87.頭が
予想通りアルグレックは来てくれることになった。しかも団長から先に聞いていたのか、翌朝聞く前に「絶対に行くから」と宣言された。
ありがたいし心強い。フィリアがそう素直に述べれば、アルグレックは昨日と同じところで同じように頭を打ち付けた。
「やっぱり頭……」
「正常だから」
最終日もやっぱり研究員ブルーノに振り回された。相変わらず助手の元兄の視線は鬱陶しいけれど、それも今日まで。明日の朝一番に転移魔法で帰ると言っていた。
フィリアは知らなかったが、転移魔法を使えるのは極めて稀で、よっぽど鍛練を重ねないと難しいものらしい。興奮するとクルクルした髪を掻き混ぜる癖を持ち、嬉々として魔消しのこと――本業は魔法全般らしいが――を研究している変人が、そうも凄い人物だとは思えなかったが。それに……助手も。
「さて、大方の実験には付き合ってもらえたし、そろそろ終わりにしよう。女性は準備に時間が必要なのだろう?」
「何の準備ですか?」
「夕食会の準備さ。ドレスに化粧に……時間がいくらあっても足りないと聞くけれど」
あんぐりと口を開けたまま団長へ視線を移す。
ドレスだって? そんなこと聞いていない。そんなものを着ると知っていれば全力で断ったのに!
フィリアの抗議の視線に気付いた団長は、まあまあと馬を御するように掌を見せた。
「あー……そのままでいい。ブルーノ、騎士団の制服なら問題ないだろ?」
「もちろんだとも! 女性は着飾りたいものかと思っていたんだ。フィリア嬢はドレスが苦手なのかい?」
「庶民はドレスなんか持ってません」
「ああ、それは失礼。まあ、それならもうひとつふたつ研究にお付き合い願おう!」
どうにか最悪の事態は免れた。ブルーノは研究のこと以外はとことん興味がなさそうで、常識にも疎い。もしかしたら貸し切った店もドレスコードが必要な店なのかもしれないが、主催者の許可を得たのだから問題ないだろう。団長に助けを求めて正解だった。今夜の夕食会もなんとか調整して来てくれるらしく、とてもありがたい。
フィリアはいつの間にか、自然と周りに助けを求められるようになっていた。本人の自覚はなくとも。
結局3つほど研究に協力して、フィリアは一足先に解放された。アルグレックとの待ち合わせまでまだ時間がある。中庭のベンチに腰掛け、ぼんやりと綺麗に刈られた芝生を眺めた。
「あれ、フィリアじゃん」
「げっ」
「随分なご挨拶だなぁ。何してんの。先輩待ってるの?」
「まあ」
ベニートンはあれからやたらに親しげに話しかけてくる。フィリアは未だに苦手意識が消えないが、男は全く気にした様子はない。
それは今も同じで、ふうんと呟きながら横に座ろうとしてくる。
「何の用」
「別に? え、なんで立ち上がるのさ」
「横に座る意味が分からないから」
「先輩はいいのに?」
「あいつとあんたは違うだろ」
不服そうに唇を尖らせられても可愛くはない。落ち着かないからとにかく座ってと強めに言われ、フィリアはベンチのギリギリ端に腰掛けた。いつでも立ち上がれるように。
「そんなに警戒しないでよ」
「いやするだろ」
「なんで」
「自分の胸に聞けば」
横を警戒しながら、視線でアルグレックを探す。ベニートンがここにいるということは、きっと演習は終わったのだろう。
「……あんたほんとに、先輩が好きなの」
「あんたには関係ない」
「刷り込みって知ってる?」
「は? 何の話」
「その人しかいなかったから、好きになったんじゃないかって言ってんの」
フィリアは思わぬ言葉に瞬きを繰り返した。ベニートンは真剣な顔でまっすぐ彼女を見つめている。
「もしそうだったとしても、それの何かダメなんだ?」
きょとんと首を傾げた途端、新入りの顔が真っ赤に染まった。怒鳴る直前かと思いきや、言葉にもならないらしい。
「ベニートン……お前隠れて人の恋人に口説くなんていい度胸だな……」
「げっ、先輩! 別に僕は何も……っ!」
「――!」
フィリアはアルグレックを見て固まった。
彼はいつもの練習着とは違う、騎士団の制服に身を包んでいる。自分とほぼ同じ服を着ているというのに、どうしてこうも違うのか。
それに、おかしい。
前に制服姿を見た時、この男はこんなにキラキラして見えただろうか?
「フィリア? 見惚れた?」
「は? なっ、なんっ、はあ!?」
「え、うそ、ほんとに?」
「うわあ。ほんと勘弁。はいはいご馳走さまです」
うんざりした顔のベニートンがその場を去ると、顔の赤い2人だけが残った。
「えっと……じゃあ、行こっか」
「う、うん……」
無言のまま並んで歩く。
団長が呼んでくれていた馬車に乗り込むと、アルグレックは横にぴったりとくっついて座った。
「まだ城館の敷地内だけど」
「閉め切ってあるし、ダメ?」
「……」
無言は肯定だと、調子に乗ったアルグレックは、フィリアのこめかみに口付け、ぎゅっと抱き着いた。
フィリアは何も言葉が出ないのか、あえて黙っているのか自分でもよく分からなかった。
「自分でも小さい男だと思うけど……その、ベニートンと何の話してたの?」
「あんまり覚えてない。大した話はしてないと思うけど」
どんな話をしたか思い出そうとしたが、逃げようとベンチの端っこギリギリに半分落ちながら座っていたことくらいしか覚えていない。
首を傾げるフィリアに、アルグレックは少し拗ねたような声を出した。
「だって、ベニートンの顔赤かった」
「そうだったか? 怒鳴ろうとしたか、暑かったんじゃないの」
「……顔が赤くなる理由は、他にもあるだろ?」
「あるか?」
本気で分からない顔をしていると、急に視界が暗くなって、唇に柔らかいものが触れた。
「……っ!?」
「フィリア今顔真っ赤だけど、それはなんで?」
心臓は煩いし、頭が真っ白だ。まだ城館の敷地内かもしれないのにと妙に焦る。
まだ拗ねた顔のアルグレックに「なぁなんで?」と追い討ちをかけられて、フィリアは浮かんだ言葉をついそのまま口にした。
「……う」
「う?」
「う、嬉しい、から?」
真っ赤な顔で困ったように眉を下げ、自然と上目遣いになったフィリアに、アルグレックは一瞬で夕陽のような顔に変わった。
「ちょっと待ってほんとズルい。悶え死ぬ。なんでそこで正解より良い言葉が出てくるんだよ!」
「はあ? じゃあ正解は何」
「照れてるとか恥ずかしいとか! そういうの!」
「はあ!? なんっ、あっ、あんたが変にもったいぶるのが悪い!」
「ああもうこの人たらし……きゅん死にさせる気だろ……」
「ほんっと意味分かんない!」
お互い顔を背けて顔の火照りを取ろうと必死だ。
先に立ち直ったのはアルグレックで、わざとらしい咳をひとつ零した。
「つまり」
「……なに」
「フィリアは、キスされると嬉しいんだ?」
「――!」
顔に熱が戻ってくる。いや、さっきより酷い。
フィリアは咄嗟に、馬車にある上等なクッションを投げつけた。見事に顔面にヒットしたのに、アルグレックは嬉しそうでまた腹が立つ。
「うるさい! 知らない!」
「あ〜やばい……夕食会だけじゃなくて1か月くらいなら余裕でにやけちゃいそう」
「やっぱり頭おかしい!!」
「超正常……ふふ」
フィリアは投げつけたクッションを奪い返して、今度は自分の顔に押し付ける。
確かに顔が赤くなるのは恥ずかしいからだ、と身をもって知ったのだった。




