86.つい
フィリアは翌日も城館に来ていた。今日もあの研究員たちに呼ばれているからだ。
昨日と同じようにアルグレックは城門に迎えに来て、心配そうな顔で何度も同じことを言っていた。
「ほんとにひとりで大丈夫? ついていけないのが残念」
「あんただって仕事だろ。団長もいるって言ってたし、まぁなんとかなる」
「そうだけど……とにかく、くれぐれも無理しないように!」
「はいはい」
「ああぁ、やっぱりついていきたい」
周りに見えないように、未だにブツブツと言う男の指を少しだけ握る。
驚いているアルグレックに小さく笑った。
「もう大丈夫だから。あんたのおかげで」
すぐに指を離すと、アルグレックは廊下の壁に頭を打ち付けた。とても痛そうな音を伴って。
「ああもう、ああもう、ああもう!」
「いやなんなの」
「フィリアが可愛すぎて辛い……」
「あんた頭大丈夫? いろんな意味で」
「めちゃくちゃ正常!」
フィリアはアルグレックの冗談のおかげで気持ちがより楽になった。
それでもまだ渋る男と別れ、団長の執務室へと向かう。足取りはそう重くはなかったが、部屋の前にいるひとりの男に気付くと、一気に嫌気が差した。
「リーサ。話をしたいんだ」
「……フィリアです。話すことなんてありません」
「お願いだよ、リーサ」
「だから! …………その名前と一緒に捨てたのは、あんたたちだろ」
伸ばされた腕を避けて執務室に滑り込む。
団長からの気遣わしい視線に、挨拶をする振りをして顔を背けた。きっと外の声が聞こえていたのだろう。廊下が響きやすくなっていることを失念していた。
「やあ、フィリア嬢! 昨日は色々協力してくれて感謝するよ。疲れは出てないかい? よし、では今日も頼むよ!」
まったく気にした様子のない研究員に救われる。
今日もあれやこれやと実験に付き合わされ、振り回されるのは大変だったが、その助手からの煩わしい視線を無視するにはちょうど良かった。
ちなみに、魔消しでも魔力のみの回復薬なら効くはずだと団長に言ったのもこの研究員だったらしい。
午後には以前お試し治癒魔法を受けたパブロ・アロンソとかいう魔術師も来るという。彼のことは朧気ながらなんとなく覚えている。確か、彼も変な人だった。
ゆっくり休憩してこいという団長の鶴の一声に、フィリアは逃げるように部屋を後にした。今日も食堂の利用許可をもらったが迷う。
誰かに会いたい。できれば、アルグレックに。
騎士棟の外に出ると、すぐに見知った人物を見つけて駆け寄った。
「……ミオーナ!」
「あら、フィリア。どうし……!?」
そのまま勢いよく抱き着くと、ミオーナは驚きつつも受け入れてくれた。ああ、ほっとする。
すぐ横からクスクスと笑い声が聞こえて、初めてミオーナがひとりでいたのではなかったと気が付いた。一緒にいたのは女騎士のカミラだった。
「何かあった? 大丈夫?」
「ごめん。大丈夫。ちょっと、その、色々あって」
「これから食堂に行くんだけど、一緒に行く?」
「うん。ちょうど団長に許可もらったとこ」
「フィリア!?」
焦ったようなアルグレックの声に顔を上げると、声色に相応しい表情の男がこちらに走り寄ってきた。
「何か言われた? ああやっぱりついていけばよかった。しかも俺じゃなくてミオーナに抱き着くなんて……」
「いやそこかよ」
冷静なツッコミにセルシオもいたのかと気付く。自分でも驚くほどに余裕がなかったらしい。
結局4人で食堂に移動することになった。食堂に入ると一斉に視線を向けられたが、憎悪のそれではないのでさほど気にならない。
フィリアが注文したのは前回と同じバゲットサンドだった。最初は彼らと同じものにしようと思っていたが、どう考えても食べられる量ではなかったので、慌てて知っているものを注文したのだ。
「おお、久しぶりに食堂に来てくれたんだな」
「? はあ……」
「おいおい。もう忘れたのか。騎士棟食堂の料理長ドーデだ。あの時はありがとうな。これはおまけだ。しっかり食わねえと大きくなれねえぞ」
「え、あ、いや……ありがとうございます」
ムキムキの料理長からはプリンをもらい、それを真似たらしい他の料理人からもドーナツやらクッキーやらとおまけをもらった。トレイの上が甘いもので溢れかえっている。
ここまでくると、もらえるものはもらっとく精神も考えものだ。
全員山盛りのトレイを持って、人がほとんどいない端のテーブルに揃って腰を下ろした。
「すごいね、フィリアのトレイ」
「これじゃあ縦じゃなくて横に大きくなる」
「あんたはもう少し肉を付けるべきよ」
「フィリアちゃん、モテモテだな」
どうして騎士の食堂にこんなに甘いものがあるのかと問えば、第三部隊隊長のバースが顔に似合わず大の甘党らしい。
その顔を思い出そうとしたが、すぐに諦めた。あの時の隊長クラスは全員既にごちゃごちゃになっている。どうせ正解は分からない。
「それで今日はどうしたっていうの? フィリアから抱き着いてくれるなんて、これで2回目ね」
「は!? ちょ、ミオーナには2回もあるの!?」
「あら、あんたないの?」
「うっわムカつく……!」
「で? ほんとに何があったの?」
なんとなく近くに人がいないことを確認してから、フィリアは小さな声で助手との関係を簡潔に話した。最後まで悩んだが、結局爵位を持つ家の出だということも打ち明けた。
「だからまあ、話しかけられても困るというか。逃げてきた先でミオーナを見つけたから、つい」
「つい、私に抱き着いちゃった訳ね。私に」
「心の底からムカつく……!!」
ただ愚痴を零しただけなのに、少しすっきりした気分になった。これで午後も乗り切れそうだ。
「とにかく! 万が一食事にでも誘われて押し切られたら俺も行くから」
「ないと思うけど……まあ、その時はよろしく」
そう思っていたが、残念なことにその機会はすぐに訪れた。
研究員ブルーノ――ようやく名前を覚えた――が、明日の最終日に夕食会を用意していると言い出したのだ。
ただでさえ魔術師のパブロとブルーノとの大盛り上がりで疲れたというのに、余計に疲れが襲ってくる。
助けを求めるように団長を見たが、彼も初耳だったらしい。
「あれ? ベルトランに言ってなかったっけ?」
「初耳だ! 急にそんなこと言われても、こっちにも予定があるんだぞ」
「じゃあ君は不参加で構わないよ。フィリア嬢にお礼することが目的なんだから」
「いえ、あの、別にお礼とかいらないです」
「もう一棟丸々貸し切ってあるから遠慮は無用さ! 苦手なものはあるかい? 出さないように申し伝えておこう!」
こうなれば覆るのは難しいことは、フィリアはこの2日で理解していた。団長に肩を竦めて見せると、彼は眉尻を下げた。
「それならせめてこいつの恋人の参加させよう。ブルーノ、構わないな?」
「もちろんさ!」
「リ……フィリア、嬢には恋人がいるのか。それはぜひ会ってみたいな」
「……」
巻き込んでしまっていいのか悩むが、心強いのも確かで。きっとフィリアが請えば何としてでも来てくれる気はする。
ただなんとなく、元兄に現状を知られたくないと思ってしまう。不貞腐れているのか、意地悪をしたくなるような気持ちになるのだ。
嫌な人間だなと自己嫌悪になりながら、フィリアは結局返事ができなかった。




