89.そういうもの
11月も最終週になり、フィリアは焦っていた。
アルグレックの誕生日が週末に控えているのだ。
誕生日プレゼントはあっさり決まり、すでに用意できているにも拘らず。ミオーナの「手料理を準備するのが良い」というアドバイスに従って、作る料理も決めているのにも拘らず、だ。
なぜかそれだけでは全然足りない気がする。それなのにどうしていいか分からず、日ばかりが過ぎていく。
そもそも誰かの誕生日を祝おうとすること事体初めてで、何が正解なのか分からないけれど。
「当日は何時に待ち合わせ? 前の日は夜勤だから、待ち合わせ時間に余裕があるならまた化粧してあげるわ」
「まだ決まってない」
今日はミオーナとアデルの店に厚手のローブを買いに来ている。
12月が近づくにつれ、寒い日も増えてきた。耐えられない訳ではないが、そこそこお金に余裕ができたため、思い切って買うことにしたのだ。
「……念の為聞くけど、あんたからもう誘ってあるのよね?」
「……いや?」
「いや、じゃないわよ! 今すぐ手紙を書きなさい! そういうのはね、自分から祝ってって言いにくいものなのよ!」
「そういうもの?」
「そういうもの!」
アデルがすかさずレターセットを持ってきて、椅子に座らされる。ここで今すぐ書けという圧がすごい。
フィリアは渋々ペンを取り、たった1行『誕生日の日、時間あるならうちに来て』と書いた。アデルに破り捨てられた。2人の笑顔が怖い。めちゃくちゃ怖い。
「……もったいない」
「それはこっちの台詞よ! なんなのその色気も可愛気もない手紙は!」
「いつもこんな感じだけど」
「ダメ! 全っ然ダメ!!」
結局3回書き直しを命じられ、フィリアにとっては少し恥ずかしい、ミオーナたちにとっては全然物足りない手紙を速達で出すことになった。
ローブも無事に決まった。ダークグレーの生地に同色のファー、フードには雪の結晶が銀色で刺繍されているものだ。今までのローブより少し高いけれど、軽くて暖かく、すぐに気に入り、購入を決めた。
フィリアは早速袖を通したまま店を出た。夕食はミオーナの行きたかったという可愛らしいお店で取ることにしたが、こういうお店にすっかり抵抗がなくなったことに驚いた。流石にひとりでは無理だけれど。
可愛いと思うものや好きだと思うものを、少しずつ素直に口に出せるようになってきた。
このローブだってそう。初めて自分で選び、ミオーナとアデルにどうかとは聞いたが、自分で気に入って、これが欲しいと買ったのだ。
堂々と言えなかったのは、「魔消しのくせに」と言われるのが嫌だったから。
彼らと出会うまで、魔消しとバレた瞬間から、そう言って物を取られたり壊されたり、貶されたりするのはよくあることだった。そういう人間は、気に入ってるものや大事なものを妙に見抜く。
フィリア自身も段々、「魔消しのくせにこんなものが好きなのか」と馬鹿にされるのも否定されるのも嫌で、口にしなくなった。
けれど、ここでは誰も馬鹿にしない。ここ最近散々いろんな人から分かりやすいと言われ、開き直ったのもある。
そのことに気付くたび、この街に来てよかったと思うのだ。
翌朝にはアルグレックから『昼には行く!!』と書かれた返事が届いた。彼も速達を使ったらしい。満面の笑みのアルグレックを思い浮かべて、フィリアも思わず笑顔になる。
城館へ行けば、思い浮かべたままの男が手を振って待っていた。何度も楽しみにしてると言うアルグレックに苦笑しつつ、手紙を出して良かったなと思った。
けれど控室前で分かれた途端、不安とプレッシャーに変わってしまった。やっぱり全然足りないのではないか。今用意している程度では喜んでくれないのではないか、と。
今日の立会人は、厳つい顔のコルデーロだった。アルグレックたち以外で、初めて姓ではなく名前で呼ぶよう言ってくれた隊員だ。
「おう、どうした? 喉に小骨がひっかかったみたいな顔して」
「おはようございます。何でもないです」
「まぁそう言わずに。俺に言ってみろって」
引く気のなさそうなコルデーロに、フィリアは渋々話した。近くアルグレックの誕生日があるのに上手く祝える自信がない、と。
「そんなもん、お前。男なんて単純なんだから、何か贈っとけばそれだけで大喜びだぞ」
「それだけですか?」
「そういうもんだ」
「そういうものですか……」
ますます深く刻まれた眉間の皺を見て、コルデーロは笑った。
無理矢理納得した顔でお礼を言い、フィリアは魔消しを始めた。
「張り切ってんなぁ」
若干の年寄りくささを覗かせながら呟いたコルデーロの言葉は、真剣な顔のフィリアには届かなかった。
誕生日前日の立会人はセルシオだった。
彼も魔消しが終わった途端に「悩みがあるならこのお兄さんに聞いてみな」と悪い顔だ。
フィリアはなんとなく憮然としながらも、セルシオにも相談することにした。
「簡単なことだ。フィリアちゃんがセクシーな服でも着て、アルグレックに抱き着いてやれば一発で大喜びだ」
セルシオはてっきり「馬鹿じゃないの」と一蹴されると予想していたのに、意に反してフィリアは腕を組んだまま考え込んでいる。
「そんなものどこで……あいつらに聞いたら分かるもんか?」
「あいつらって?」
「顔見知りの娼婦」
真面目な顔で眉間に皺を寄せるフィリアに、セルシオは恐ろしく慌てた。
「ごめん、フィリアちゃん。待った。嘘。冗談だから!」
「……」
「いやほんとに悪かったって! だからそんな目で見ないでくれ! あとあいつにも言わないでくれたら助かる!」
「…………ふふ」
「……からかったな」
「お互い様だろ」
セルシオの手がフィリアの髪をぐしゃぐしゃにする。
ミオーナが姉なら、この男は兄のような。
そういえば、昨日元兄のルオンサからの手紙が届いた。おそらく王都に戻ってすぐに手紙を出してくれたのだろう。送り主を見た瞬間ドキリとしたが、不思議なことに少しだけ嬉しいと思ったのだ。……いや、結構嬉しかった。
手紙にはルオンサ自身のことが書いてあった。結婚していて、子供が2人いることや、学校を卒業してからずっと魔法庁で働いていること。もうすぐ本格的に伯爵家当主を継ぐつもりであることも、サラッと触れる程度に書かれていた。
返事はまだ書いていない。もう少し余韻に浸ってから書こうと思う。
「まあ、真面目な話」
「……」
「いやほんとだって。フィリアちゃんが一言おめでとうって言えば充分だと思うけどな。それでフィリアちゃんの気が晴れないっつうなら、アレだ」
「アレ?」
セルシオがニヤリと笑う。この顔のどこが真面目なのか。
「フィリアちゃんからのハグだ」
「……」
「ほんとの本気のアドバイスだから! あの時のミオーナへの嫉妬、フィリアちゃんも見ただろ? あいつ、まだブツブツ言ってるぞ」
「は?」
「君の恋人になった男はかなり嫉妬深いから、気を付けろよ~?」
フィリアは再び腕を組んで、今度こそ真剣に考えた。そんなことで喜ぶとは思えないけれど、と思ってしまう。
「張り切ってんなぁ」
セルシオの呟きも、彼女の耳には届かない。
フィリアがどのようにして祝うのか。楽しみにしているのは、アルグレックだけではなくなってしまった。




