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88.夕食会

 店に着くまで、フィリアはひたすら黙っていた。

 横の男は気持ち悪いくらいににやけっぱなしで、口を開く気にもなれなかったのだ。


 馬車が停まり、外からノック音が聞こえる。



「お手をどうぞ。俺の可愛い人」

「気持ち悪い」

「酷い。ふふふ」



 何が酷いだ。微塵も思っていないくせに。


 フィリアのジトっとした視線を完全に無視して、アルグレックは彼女の手を取り降りるよう優しく促した。


 レストランの入口が見えた瞬間固まった。明らかに高級店だ。隣の男は表情こそ変わっていないが、小さな声で「うわあ……」という呟きが聞こえた。


 こんな店を貸し切れるなんて、あの丸眼鏡の研究員は何者なんだ。疑問に思ったが、今更聞いたところで現状は変わらない。

 フィリアは諦めの良さを充分に発揮し、溜息ひとつで歩き出す。


 給仕に案内された部屋には元兄がひとりだけで、フィリアはつい足を止めそうになった。



「リー……フィリア嬢。その人が恋人かな」

「……」

「初日にもお会いしましたね、騎士殿。ルオンサ・シュメラルです」

「騎士団特殊部隊のアルグレック・ランドウォールと申します。特殊な祝福を持っているので、目を見てご挨拶できず、申し訳ありません」

「いえいえ。ランドウォールと言えば、少し前男爵家になった?」

「はい。四男です」

「そうですか……ああ、すまない。掛けてくれ。ランドウォール殿も」

「結構です」


 自分でも驚くほど、固く冷たい声。

 フィリアが座る気がないと分かったのか、ルオンサは立ち上がった。


「許してほしいとは言わない。ただ、謝らせてほしいんだ」

「……いりません」

「ずっと、リーサを守れなかったことを後悔してる。謝罪にも、会いにも行かなかったことも、自分に力がなかったことも……本当に、すまなかった」

「今更、どうでもいいです」


 ルオンサは悲しそうに眉を下げた。その表情に罪悪感を覚えてしまう自分も嫌で、フィリアは目を伏せてしまった。


 元兄と対峙しても、初日ほど苦しくない。それはきっと横にアルグレックがいるから。


 けれど、横にこの男がいるからこそ後ろめたい。こんな姿、見られたくなかった。



「でも今は違う。もし、もしリーサがシュメラル家に帰ってきたいと思えば……」

「思いません!」

「リーサ……」

「私の名前はフィリアです。一生そう思うことはないし、その名前も名乗るつもりもありません」

「……それでも、私にとって、君は唯一の妹だ」



 それならどうして捨てたの。


 ついそう言いそうになって、フィリアは唇を噛んだ。



「シュメラル様。少し失礼して、風に当たってきてもいいでしょうか」

「あ、ああ」

「ありがとうございます。フィリア、行こう」




 手を引かれ、部屋付きのバルコニーに出る。少し冷えた風が頬に当たって気持ちいい。フィリアはアルグレックの顔を直視できないまま、すっかり暗くなった外を眺めた。


「フィリア」

「……なに」

「辛いなら、帰っちゃおうか」

「は?」

「それとも、言いたいことぶちまけちゃう?」

「なんでそう両極端なんだ」

「だって、フィリアなんだかずっと、言いたいけど言いたくないみたいな複雑な顔してるから」


 フィリアは口を噤んだ。図星すぎて何も言えない。

 寒くないようにとアルグレックは後ろから抱き締め、フィリアは黙ってそれを受け入れた。



「あの人見ると、苦しくなる。どうしても、私を捨てたくせにって、そう思ってしまう」

「うん」

「今更文句言いたいわけでもないのに、何か言えば恨み言が出てきそうで……自分でも、どうしたらいいかよく分からない」

「うん」


 頭に大きな手が置かれ、ゆっくり撫でられると、ささくれていた心が凪いていく。不思議な手だと思う。


「……でも俺は、フィリアに会えて良かった。魔消しだと分かって辛かったのも知ってるのに、それでもやっぱり、フィリアに会えて友達になれて、恋人になれて、心から嬉しいと思ってる」

「……!」


 アルグレックの言葉にハッとした。


 魔消しだから捨てられた。


 けれど。


 魔消しだから、アルグレックたちに会えた。魔消しだから彼らの役に立てた。


 そのことに少しの後悔もない。それどころか、彼らと出会って、初めて魔消しでも悪くない――いや、よかったと思ったことすらあった。しかも、一度ではなく何度も。


 ただそれだけのこと、とは言えないけれど、それでも随分心は軽くなった気がする。



「……ありがと」



 部屋へと続く扉に視線をやる。

 さっきまでのモヤモヤはいつの間にか消え去り、今ならしっかり元兄の目を見て話せる気がした。



「私も……あんたに会えて、良かった」

「やっぱ帰ろう! むしろ攫って帰らせて!」

「何言ってんの。タダ飯なんだから帰らない」

「ああもうこの小悪魔!」

「小さいって言うな」

「違う、そういう意味じゃない……」



 ベランダへ出てきた時とは正反対に、今度はフィリアがアルグレックを引き摺って部屋へ戻らなければならなかった。


 暖かな部屋へ戻ると、眉を下げたルオンサのところへ真っ直ぐ向い、フィリアは頭を下げた。



「失礼な態度だったこと、謝ります。すみませんでした」

「いや……僕も、今日しか時間がないと焦ってしまったから……すまなかった」



 フィリアは首を横に振りながら、覚悟を決めた。



「私は、今はただのフィリアです。もうどこかに帰りたいと思うこともありません。私の居場所は、ここだから」

「……そうか」



 自分と同じワインレッド色の瞳を直視すると、やっぱり少し落ち着かない。わだかまりは正直まだまだあるし、言いたかったことだって色々あった。


 けれど、もう充分。恨み辛みを言うよりも、きっとすっきりした。


 ぎこちなくだが、元兄に微笑んでみせた。ルオンサは少し寂しそうではあったが、それでも小さく返してくれた。



「フィリアと呼んでも?」

「はい。…………ル、ルオンサ、さん」

「! ああその……手紙を書いてもいいかい? できたら、少しずつでもいいから、フィリアのことを教えて欲しい。それに、僕のことも知ってほしい。ああ、もちろん返事はゆっくりでも構わないから……その、いつかくれると、嬉しい」



 フィリアは頷きながら笑った。ルオンサもアルグレックと同じように、焦ると少し早口になるらしい。


「え、なんであんたが泣きそうな顔してんの」

「フィリアの一言に感動してるの」

「は? 返事書くことが?」

「ちょっと予想してはいたけど、全っ然違う」


 クスクス笑うルオンサ。研究員のブルーノと共に部屋に案内された団長は、今までと違う元兄妹(ふたり)の空気に驚いていた。



 夕食会は終始和やかな雰囲気で、フィリアもそこそこ楽しんでいた。

 酔いの回ったブルーノが何度も2つの事件のことを聞いて、さもフィリアが大活躍したように団長が大袈裟に言うものだから、お尻がむずむずして仕方なかったけれど。


「フィリア嬢、たくさんありがとう! またすぐに会えるだろう! じゃ!」

「いえ、あの、ご馳そ……」

「ブルーノさんちょっと待ってください! ……手紙書くから。会えてよかった。またね」

「はい……あの、お元気で」

「フィリアも」


 3人を見送ってから、アルグレックと次の馬車を待つ。ドアマンが恭しく馬車の扉を開けてくれるなんて初めての経験だ。



「お客様。お忘れ物でございます」

「俺ですか? ……今中身を確認しますね」

「あっ、それは……」

「……すみません。受け取れません」


 アルグレックは受け取った封筒をちらりと覗いただけで、手渡してきた女給に返している。何の話だろうと首を傾げるフィリアは、その女給はギッと睨み付けられた瞬間悟った。



『刷り込みって知ってる? その人しかいなかったから、好きになったんじゃないかって言ってんの』



 ベニートンの言葉を急に思い出す。


 あれは自分にとってのことだと思っていたけれど、そうではないのかもしれない。


 アルグレックにとって、目を見ていられるのがフィリアしかいないから。()()


 もし他にそんな人が現れたら。勝手な想像で胸が締め付けられる。

 もやもやしているフィリアに、アルグレックは鼻息荒く宣言した。



「俺は、フィリア一筋だから!」

「……急に何」

「あれ? 嫉妬してくれたのかと思ったのに」

「いや?」

「なぁんだ。俺は、ベニートンに嫉妬したけど」


 すりすりと横にぴったり座るアルグレックに、フィリアはまた小首を傾けた。


「あの時のベニートンが照れてたとして、それに嫉妬すんの? あんたが?」

「全っ然違うから」

「?」


 アルグレックは呆れたように溜息をついたが、それ以上は言及しなかった。

 フィリアの手を取り指を絡める。まだドキリとするけれど、最初よりもだいぶ慣れた。


「ルオンサさんのこと、良かったね」

「うん」

「フィリアが、ここが居場所だって言ってくれて、嬉しかった」

「いや……」


 顔を上げると端正な顔がきょとんとしていて、フィリアは小さく笑った。



「私こそ、気付かせてくれてありがとう」



 素直に口から出た言葉が、キスの雨と苦しいくらいの抱擁になって返ってくるとは思わなかったフィリアだった。



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