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96.魔コブラ

 もし今願望が見えるとしたら、何だろう。


 フィリアは寝袋に入り込んでからも考えていた。

 すぐに浮かんだものはお金と魔法だが、すぐに否定した。お金はもう目標以上にあるし、魔法が使えるようになりたいと切に願うことも最近はない。憧れや未練のようなものはまだあるけれど。


 そもそも、今はもう充分満足している。王家がどうとか、元両親がどうとか、そういうのを差し引いても僥倖すぎると言っていい。


 むしろそういうことがなければ怖くなっていただろう。幸せすぎて。いや、正直なところ既に少し怖かった。身に余る僥倖が訪れると人は恐怖を覚えるらしい。



「また変なこと考えてる?」

「変ではないと思うけど」

「けど?」

「……幻覚が見えたら、何だったかなってだけ」

「あー……」


 アルグレックの頬にさっと朱が走る。何を思い出したのかは聞かないでおこう。藪蛇になっても困る。


 本日の討伐はあのまま終了することになった。隊員たちの魔幻白蝶の幻覚作用がなかなか抜けなかったからだ。フィリアも少し身体がだるかったので助かった。魔幻白蝶の親玉の鱗粉は流石に強かったらしく、知らずに魔力を使っていたようだ。


 だからつい考えてしまった。今魔幻白蝶に遭遇したら、何か幻覚を見ただろうかと。


 幻覚を見なかったことで役に立ったかもしれないが、それでも自分だけが見られなかったのは少し寂しいと思ってしまった。赤くなったり青くなったりの輪に入りたかったのだ。


 人間は欲深いなあと他人事のように考える。


「今一番欲しいものとかしたいことが見えるっていうけど、いくつも見えたりするのか?」

「いや、ひとつだけ。ただ毎回変わるって人もいるらしいけど」

「ふうん」


 とびきり欲深いとコロコロ変わるのだろうか。それはそれで面白そうだ。直前の記憶からなくなっていくかもしれないのは嫌だけれど。


「フィリアは何だと思う? もし見えてたら」

「うーん、どれもピンと来ない」

「例えば?」

「金とか魔法とか」

「えー、俺は? まあピンと来なかった中に入れられるのも嫌だけど」


 フィリアはじっと拗ねた男を見つめて首を傾げた。


「これ以上?」

「ううう、なんで期待したものより良い言葉が出てくるんだ……このたらし……っ」

「?」


 ふたりの考えたものは違う。

 フィリアは、「これ以上」にないくらいふたりの関係に何満足しているのに何を思い浮かべるのか、だった。

 対してアルグレックは、「これ以上」アルグレックのことを思い浮かべるの、という彼の希望的観測が大いに籠められたものだった。



「平和なバカップルね」



 ミオーナの呆れた一声に、セルシオが大きく頷いた。





 翌日は生憎の小雨だった。雨が降ると魔幻黒蝶は巣に隠れて出てこなくなるため、今日は討伐先を変えるらしい。森ではなく湿地へと歩を進める。


「ヘビとかカエルとかも結構いるけど、フィリアは平気?」

「うん」


 もちろん討伐対象は普通のヘビやカエルではなく、魔物だ。

 アルグレックの問いに平然としていると、反対側のベニートンが大袈裟に騒ぎ出した。


「えっ、フィリア平気なの? 僕は苦手なんだよねえ、両生類系。もしかして触れたりする?」

「まあ。普通のなら」

「うわぁ。じゃあフィリア、僕のこと守ってね」

「いやあんた騎士だろ。自分でなんとかしろ」

「えー」

「ベニートンは両生類が大好きなんだな。よぉぉく覚えとく。あ、フィリアは俺が守るからお前はいいよ。ヘビとカエルと仲良くしてなさい」


 アルグレックの満面の笑ってない笑みにベニートンは頬を引き攣らせた。なんだかんだ仲良いな、と言えばアルグレックに全否定されそうなことを考えていた。


 ヘビやらカエルやらが出るたびに悲鳴を飲み込みながらも、どことなく機嫌のいいベニートン。やっぱり彼はマゾかもしれないというフィリアの考えは、今ではすっかり確信に変わっている。


 今朝、彼は確かに謝ってくれた。頭まで下げて。真剣な顔で。


 フィリアは「はあ」と答えただけだが、ともかくこれまでのことは水に流すことにした。許さないなんて言ったら、あの男のことだ。許すまできっと粘られる。それはそれで面倒だ。


 そんなこともあって、フィリアの中でベニートンの位置は『ちょっと嫌い』から『どうでもいい知り合い』に格上げ(?)された。だからもう、荷台の横をぴったり歩かれても何も思わない。


「これで友達になれるよね?」という男の言葉を思いっ切り無視したせいか、何度も「どうやったら友達になってくれるのか」という質問に根負けして、つい「一緒にご飯を食べて美味いと思うかどうかが基準」だと漏らしてしまった。

 それからずっと「じゃあ一緒にごはんに行こう」と食い下がられている。


 その度にアルグレックの目が黒々と光るのだが、それでもこの男はめげなかった。うん、やっぱりそうだ。この男はマゾで間違いない。



 道が酷くなるにつれ、魔獣の遭遇率が上がる。程よい緊張感に包まれながら進むと、副隊長の合図で一気に場の空気が凍った。


 その湿地の主を見つけたらしい。


 フィリアは袋から大き目の落雷石を取り出し、しっかりと手に握った。落雷石は魔獣も嫌がるらしく、昨日その話が出た際に目立つところに持つよう言われたのだ。その大きさと数を見て全員にドン引きされたが。


「……え、タコ?」

「沼タコだよ。長い足が30本もある。素早いくせに鋼みたいに固いんだ。フィリアも気を付けて」

「うん」


 少し離れたところに、濁った緑色の巨大なタコが沼から半分顔を出しているのが見える。顔は元々いかついのか、それとも怒っているのか分からない。ただ、可愛くはない。


 フィリアは荷台と共に離れたところで待機することになった。ベテラン隊員のディエゴが付いていてくれるので安心だ。


 誰かが吹っ飛ばされる。隊員たちは慣れているのか、すぐに体勢を戻してまた攻撃に加わる。激しい攻防音が何度も聞こえ、沼タコの足が何本も切り落とされたのに、一向に終息しない。


 主というだけあって、今までの魔獣より強い。落雷石を握り締めながら、フィリアは祈るような気持ちでアルグレックを見つめた。


 大丈夫。彼らは、彼は強い。知っているのに、不安になる。魔獣と対峙している時間が伸びる分だけ、不安の色が濃くなっていく。早く。いつもみたいにさっさと終わらせてほしい。



「もう少し離れよう」

「はい」


 沼タコの墨が届いてもおかしくない暴れっぷりに、ディエゴの指示に従って荷台ごと後ろに下がろうとした。が、すぐに止められた。


 雨音と沼タコに気を取られて気付くのが遅れた。目の前に急に現れた、大きな大きなヘビ。フィリアはその全貌に声も出なかった。



「魔コブラだ!」

「?!」

「――コルデーロ! アルグレック! ディエゴの援護を!」

「「はい!!」」


 ディエゴの声に隊長が素早く指示を出す。


 魔コブラはフィリアたちを見下ろし、落雷石のところで一瞬目を見張り固まった。その隙をディエゴは見逃さず、すぐさま魔コブラに飛び掛かった。


「フィリア! 下がろう!」

「え、あっ、ちょっ、待っ」


 アルグレックの声に、落雷石を手に持ったままのフィリアは慌てた。彼に少しでも当たるのは不味い。かと言って適当に投げてディエゴやコルデーロに当たっても危険だ。

 フィリアはアルグレックを気にしながら、なるべく素早く地面へと投げた。



「ぎゃおおおっ!!?」



 ヘビらしからぬ叫び声が聞こえたのと、アルグレックがフィリアを抱きかかえたのは同時だった。


 けれど次の瞬間、落雷石に触れ制御不能となった魔コブラの尾によって、2人の身体は大きく打ち飛ばされた。



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