提案を続けてきた。
もうなんかそう言われたら断ろうにも断れなくて、
むしろ楽しいかもしれないなんて思いながら、
ぼくは初めて会った制服姿の彼女と、隣り合ってブランコに乗った。
錆びた鎖を握って、硬い座面に腰を下ろす。
ふたりで軽くブランコを揺らしながら、意外にも会話は無かった。
きこー
きゅわん
きゅごー
何とも言えない金属の軋む音が狭い公園に響く。
「ブランコなんて久しぶりに乗りました。
なんか楽しいですね。」
「そう、ですね。
この歳でブランコってあんまり乗らないから。」
「ね。
小っちゃい頃は順番待ちまでしてたのに、
今はがら空き。」
「まぁ、小っちゃい子がいる時間には流石に乗れないですからね。
割り込んだら乗れるかもしれないけど。」
「それは大人げなさすぎでしょう。」
「例えばの話ですよ。
本当にはしませんから。
というか、そんなに笑えます?」
「いや、こっちだって勿論本気でやるとは思ってないですよ。
ただなんかそんな冗談言うんだと思って。
つい笑っちゃいました。
でも、本当にやっちゃだめですよ?
小っちゃい子泣いちゃいますからね?」
「だから、冗談だって言ってるじゃないですか。」
「www」
ブランコに乗りながらまたまた沈黙を解いたのは彼女の方だった。
でも、会話はさっきよりも和やかで、
久々に感じた、頭で考えずに話す感覚はとても心地よかった。
ただ、楽しい会話に半ば感動までしかけているぼくの横で、
彼女はまだ笑っていた。
もう笑いすぎて泣いてるじゃん。
ぼくの冗談はそんなに面白いのか。
「楽しいなぁ。
こんな笑ったの久しぶり。
ねぇねぇ、滑り台やんない?
ブランコ乗ったらやりたくなっちゃった。」
「いいですよ。」
彼女は一度きっかけがあると割と早く人との距離を詰めるタイプらしい。
楽しそうに笑顔をみせながらすぐに口調が崩れていった。
でも勿論、お互いに年齢は分からない。
名前も年齢も聞かないのは、
夜に散歩したい人なら共通している感覚なのかもしれない。
ぼくも聞こうとは思わなかったし、
彼女も聞いてくることはなかった。
それは大事なことじゃない気がした。
それからふたりで滑り台を滑った。
はたから見たらなかなかに面白い絵面だったと思う。
普通に滑ってみたり、体育座りで滑ってみたり、
ブランコに戻って立ち漕ぎをしたり。
ひとつのブランコにひとりが座って、
もう一人が立ち漕ぎをするという先生に怒られそうな遊び方も体験した。
勿論、彼女の提案だ。
ぼくは完全にはじめましての遊び方だったが、
彼女の小学校では割とポピュラーなものだったらしい。
最初はぼくが座った。
彼女のなすがままに容赦なく揺らされた。
「立ち漕ぎ交換する?」
何回か漕いだ後に彼女はそう提案してきたが、
丁重に断った。
立ち漕ぎの方が怖くないと言っていたけど、
あれは絶対どっちも怖いやつだ。
まぁ、今後やることはないだろう。
小さな公園でひとしきり遊んで、
休憩するころには、ふたりとも息が上がっていた。
ブランコで休みながら、息を整える時間が流れた。
学生といえど、所詮引きこもりである。
ぼくの体力はかなり頼りない。
「あの、
喉、乾きません?
そこに自販機あったので飲み物買ってこようと思うんですけど。」
丁度公園を出たところに自販機があったのを思い出して、
提案してみた。
自分から声をかけるのは久しぶりのことだった。
「いいね。
私ソーダ飲みたい。」
「ありますかね。」
「あるよ!
多分。」
「まぁブラックコーヒーとかなら絶対あると思いますけど。」
「え、あれ不味くない?
あったとしても絶対買わないし、買う人の心理が分からない。」
「「…あ」」
ブラックが苦手と言ってしまった後悔の「あ」
このひとブラックとか苦手なんだという驚きも含めた「あ」
お互いに別々の「あ」を言ったところで綺麗にハモった。
「ふふっ、
ブラック、嫌いなんですね、
いいと思いますよ。
ふはっ。」
「あ、笑ったな!
どうせ君もゴーヤ苦手でしょ!」
「もう全然関係ないし、
ぼくゴーヤ好きですよ。
あー面白い!」
「もう、早く自販機いくよ!
喉乾いた!」
「はーい。」
気付けば、気兼ねなく笑っている自分がいた。
公園を出て、すぐそこにある自販機に向かう。
自販機は、街灯よりも光って目立っていた。
「お!
三ツ矢サイダーあるじゃん。
やっぱりあるんだよ。」
「公園の傍だから売れるんですよ、きっと。」
「またそういうことをいう。
いいもんね。
サイダーの美味しさに年齢なんて関係ないんだよ。」
「拗ねないでくださいよ。
ぼくはどうしようかな。
あ、じゃあぼくこれにしよ。」
ピッ
ガコン
馴染み深い音を立ててペットボトルが落ちてくる。
「何にしたのー?
っていや、ミルクティーってめっちゃ可愛いの飲むじゃん。」
「美味しいじゃん、ミルクティー。」
「まぁ美味しいけど。」
「早く戻りましょ。喉乾いた。」
「何、きみ急に距離縮めてくるタイプ?」
「置いてきますよー」
「スルーかい。
きみ何かずるいよね。」
後ろで文句を言いながら小走りに追いかけてくる彼女を見ながら、
笑ってくだらない会話をしながら、
素直に幸せだと思った。
ブランコに戻って、ペットボトルを開けた。
プシュッとサイダーのボトルが隣で良い音を立てる。
「やっぱりサイダー美味しいわ。」
「良かったですね。
あ、茶花伝うま。」
「え、紅茶花伝のこと茶花伝って言うの?
初めて聞いたんだけど。」
「だって紅茶花伝って長くないですか?
午後ティーだって略すじゃないですか。」
「いや、まぁそうだけども。」
「あ、そういえば、ソーダとサイダーって呼び方ふたつありますけど、
何か違いあるんですかね。」
「知らなーい。
でも、うまーい。」
緩い返しをしながら彼女はサイダーを呷った。
ぬるい風に乗って爽やかな匂いが鼻にかかる。
「ぷはー」
小さくリアクションする彼女の顔はご機嫌そうだった。
「なんか、サイダーの匂いっていいよね。
青春っていうか、
『人生謳歌してる!』って感じする。」
「わかります。
エモいですよね。」
「瓶ラムネとか大好きだったな。
あんなん絵面から満点だしね。」
「林檎飴とか、瓶ラムネとか、サイダーとか、
あの辺は人生が漫画の世界になる最強アイテムだと思ってます。」
「分かる―。
普通にドレス着るよりもそれっぽく感じるもん。
あー夏祭り行きたいな。
青春したい。」
「放課後の屋上で駄弁りたいですよね。」
「私、全力で体育祭やりたい。」
「居残りして文化祭の準備したい。」
「友達の家で勉強会して教え合うのやりたい。」
「いいよなぁ。」
「ねー。」
それから小さい間があった。
どこか遠くを見て、何かを思い出していた。
まぁでも、
「…割といまも青春してると思いますけどね。」
「確かに!
良いこと言うね。
貴重な青春見落とすとこだったよ。」
「といっても文化祭はしたいですけどね。」
「あ、もしかして照れ隠し~?
意外と可愛いところあるじゃん!」
「照れ隠しじゃないし、意外って失礼ですよ。」
「はいはーい。」
「もう、にやにやしないでくださいよ。」
「いや、ごめんよ。
でも、君がさっき言ってくれたけどさ、
私たち今青春してるよね。
久しぶりにすごい楽しい。」
「ですね。
ひとりで散歩して帰る予定だったので、
思わぬ幸せ拾いました。」
ちょけながらも、お互い本音で会話していた。
少しそれっぽくなっているのは、サイダーのせいだ。
「ねぇ、笑うのって楽しいね」
しんと鎮まった空気を、彼女が小さく響かせた。
「あ、ごめん、雰囲気に流された。」
はっとしてから彼女はそう続けた。
かなりムードを壊しにかかる言葉だった。
でも、
「いや、ぼくもすごく楽しいですよ。」
そう答えてみた。
彼女は少し驚いたようにぼくの方を見てから、
「きみ、ほんとにずるいよな。」
そう呟いてサイダーを飲んだ。
「ぼく、割と真面目で真っ当な方だと思いますけど。」
「そういうひとは自分から言わないから。
というか言った時点で台無し。
それに真面目でもずるいひとはいるんだよ。
例えばきみとかさ。」
「ぼくのこと嫌いですか?」
「いや?
さっきのはただの事実だもん。」
「そういえば話変わるんですけど、炭酸って何が美味しいんですか。」
「ねぇ本当に変わりすぎじゃない?
っていうか、炭酸嫌いなの?
もう突っ込みどころしかないんだけど。」
「ちゃんと話題変わるって言ったじゃないですか。
でも、炭酸は嫌いですね。
冷えて気の抜けたサイダーが好きです。
というか、刺激物が全般苦手です。」
「えー
なに、辛いものとか熱いものとかもだめ?」
「嫌いって言うわけじゃないんですけど、苦手です。
鍋とかも、くたくたになってある程度冷めたやつが好きですし。」
「変な人じゃん。」
「あなたに言われたくないですね。」
「いやいやいや。
私は熱いもんは熱いまんま食べるし、
炭酸はそのまま美味しく飲むよ。」
「いや、多分こんな夜中に公園来てる時点でお互い普通から逸れてます。」
「まぁそれもそうか。」
それからまたしばらく他愛もない雑談をして、お互い家路についた。
偶然会った知らない相手と公園で遊んで、
自販機でジュースを買って、
ブランコに乗りながら雑談をした。
ただ、それだけ。
でも、すごく楽しくて、
幸せで、
少し懐かしかった。
帰り道、いつもの道を歩いて帰った。
道路の真ん中を歩いていると、後ろからトラックが走ってきた。
『轢かれるよ』
心のなかで、姉の声が聞こえてきた。
いつも心配してくれる優しい姉だ。
でも、
「大丈夫。」
ぼくは小さく答えて、右に逸れた。
振り向くと、明るいライトを照らしてトラックが走り抜いていった。