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スチーム   作者: T-rain
1/1

「起」承転結

「ハァッ! クソッ!」


僕は階段を駆け上がり、勢いよく扉を開け放った。

屋上に踊りでる。

”屋根”に遮られて空は見えない。

が、きっと……いや確実に曇天だろう。

年中雨が降り注ぐこの街において、屋上とは屋根裏のことを指す。空を見上げようにも、頭上を板に覆われたこんな街じゃ……。


「屋上だッ!」

「ッ!」


階下から男達の叫び声が響く。

地上13階のこのビルに、出入り口は1階しかない。

しかもその屋上となっては、もはや逃げ場はない。

観念するしかないのか……?


「クソ……こんな……こんなところで!」


ビルの縁まで走る。

落下防止用のフェンスにしがみつくと、その隙間から真下が見えた。

ビルを取り囲むように、野次馬が集まっている。


「ーーーー!!」

「ーーーー!!!」


口々に何かを叫んでいるのは分かるが、何を言っているのかは分からない。

だが、ろくでもないことを言っているのは確かだろう。


「クッソがァ!!」


僕は怒りのままフェンスに八つ当たりした。


「他人事だと思って!!」


お前らみたいなクズどもばかりだからこの世界は良くならないんだ!

俺はこのクソッタレ世界を直してやろうとしたんだぞ?

なのになんでこんな目に遭わなきゃならない!


「居たぞ!」


男達が上がってきた。

銃口をこちらに向けながら近づいてくる。


「もぉぉぉぉぉ……!!」


なんでこんなことになった?

俺が調子に乗ってたからか?

だとしたらごめんなさい。それは俺が悪い。

でも俺の言い分だって聞いてくれ。


「妙なマネはするなよ……!」

「ま、待ってくれよ」


手を上げて無抵抗を示す。

が、男達は次々と現れ、俺を取り囲む。

その中には、かつての親友の姿もあった。


「おとなしくしろ! そうすれば命までは奪わない!」

「待ってくれよ……許してくれよォ……!」

「黙れテロリストが! お前のような異常者、野放しにしておけるか!」

「ちげえよ!! 俺だって普通に生きてればまっとうな人間になってたさ! でも出会っちまったんだ!」

「ああ分かった! もう十分だ!」

「あの男に出会っちまったんだよ!!」

「黙れ! もう良いと言っている!」

「俺だって被害者なんだよッ!! 全部あの男の」


次の瞬間、バァンという大きな破裂音がした。

その次の瞬間には”屋外にしては良く反響する音だな”と思い、その次の瞬間に肩が火を噴いた。


「あああああああ!!!!」


余りの痛みに立っていられず倒れ込んだ。

肩に触れると、手が真っ赤に染まった。

噴き出したのは火ではなく血だった。

皮膚に空いた穴が、燃えるように熱い。


「おい! 誰だ発砲したのは」

「私です」


前に出たのは、懐かしい顔だった。

俺はお前のこと、親友だと思ってたんだがな……。


「コイツの言葉は聞くに堪えません」

「だからといってみだりに発砲するのは……」

「発砲許可は出ているはずです」

「出ているのは発砲の許可だ! 殺害の許可までは下りてない! これで死んだらどうする!?」

「ここでヤツを逃がすような事になる方が問……」

「そうは言っ……」

「……」


何も聞こえない。

段々と意識がぼやける。

畜生……なんだこのクソみたいな人生は……。

どうやら俺の人生は残りわずからしい。

とうとうあきらめた俺は、最期に”彼”と出会ってからの思いでを振り返ることにした。

俺に勘違いさせた”彼”。俺の人生を狂わせた”彼”。

憎くて愛おしい”彼”。

俺が死んだ後、確実に”彼”をのろい殺せるように。









第一章


「何度言ったら分かんだテメェ!!」

「ヒッ!?」


突然の大声に、オフィスは一瞬静まり返った。

が、大声の発生源を確かめると、皆それぞれ納得した顔を見せる。

そして再び、いつもの喧噪に戻っていく。


「あの、何か……?」

「この書類だ!! 何回間違えたら気が済むんだテメェは!?」

「え、ちょっ……どれですか」


しかし僕たちは戻れない。

なにせ僕も、大声上げた上司も、この騒ぎの当事者なのだから。


「これだよ! 分かったか? 理解したな? さっさと直せ!」

「……」

「おい返事ィ!」

「あの、これ間違ってませんけど……」

「あ? テメェ……デタラメ言ってんじゃねえぞ」

「いやいやいや。これ仕様変更になったんでこれであってますよ。なんなら上に確認とりましょうか?」

「……なんで言い切れんだよ」

「昨日会議で言ってましたけど……」

「……ならいい」


上司はコチラに突きつけた紙を回収し、きびすを返した。

マヌケめ。


「……フフ」

「あぁ!?」

「……!」


しまった! つい笑いが……。


「おい何笑ってんだよ?」

「違います」

「じゃあ何なんだよ今の”フフッ”てヤツは? ああ?」

「いや、痰が詰まっただけです……」

「舐めてんな? 上司の俺をな?」

「そんなこ」

「これもやっとけぇ!! 分かったか!」

「……はい」


本来お前がやる仕事だろ、これは……。


それから怒りに震えながらも仕事をこなし、昼になった。

僕は同期のベトルの食事をしにレストランへ出向いていた。


「俺はテンカブツバーガー2個」


ベトルは最新商品のテンカブツバーガーを頼んだ。

彼は新商品に目がない。


「お前は?」

「いい……」

「マジで?」

「ああ」

「んじゃ、以上で」

「はい。テンカブツバーガー2個ですね。少々お待ち下さい」


店員は注文内容を復唱し、店の奥へと消えた。


「ホントに良いのか? 注文しなくて」

「ああ……食欲ないんだ」

「なるほど」


ベトルは頷いて、ベトルは水をあおった。


「まぁ無理もない。今日も絞られてたもんな」

「ああ……。全く、勘弁して欲しいよもう……」

「まあそのうち異動だろ? それまでの辛抱だ。な?」

「ああ……」


そう。あの男は近いうちに異動になる。

左遷ならどれほど良いだろう。

残念ながら栄転だ。


「お前、何か気になることでもあんのか?」

「いや……そういうワケじゃ……」


外からガヤガヤという声が聞こえた。


「なんか騒がしいな」

「あれは……」


外を見ると……30人くらいだろうか。

マスクをつけた連中が列をなして練り歩いていた。

手にはプラカードを抱え、何かわめきながら行進している。


「ああ、反常軌主義者イディオット・マスクスか……」


ベトルはつぶやいた。


反蒸気主義者イデアル・マスクスだろ……」

「なんだ知ってたのか?」

「あ。いや……名前は聞いたことあるってくらいで……。どういう集まりなんだ?」

「名前の通りさ。ヤツら、蒸気使うことを拒否してんだとよ」

「へえ。なんで?」

「さぁ? なんか聞いた話だと、人間は魔術の時代に戻るべきだ~とかなんとか言ってるらしい」

「魔術って……本気なのか?」

「さぁね。俺たちにゃ到底分からん世界さ。特に、俺たちには」

「……言えてるな」


理由は簡単だ。

何を隠そう、俺たちが勤務している企業こそ、蒸気機関の開発・販売を行うメーカーだからだ。

蒸気の恩恵を受けて生活している筆頭。

蒸気のおかげで飯が食えている。


「それに、アイツらだってどこまで本気か分からんしな。アイツらの家に着いて行ったら、きっと家ん中に蒸気製の何かしらがあるぞ。賭けても良い。この世界に蒸気の恩恵を受けてない奴なんているわけがないんだ」

「まあ……そうだな」


ベトルの言葉は言いすぎではない。

今や蒸気機関はどこに行っても目にする。


家電全般はもちろんのこと、機械仕掛け(ギアワークス)の製品にはすべからく導入されている。

それは工業の分野だけにとどまらず、農業の分野まで例外ではない。


蒸気を否定することは、人類の叡智を否定するに等しいのだ。


「戻ろうぜ」

「ああ」


職場に戻ると、駆け寄ってくる人物があった。

この人は確か……ベトルの部下、だったか?


「ベトルさ~ん!」

「おう、どうした?」

「実はちょっと問題が発生してしまいまして……」

「マジか! 案内してくれ!」

「はい! 第三作業場で……」

「ワリぃ、行くな?」

「ああ……」


ベトルはいい加減に見えても、能力のある奴だ。

時々思う。

彼はなぜ、僕のような人間と友人で居るんだろう。

なんの取り柄もない、カスみたいな人間と。


「……仕事、しなくちゃな」


僕は自分のデスクに戻った。

雑務を片づけていく。

ベトルならこんな仕事、一瞬で終わらせられるだろう。

彼には多彩な才能がある。

対する僕には何もない。

才能も無ければ人望もない。

その中でも一番イヤなのは、勇気が無いことだ。


そんな何もない僕だが、趣味くらいはある。

密やかな趣味だ。


「よし……」


仕事が終わり、自分の部屋に戻った僕は、真っ先に机に着く。

そして便せんを取り出し、会社で知り得た情報を書き殴る。

完成したら、それを町外れにある小さなポストまで行って、放り込んだ。


このポストは利便性が低いので、町のモノは誰も使わない。

そしてこのポストに投函した手紙が行き着く先は……。


「ん? 新聞……?」


家に戻ると、ドアの裏側に新聞らしき紙が落ちていた。


「あ! もしかして昨日の?」


手にとって日付を確認する。

やはり昨日の日付だった。


「なんだよ……届いてたのか……」


目を通しながら家に入る。

そして、お目当ての記事を見つけた。


「大手蒸気機関メーカー、窃盗被害。産業スパイか」


記事によれば大手産業メーカーの倉庫から備品がなくなったらしい。

その倉庫の場所は、企業の人間しか知らないため、スパイの手引きがあったのではないかとされている。


「ククク……ンッンッンッ」


笑いが止まらないとはこのことか。


「ざまぁないな! ハハハ! 上のヤツらはこれで大いに困れば良い!」


僕は誰から見ても浮かれている状態だった。

当然だろう。

思惑通りに事が運んだのだから。


書類の盗難がスパイのせいなのは違いない。

が、倉庫に忍び込んだのはマスクスの連中だ。

何故分かるか。それは僕が彼らに所在地を教えたからだ


「アッハハハ! この僕が! 企業を裏切ったスパイって事なんだよ!」


反蒸気主義者に蒸気側から情報を漏らすこと。

それが僕の趣味だった。


最初のうちは正義感からか、義憤からか忘れたが、高潔な想いで彼らに情報をリークした。

だが、今はどうだろう。

“あの日”抱いた疑念は薄れてしまっている。

こんな歪んだ趣味を始めた“あの日”からすれば。


……


あの日、僕は社長室にいた。

そこで僕は、世界のあり方を知ってしまった。


「お時間を割いて頂き、感謝いたします」

「ああ、いい。それで? なんの用だね?」

「はい。先日行った実地調査について、報告しておきたいことがありまして……」

「それならレポートを提出していたはずじゃないか。そこには記載していない内容なのか?」

「はい。是非これは、直接お耳にと思いまして……」

「なんだ?」

「実地検査中に作業員のひとりが死亡した……というのは記述させて頂きました」

「ああ。読んだよ」

「恐縮です」


そう。

作業中にひとりの整備士が死亡したのだ。

それだけなら不幸な事故だ。

が、これはそんな言葉では済まされない事態だった。


「それについてなのですが……今回のようなケースは、実は初めてではないのです」

「というと?」

「年に数件というレベルではありますが、きわめて類似した事例があります。同じ作業に従事し、同じシフトで働き、同じ場所で死んでいる……。偶然とは思えない一致です」

「……」

「これは作業工程に何らかの問題がある可能性があり、それによって従業員の健康を害している可能性があります。つまりこれは……」

「不幸な事故だった」

「そうです。人為的な……え?」


僕は耳を(ついでに上司の口を)疑った。


「事故……ですか?」

「そうとも。たまたま彼が持病を抱えていて、たまたま作業中に発症した。まったく、不幸だよ。彼にとっても、我々にとっても」

「しかし……彼が持病を持っていたなら、健康診断で分かるはずでは……?」


この会社は定期的に社員の健康診断を行っていた。

何か持病があったなら、確実にここで分かっていたはずだ。


「いや。彼が持病を持っていたとは初耳だった」

「しかし、医師の話ではかなり進行していたと……。それだけ進行しているなら、検査で見つからないはずは……」

「疑うなら彼の今までの健康診断結果を見ると良い。どこにも異常はなかった」

「そんなバカな……たしかに彼は蒸気病を……」

「蒸気病?」


しまった!

よりもよって社長の前で……。


「……ハァ」

「……」

「まったく……ガッカリだよ。国家資格たる蒸気技師資格を持つ君のような人間が、そのような噂話に流されるようなタイプだったとは……」

「……」


静寂が部屋を包む。

聞こえるのは雨が窓を叩く音と、時計の音。

チクタクチクタク……規則正しいそれは、どこか僕を責め立てているように感じた。

この人に良心はないのか?


「君も反常軌主義者イディオット・マスクスと同じ口かね?」

「いえ……」

「ハァ……。話はそれだけか?」

「……はい」

「では下がりたまえ」

「……はい。失礼しました」


……


事故として片づいた後も、僕は独自に調査を続けた。

そうすることで何が起きるわけでもなかったが、そうせずには居られなかった。


蒸気病。

科学雑誌に載っている論文でしばしば見かける単語だった。

最初はなんとなしに見ていたが、その内容は恐るべきモノだった。


これはウチで起こってることじゃないか……。


興味をもって調べるうちに、このような事例は業種を問わず、いくつもみかけるようになった。


しかし、どの分野でも蒸気病についての話題はタブーだった。


「やはり、僕は間違ってなかったじゃないか!」


隠蔽だ。

これは隠蔽が行われているに違いない。

これだけ広範囲の分野に情報規制ができるのは、その組織が巨大であるからに他ならない。

そんな組織はひとつしかない。


「ウチだ……絶対そうだ……」


僕の勤める会社は、世界で一番始めに蒸気システムを生み出した。

後追い企業が乱立したが、やはり先行者の有利があるのだろう。

生き残ったのはウチだけだった。


そういうこともあって、ウチの影響力は計り知れない。


それで疑念に燃えて、突っ走って……。


「で、結果がこのざま」


フフッと笑みが溢れた。

本当に僕に正義があるなら、なぜこんなマネをしている?

なぜ法廷で争わない?

分かりきっている。

確たる証拠を掴めていないからだ。


ではなぜ証拠を掴めていない?

それもわかりきってる。

そこまで踏み込む勇気がなかったからだ。


結局僕はそういう人間だ。

自分の力で何かを変えることなんてできない。

だから今は、待つしかない。

救世主を。

誰かが僕を……そして世界を救ってくれるのを待つしかないんだ……。


…………



会社に行き、仕事をして上司に怒鳴られ、帰って寝る。

そんな日々をただいたずらに繰り返した。


ある日。


「ん?」


帰り道でのことだ。

本社の前で誰かが立っている。

背丈や格好からして、男か。


傘もささずに立っていた。


「……なんだあの人」


思わず口をついて出た。

この街は年中雨が降っている。

歩道には屋根がついているから、傘がなくとも濡れることはない。


だというのに、あの男はなぜわざわざ歩道の外に……?

男から目を離せないでいると、目が合った。


「!」


すると、相手は一瞬目を見開いた。

しかし、次の一瞬には無表情に戻り、次の一瞬には目を閉じていた。


「なんなんだあの人……え?」


こっちに向かってくる。

なんだなんだ? 何する気だ?

僕の前まで歩み寄ると、男は口を開いた。


「よお。産業スパイ君」

「!」


今なんて言った?

背中がゾッと毛羽立つ。


「な……何を言って……」

「そんな顔をするなよ。俺は同業者だ」

「同業者?」

「……手紙。受け取ったよ」


そこでピンときた。


「まさか、あなたは……」


……


僕たちは公園に来ていた。


「いやぁ~ビックリしましたよ……まさかマスクスの人がわざわざ会いに来るとは」

「ああ……野暮用で来てな。ついでに寄ったんだ」

「そうなんですか。それにしても、よく分かりましたね。僕が“そう”だって」

「顔見て一発だったよ」

「え、ホントですか!?」


顔に出やすいタイプなのかな……僕……。


「かもな」

「やっぱりそうですか……ん?」

「今の声に出てました?」

「今のって?」

「顔に出やすいのかな僕……って」

「顔見りゃ分かるよ」

「ええ! やっぱりわかりやすいのか……」

「……今の時代、調べりゃ大体のことは分かる。例えば、お前が何を考えてそうか、とかね」

「なるほど……」


とんでもない情報網だ。


「それだけの情報網を持ってるということは、案外大きな組織なんですね……マスクスって」

「そんなことはない」

「そんな。ご謙遜なさらずに」

「そうじゃない。事実、違うから否定している」

「えっと……どういう?」

「俺が持つ情報網は、俺個人が持つ情報網だ。マスクスは関係ない」

「あっ、そうなんですね……」


マスクスとは関係ない個人として動いている、という事か。


「じゃあ、マスクスと一緒に行動とかはされてないんですね」

「マスクスと行動? ハッ」


彼は鼻で笑った。


「ヤツらに何ができる? 最近ヤツらの活動を何か見たか?」

「えっと……」


ベトルと食事に行った時を思い出した。


「……デモ、とか?」

「デモ! いいね! プラカード抱えて歌歌いながら練り歩くか?」


彼は笑顔のままだったが、その目には明らかに怒りがこもっていた。


「デモがなんだ。デモで世界が変わるか? 世論が動くか?」

「それは……」


それは僕も思っていたことだ。

企業が手を止めるのは金が絡むときだけだ。

だったらデモなんかより、不買運動の方がよっぽど効果的。


なのにそれをしていないという時点で、デモ隊に対してモヤモヤした感覚を覚える。



「じゃあ、どうすれば良いんですか?」

「決まってる。テロだよ」

「……え?」

「国、世界、社会……それらのトップを引きずり落とし、新しいトップを置く。固定された上位層に新陳代謝をもたらすんだ」

「……それはテロじゃなくて革命では……」

「同じ事だ。成功すれば革命。失敗すればテロ。それだけのことだ」

「それだけのことって……」


この人、ヤバい。


「あなた、テロでもやろうとしてるんですか……!」

「やらないさ。もちろん」

「……」

「やりはしないが、考える。本気で世界を変えたいなら、それくらいのことをしなくては、と。革命ってのはカレッジのサークル活動じゃない。週末のレジャーでもない。もっと生臭くて、どろどろしたものだ。それを理解している奴なんて、マスクスにはいやしない」

「……」


僕が何も言わないでいると、男はフッと笑った。


「そんな顔するなよ。誰だって嫌いな誰かを殺す妄想をする。しかし大体の人間は妄想するだけで行動はしない。考えるだけなら自由だろ? それどそれもダメなのか?」

「まあ……そうですけど」


どうも信用ならない。

何というか……この人なら本当にやりかねないというか……。


こういう危ない人とは関わらない方が良い。

そう思った。

だけど、中々席を立つ気にはならなかった。


「お前はどうなんだ?」

「どうって?」

「思ったことはないのか? “この世界は間違ってる!“とか。”コイツぶち殺してやりたい!“とか。そういう、怒りみたいな感情」

「……まぁ、なくはないですけど」

「ほう。それは誰に?」

「誰だって良いでしょ」

「言いたくないのか?」


彼はニヤっと笑った。


「言いたくないなら俺が言ってやろう」

「!」

「会社の上司だ。いつも仕事を押しつけてきて、拒否しようがしまいが恫喝される。反発すれば権力をチラつかせる。お前はいつか天罰が下ると信じていたが、ついぞ天罰など下らないまま、上司は栄転。どうして悪がはびこり、善良な人間がバカを見るのか……お前はそれに納得がいってない」

「……」

「納得がいかないのは会社に対してもだな。作業中に作業員が死んだというのに、詳しい調査も何もない。怪しんで調べてみれば、なんと会社が率先して隠蔽してる。それでお前は全てに嫌気がさしてきてる」

「……」

「マスクスに手紙を送ったのはその腹いせだな? 会社や上司が困るような自体を起こして、それで溜飲を下げていたんだ」

「……」

「どうだ?」

「……すごいですね。ほんとに……」


途中から感心した。

彼の語った内容は、僕の心の縁をなぞるかのように的確な形だった。


「今までは深く考えてませんでした。作業中に死亡した人間がいるというのはなんとなく知っていたけど……実際にそれを目にするのとは全く違った。書類上で知るのと、その場に射手目撃するのとでは、感情の起こり方が違いました」


彼はただ黙っていた。

今度は僕が話し、彼が聞く番だった。


「社長に言ってみても全然聞いてくれないし……上司もクズみたいな奴だし……。ほんと、ろくな人間がいないですよ……僕の周りは」

「……」

「マスクスに手紙を送るようになったのは、そのストレス解消というか……。それをやることで上司を困らせられるし、世の中のためにもなる。一石二鳥だな、と」

「上司に仕返しできて、世の中のためにもなる……たしかに。そりゃ素晴らしい。……その通りならな」

「?」

「さっきも言ったが、デモなんかじゃ世界は変わらない。それはコソ泥も同じだ。そんなモノじゃ世の中は変わらないんだ」

「そうは言っても、僕にできることなんてそれくらいしか……」

「それだよ。その考え方だ」

「ええと……何か?」

「自分にはそれくらいしかできない。探してもいないのにそう決めつけ、お前の思考はそこで止まってる」

「それはそうですけど……でも、何も考えてない人よりはマシでしょ?」

「全然変わらんよ。考えるだけで何もしてないなら、最初から何もしてないヤツと同じだ。むしろ考えているだけマシと思っているあたり、何も考えてないよりタチが悪い」

「……僕はただの傍観者だと、そう言いたいんですか?」

「いや違う」


彼は僕の目をまっすぐに見ていった。


「お前は加害者だよ」






















第2章


自室に戻った僕は、思わずベッドに倒れ込んだ。


「ハァ……」


ため息が出る。

さっきのことが頭から離れない。


――お前は加害者だよ。


「……」


夢でも見ようと目を閉じたが、まぶたに浮かんだのは彼との会話だった。


……


「僕が、加害者?」

「そうとも」


彼は強く頷いた。


「マジメな人間が報われない世界に文句も言わずに従っている時点で、お前は言葉なしにこの世界を肯定していることになる。お前もこの世界をおかしくしてる連中に荷担してることになるってことさ」

「そんなの暴論だ! 僕みたいな人はいくらでも……」

「そうだ! お前のようなヤツが世の中のほとんどを占めてる。だから世界は変わらないんだろうが」

「!」


正しい。

正しいことを言っているというのは分かるが……かんに障る。


「じゃあ僕は何をしたら良いって言うんだ!」

「簡単だ。やり返すんだよ」

「やり返す?」

「お前に苦痛を与えてくる上司本人に、報復するんだ」

「!」



「そんなことをして……世界の何が変わるんだよ」

「お前に当たり散らす上司は、おそらくお前だけにそうしてるワケじゃない。お前みたいに、文句を言わないヤツには同じ事をしているんだ。なぜだ?」

「なぜ? 文句を言われないから……でしょ?」

「そうだ。どんなに無理難題を押しつけても、お前は文句ひとつ漏らさない」


確かに、僕は上司に表立って刃向かったことはない。


「完全に油断してる。コイツは絶対やり返してこない。そう思ってお前に接してるんだ」

「そこで、僕が反撃する……」

「そう。するとヤツは驚き、そして学ぶ。“悪いことをするヤツには、罰が下る”と。その罰が痛ければ痛いほどな」

「……」


僕が上司に直接やり返す……。


「どうだ?」

「どうって……」

「お前だって望んでいたんだろう? いつかヤツの鼻を明かしてやることを」

「……そりゃあ、そういうことを思ったことはあるさ。だけど……」

「だけど?」

「できるわけない……」


僕は首を振った。


「アイツは僕の上司だ……アイツに逆らえば、僕の評価は悪くなって、昇進にも響く……」

「……」

「腕っ節じゃ勝ち目がないし……社会的な立場でも勝ち目はない……。だからせめて、仕事で結果を出して偉くなろうと思った。アイツの上に立って、今までの恨みを晴らしてやろうと……。それで頑張って働いて、国家資格まで取った……。なのに……」

「……上司が栄転、か」

「……後々調べたら、僕のやった仕事の一部がアイツの名前で報告されてたらしい。バカみたいだ……。アイツを追い抜くために頑張ったのに……結果、アイツに利用されて……」

「……」

「結局、もう追いつけないような距離が開いてしまった……。身を粉にして働いたのに……僕には何も残らなかった。僕は一体何のために……!」

「……やろう」


彼が口を開いた。


「やるんだ。お前はヤツにやり返さなくちゃいけない。そうすることで、ようやくお前は前に進める」

「でも……できるのかな? 僕に……」

「できるさ。その気さえあれば」

「バレたらクビになるかも」

「蒸気技師資格があるんだ。個人でだってやってけるさ」

「腕っぷしじゃ勝てないかも」

「そのための蒸気機関だろ?」

「……」

「とっくに道具は全部揃ってるんだぜ?」


あとは、覚悟さえあれば。


「いいのかな」

「……」

「僕、やり返しても良いのかな?」

「蒸気機関のキャッチコピー、知ってるか?」

「……なんだっけ?」

「“昨日の非常識が、今、常識に!”」

「ハハハ……! そっか……」

「どうせ今みたいな良いんだか悪いんだか分からない人生が続くなら……ここらで一発打って出よう」

「……うん」


……


それから別れて、僕は部屋に帰ってきたのだった。

今日は濃密な一日だった。

ひどく疲れたが、決してイヤな疲れではなかった。

なんというか、達成感のようなモノも感じる。


全く。彼のおかげだな。

めちゃくちゃなことばかり言って戸惑ったが、彼の言葉は耳に残った。

それは今まで誰も言ってくれなかったことだったから。


「……そういえばあの人、何者なんだろ」


名前すら聞かなかった。

次に会ったときは聞いておこう。


「それにしても……どうやって仕返ししてやろうかな……」



僕がやった仕事を告発する?

いいね。

でも、それだと僕が犯人だとバレるかもな……。

仕事を横取りされた事実は、当事者である僕と上司しか知らないし。


「安全なのが良いよなぁ~」


いっそ、蒸気機関使ってボコボコにしてやろうかな?

腕に自信があるっぽいから、その自信を砕いてやるとか。


「いやでも、蒸気機関使われて負けたら言い訳が着くよな……」


蒸気機関があったから負けた!

道具なしのタイマンなら負けない!

……言いそうだな。アイツ。


「う~ん……」


思い浮かばないな……

しょうがない。今日の所は寝るか……。

明日また考えよう……。



……


翌日。

この日の出社は、今までで一番楽しいモノだった気がする。

嫌いな上司にどう復讐してやろうか。

頭の中はそれでいっぱいだった。


「なんだ? 良いことでもあったか?」


ベトルにもそんなことを言われてしまった。

やはり僕は感情が顔に出やすいのかな?

考えている内容まで顔に出ていなければ良いが……


だけど、その日の昼。

すこし状況が変わった


「おい……ほんとに大丈夫なんだろうな……?」


昼食をとろうと廊下に出ると、上司が誰かと喋っていた。

すかさず隠れて聞き耳を立てる。


誰と喋ってる……?

ダメだ……ちょうど壁が死角になっていて見えない……。


「大丈夫さ。従業員の福利厚生には社長も興味がないらしい。あと100人死んだって調査しようなんて思わないよ」

「ならいいが……」

「第一、何かあったとしても物的証拠はない。そのための健康診断だろ?」

「それはそうだが……」


健康診断?


「……お前、何ビビってんだよ?」

「いや……そうは言うがな!」

「なんだ? 良心がとがめるとでも言う気か? 今更だろ?」

「そうじゃねえよ! ただ、ここまでやって本当にバレねえかって……」

「それこそ今更だ。お前は最初からバレたら終わりだろ。そんな人間がバレた後のこと考えてどうすんだよ」


さっきから何を言ってる?


「でも保証がないのは確かだろ!? バレないっていう保証は!」

「さっきから何が言いたいんだ? テメエは」

「ヘヘッ……い、良いのかな? もしかしたら俺がバラしちまうかも知れねえぜ?」

「……ほう?」


これはもしかして、恐喝?


「調子に乗るなよ……キサマ……!」

「うおっ!?」

「!」


上司の胸ぐらを話し相手がつかんだ。


「思い上がるなよ。末端のゴミが……お前に何ができる?」

「俺がバラしちまえばお前らだって困るはずだ! 作業員の死を隠蔽するための改ざんのことを!」


死の改ざん……!

やはり!


「やってみろ。物的証拠は何もない」

「フッ、証言だけで十分だろ?」

「お前ごときのの発言を世間が信じるとでも?」

「世間様とやらは知らんが……マスコミはどうかな? 面白そうな話にはすぐ飛びつく連中だぜ?」

「……」

「へっ! 分かったらまずその手を離しやがれ。それから小切手で1億……」

「お前も“不良品”か?」

「!」


その言葉を聞いたとたん、上司は黙った。


「処分されたいならそう言え。小切手くらいくれてやるよ。花束と一緒に供えといてやる」

「な……」

「お前はこの世界のパーツのひとつだ。正常に動かないなら……“お前のパーツ”は別の所に使うことにする」

「ヒッ……!」


パーツ?

さっきからこいつらは何の話をしている?

もっと注意深く聞こうと身じろぎをした。


「……」


すると、男達の動きが止まった。


「な、なんだよ?」

「……今、誰か居なかったか?」

「!」


まずい!

こんな状況を目撃したとあれば、僕もどんな目に遭わされることか!

僕は忍び足でその場を離れた。


もっと詳しい話を聞きたかったが仕方ない。

彼らの話が本当なら、すでに何人も殺しているような連中だ。

僕だって確実に“口封じ“される。


ビルを出てから一目散に駆け出し、気づくと公園に着いていた。

ベンチに腰を下ろす。


「ハァ……」


それにしても、とんでもない場面に出くわした。

健康診断……改ざん……。


「やっぱり作業員の死は作為的なモノ……」


僕は当初、過重労働を疑っていた。

蒸気機関による業務は体に悪影響を及ぼす。

なので、作業時間はシフトが組まれ、数時間でローテーションしている。


さらに万が一、シフトのミスで規定時間をオーバーしても、健康診断でチェックできるという算段だった。


しかし、それらのシステムが全く正常に動いていない事が明らかとなった。


「いや……それどころか、権力者によって悪用されてる……」


自分にとって都合の悪い人間を消す為の手段として用いられている……と考えるのが自然だ。


「まさか……」


イヤなことに気づいた。

今まで作業中に死んだ人間は、このことに気づいて上に報告し、その結果、消されてしまったのでは……?


という事は、僕も……?


「いや、大丈夫だ……。僕がそんな目にあうワケがない……」

「どうした? 真っ青だぞ」

「!」


突然声をかけられて驚いた。

が、声の主を見てほっと胸をなで下ろす。


「なんだ……あなたか……」

「どうだ? 上司にやり返すプランは固まったのか?」

「それなんですが……」

「どうした」

「その……やっぱりやめようかな……なんて」

「なぜ?」

「その……思ってた以上に自体は入り組んでて……」

「……」

「もしかしたら、今度は僕の身が危ないかも……みたいな?」

「……」

「そうなったときに“果たしてこれは、命を賭けてまでやるべき事なのか?”なんて思ったり……」

「結局は自分の身がかわいい、というワケか?」

「わ、悪いかよ! 人間誰しもそうだろ? 死んだら終わりなんだから……」

「だったらなおのこと、お前はやるべきだ」

「ええ?」

「お前は社長にたてつき、そして上司のも嫌われてる。次狙われるのがお前だとしてもおかしくない」

「そんな……。そんなこと言うなよ……」

「認めたくないのは分かるが、お前が認めようが認めまいが何も変わらない」


耳を覆っても彼は口を止めない。

聞きたくもない言葉が次々と流れる。


「お前が狙われるのはほぼ確実だし、お前はそれに対して立ち上がらなければならない」

「何で僕が……こんな目に……? なぜ他の誰でもなく僕なんだ? なぜ僕じゃなきゃいけないんだ?」

「……それを知ったらやる気になるのか?」

「せめて理由が欲しいんだよ! 自分がリスクを背負う事に対する意味が!」

「わかった」


彼はひと呼吸置くと言い放った。


「ねえよ。そんなモン」

「!」

「強いて言うなら……“気づいちまったから”だ。この世界のゆがみに気づいたのが、偶然お前だった。他の誰でも良かったし、お前である必要性もない。だが、偶然、今回はお前だった」

「そんな……」

「満足か?」

「あんまりだ……こんなのってあんまりじゃないか!」

「……」

「僕だってあのまま不正に目をつむって、上司にいびられながら生き続けるのが良いとは思ってなかったよ……。いつか現状を変えたいって思ってた……でもこれは……」

「」

「蒸気と同じだ。熱が高ければ高いほど大量のエネルギーが取れる。なぜだ?」

「……熱が高ければより多くの水を沸騰させられるから」

「その通り。さすがだな。頭でっかち」

「頭でっかちって……」

「お前のそのムダに重たくなった頭は何の役に立ってる? 抱え込んだ知識は? 背負わされた常識は? お前の人生をどれほど良くしてる?」


これにはカチンときた。

いくら君でも、僕の人生を否定する事はできないはずだ。


「たってるさ! おかげで今の仕事に就いた! 大手メーカーでしかも国家資格持ちだ! 誰もがうらやむ職種だぞ!?」

「ああそうだな。上司にこびへつらって殺人に荷担してる。誰もがうらやむ仕事だな?」

「僕は荷担なんかしてない!」

「血まみれのナイフを持った血まみれの男がいる。ソイツは言う“殺す気はなかったし今だってない!”……お前の中ではコイツは殺人者じゃないのか?」

「それとこれとは違うだろ!?」

「同じ事だ。本質を見ろ。目先のことにだまされるな」

「でも実際に犯行に及んでるのはアイツらだ! 僕じゃない!」

「やめさせようとしてない時点でお前も同じだ。偽善者が聖人ぶるな」

「そんなこと言ったらこの会社のほとんどの人間は殺人者ということになるぞ!」

「そうだ」

「え?」

「この世界が悪くなってるのは悪い魔物のせいじゃない。魔王のせいでもない」


彼は絵本を読み聞かせるように言った。


「じゃあ何がそうさせているのか? 簡単な事だ……ひとりひとりの小さな悪意だよ。“これくらいは大丈夫だろう”というひとりひとりの油断が、この世界を悪くしている」

「そのうちのひとりが……僕?」

「そうだ」


「僕がこの世界を悪くしている……?」

「ああ。お前はこの世界に対する影響力を持っている。なのに何もしてない」


たしかに、僕は何もしていない


「わからないんだ……僕にできるのか」

「逆だ。お前だからできることなんだよ」

「僕だから?」

「蒸気メーカーに勤めちゃいるが、心までは染まっちゃいない。だから手紙を出してたんだろ?」

「……」

「今までは誰かにやってもらってたことを、今度はお前が自分でやるんだ。どうだ? そんなに難しいことか?」

「……そう言われると、できそうかも……」

「だろ? マスクスの連中にできたんだぜ? それでどうしてお前にできないことがあるんだよ」

「……ありがとう。僕、頑張ってみるよ」

「……ああ。それがいい」


彼はそれだけ言うと立ち上がった。


「お前はお前のなすべき事をしろ。俺もそうする」

「君にもやるべき事が?」

「ああ。やりたくはねえが……俺がやるしかねえ。お前と一緒さ」

「そうか……」

「……お互い、頑張ろうぜ」


じゃ、と手を上げて彼は歩き去った。


「……僕も、行かなきゃな」


決意を新たに、僕もベンチをあとにした。


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