98.何でも
隊長は同情心からか、翌朝残ることを許可してくれた。
安堵したのも束の間。魔幻黒蝶のペアはあっさりと見つかってしまった。しかも昼過ぎに。腫れは大幅には引かなかったが、荷台に乗っていても響くことはなかったのに。
いや、ペアを確保できたのはいいことなのだ。今回の討伐の目的でもあったのだし、フィリア以外は誰も怪我せず達成できたことを特隊員たちと同じように喜ぶべきなのだ。
分かってはいるのだけれど。
「フィリア、足は大丈夫? 響いてない?」
「大丈夫」
「もう少しだから。着いたらすぐイデル先生に診てもらおう」
「うん」
「…………本当に、泊まっていい?」
「あんたが疲れてないなら」
そのやりとりに反応したのはミオーナだ。ぎゅんと音がしそうなほどの勢いでフィリアを見ると、目を見開いて2人を交互に見た。
「アルグレック! ちょっとツラ貸しなさい!」
「え、嫌だよ! 目が怖すぎる!」
「いいから!」
アルグレックは胸ぐらを掴まれ、ぐいぐいと引っ張られた。まるで散歩を嫌がる犬が飼い主に引き摺られるみたいだなとセルシオが呟き、近くの隊員たちが笑った。
フィリアはひとり、何と表現していいか分からない気持ちに、瞬きを繰り返した。
「ちょっと! どうなってんの! 泊まるなんて!」
「護衛! あくまで護衛だから!」
「あの時も言ったわよね? あの子の信頼に付け込んで手を出すなんてしたら許さないって!」
「だからほんとに誤解だって! あの時も言ったけど、そんなつもりないから!」
「じゃあフィリアが薄着でウロウロしても平気なのね? あの子、結構着痩せし」
「わーわーわー!! ストップ!! お願いだからそれ以上言わないで!」
アルグレックはやけくそになって昨日のフィリアとの会話を説明した。神父に教わったという、あの偏りまくった彼女の認識を。
「だから、軽蔑されるって分かっててそんなことする訳ないだろ」
「…………そうね」
死んだ目で笑うアルグレックに、ミオーナは哀れんだ視線を送りながら同情した。
「…………あの子に、恋愛小説か指南書でも貸すわ」
「ああ、うん……」
「何というか……その、ごめんなさい」
「分かってもらえて何より……」
お互いに遠い目をしながら、元の場所へ戻る。
フィリアはその様子をじっと見つめ、アルグレックと目が合いそうになる前に、視線を景色へと動かした。……何も頭に入ってこないけれど。
ほどなくして城館に着いた。他の隊員たちが片付けを行っていく中、フィリアはアルグレックに車椅子を押してもらいながら医務室を目指した。
「フィリア? どうかした?」
「いや、何でも…………なく、ない、かも」
「え?」
フィリアはそこで言葉を止めた。視線を彷徨わせ、かと思えば頭や頬を掻き、指同士を擦り合わせたりと落ち着きがない。
一向に話し出さない彼女に痺れを切らすことなく、アルグレックは車椅子を止め、彼女の顔を覗き込んだままじっと待っている。そのことに気付いていても、フィリアは口を開けなかった。
このモヤモヤを、言いたいような、言いたくないような。知られたくないような、知ってほしいような。
「………………やっぱり何でも」
「今更無理。ダメ。気になって気になって夜も眠れない」
「護衛にはぴったりだな」
「フィ リ ア」
「…………」
誤魔化そうにも見逃してもらえなかった。
フィリアは意を決して口を開き、閉じた。そしてもう一度開いて、閉じた。
「………………ミオーナと、何話してたの」
ようやく絞り出した声は、小さくて小さくて、耳をそばだてているアルグレックにしか届かなかっただろう。
アルグレックは目をこれでもかと見開き、ごくりと喉を鳴らした。
「……気になる?」
なぜか真剣な瞳のアルグレックをちらりと見て、すぐに視線を逸らした。そうして、小さく、けれどしっかりと頷いた。
勇気を振り絞って肯定したのに返答がない。横目で盗み見れば、男は「あー」とか「うー」とか言葉にならない音を発している。
「ああもう、試されてる気しかしない……! 今はまだギリギリ勤務中まだ勤務中まだ勤務中……!」
「何その呪文」
「んん゛っ、いや何でも……その、フィリアに何かしたら許さないって忠告されただけだから」
「ふうん……」
「ほんとだよ? え、信じてない? ほんとだって!」
力のないフィリアの返事にアルグレックは慌てている。フィリアは少しの間拗ねたような顔をしていたか、耐えきれず噴き出した。
「ふふ、うん。信じてる」
「〜〜〜っ! ああもう! どうしてすぐに攫って帰れない時に限って可愛いこと言うんだ!」
「?」
泊まりたいだなんて焦りすぎたかもしれない。アルグレックは少しだけ後悔した。
医者のイデルに診てもらったところ、やはり骨に影響はないそうだ。酷い打撲らしく、その程度で済んでよかったと胸をなでおろした。
薬を塗ってもらっていると、隊長が様子を見に来てくれた。
「団長から君の事情を聴いたよ。それで、護衛について君に2つの選択肢をあげることになった。ひとつ目は、騎士の寄宿舎で寝泊まりすること。ふたつ目は、団長の屋敷で匿っても」
「ひとつ目でお願いします」
「……君ならそう言うと思ったよ。とりあえず、当面困らない荷物を取ってきなさい」
アルグレックは後悔したことを後悔した。
ミオーナとセルシオと合流して、一度荷物を取りに行った。着替え以外に何も浮かばず、読みかけの本といくつかのお菓子を鞄に詰めた。
もちろん、彼らからもらったアクセサリーもお守り代わりのように真っ先に入れた。荷造りを手伝っているミオーナは、喜びの余り破顔している。
「あら。荷物はこれだけでいいの?」
「多分。何持って行っていいか分かんないし」
「時間潰しになりそうな趣味のものとか……そういえばフィリアの趣味って何?」
「趣味……シュミ? さあ……小銭を稼ぐこととか、数えること?」
「ええ~何その趣味」
「うるさいな」
ミオーナに呆れた視線を投げつけられながら、フィリアは腕を組んだ。
趣味か。これを機に何か探してみるのもいいかもしれない。
滞在時間はわずか数分。場所は割れているので長居はよくないだろうと、さっさと家を後にした。
「……何かあったの」
「あ、いや別に何でもないよ」
身体を捻って振り返りながら、いつもより静かな男に声を掛ける。心なしか落ち込んでいるようにも見えて首を傾げた。
「……気になって夜も眠れない、かも」
「それ俺が言った台詞だから」
フィリアは黙ってアルグレックを見つめた。あの時彼がじっと待っていたのと同じように。
「……泊まれなくて残念だなって」
根負けしたアルグレックが拗ねたように呟く。
なんだ、そんなことか。それならこの問題が落ち着いたら泊まれば――
そう言おうと思って止めた。だってその時はもう、護衛は必要ないだろう。
「…………そう」
フィリアは何となくそれしか言えず、姿勢を戻した。
口数の少なくなったふたりは、お互いに誤魔化すように見慣れた景色を眺めた。




