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82.湖上舞台

 遠目に見えた建物が目前になった頃、アルグレックは眼鏡をかけた。


 いつもの行動なのに、フィリアは妙に嬉しくなった。

 この男の素顔を見られるのは自分だけ。そのことが今になってとても特別なことのように感じられた。



「あそこ、湖上に舞台があるのが見える? 湖上人形劇があって、結構有名なんだ」

「へえ。知らなかった」

「俺も見たことないから、時間合えば一緒に見ない?」

「見る」


 城館側とは違い、想像以上に賑やかな場所だった。湖に面した店がずらりと並び、時折湖から噴水が上がる。初めて見た時フィリアは小さく感嘆を漏らした。

 そんな彼女を見て、アルグレックは下がりきった目尻を細めていた。


 目当てのレストランはまだ少し先にあるらしく、ぶらぶらと店先を覗きながら歩を進めた。土曜日ということもあって、街はとても賑わっている。屋台もいくつか出ており、見るだけでも楽しい。


 一軒一軒店や屋台を覗いていたが、フィリアはある店で視線を止めた。木の器を扱う店だ。


「器が気になる?」

「家のは全部バラバラだから。うちに集まった時に、セルシオがいつも困ってる」

「あー、確かに……寄ってみようか」



 家にあるものは全部質はいいが、大きさも形もバラバラで、ひとつも揃いがないのだ。フィリアはそうすることの気持ちがよく分かった。


 ひとりなのに、ペアなんかあっても余計虚しいだけなのだ。


 けれど今はそうではない。むしろ正反対の気持ちだった。


 店に入ると木の良い香りがした。大小様々な大きさや形の器が所狭しと飾られており、一部には陶器製のものもあった。

 ひとつを手に取ってみる。軽いのに丈夫そうで、よく磨かれているのかつるりとした手触りが気持ちいい。フィリアはすぐに気に入った。

 大小の平皿とスープ皿を帰りに買おう。

 そう決めてアルグレックを探せば、彼は陶器のカップを見ていた。その目はとても真剣で、フィリアもつられてその手に持っているカップを見た。


「ああ、フィリア。何か買う?」

「うん。帰りにまた寄りたい。アルグレックは?」

「あ、いや、綺麗な色だなって」


 艷やかな黒の胴に、ワインレッドに色付けられた取手。下の付け根が外側にくるりと巻かれているのが可愛らしい。

 視線を落とせば取手部分だけいろんな色がある。すぐに菫色の取手が目に入って、フィリアは慌てて他の色にも視線をやった。


「それ、買うのか?」

「うーん……帰りに寄るならちょっと悩んどく」



 店を出て、また店を冷やかしながらレストランへ向かう。その途中の屋台でまた視線を止めた。



「気になるのあった?」

「……いや。何でもない」



 フィリアの視線の先にあったのは、雪の結晶をモチーフにしたアクセサリー店のディスプレイだ。つい、ここに来る前のアルグレックの魔法を連想して凝視してしまった。



 多くの店がそうであるように、目当てのレストランもオープンテラスになっている。多くの人で賑わっていたが、運良く端の席に座ることができた。


 店のオススメは湖で捕れた湖魚の料理で、アルグレックとシェアしながら舌鼓を打った。彼が勧めるだけあってどれも美味しく、特に白ワイン蒸しされた貝はスパークリングワインによく合い、思わずミオーナに持って帰りたくなったほどだ。



「1時に人形劇があるみたいだから、そろそろ出て場所取りしよう」

「うん。その、ご馳走さま」

「どういたしまして」


 アルグレックが出すと言って聞かなかったので、素直にご馳走になった。その代わりに、次にカフェで休憩する時はフィリアが奢ることになっている。


 お金を出すのになぜ嬉しそうなのだろうか。不思議だ。



 驚くことに、湖上舞台の正面の砂浜は既に人で埋まっており、一段上がった石の柵に凭れて見ることにした。そこももうすぐ埋まりそうな勢いで、人形劇の人気具合がよく分かる。


「ごめん、ここでちょっと待ってて」

「うん」


 アルグレックが離れた隙に両横が詰められそうになって、フィリアは慌てた。場所をキープするカバンも荷物もなく、先に木の器でも買っておけば良かったと後悔したけれどどうしようもない。

 困ったフィリアは、広めに両手を付いて、詰めてくる人に対抗することしかできなかった。


 しばらくして両手にワインカップを持ったアルグレックが戻ってきた。


「お待たせ。すごい人だね」

「ごめん。あんまりスペースキープできなかった」

「充分だよ。ありがとう。これ、ホットサングリア。じっとしてると寒いから」


 柵の上にカップを置くと、アルグレックは隙間に身体を滑り込ませてフィリアを抱き寄せた。腰に手が回されて、右半分を後ろから抱き締められている。



「ほら、こうすれば充分」

「……あっそ」



 ぶっきらぼうな返事は、おそらく照れ隠しだとばれている。さっきまでじっとしていれば少し肌寒かったはずなのに、今はむしろ少し暑い。主に顔と背中が。



 こんな状態で人形劇を楽しめるもんかと思っていたが、フィリアはあっという間にその世界に引きずり込まれた。


 舞台は湖上にぽつりと浮かんでおり、背景の描かれた幕が吊るしてあるだけの簡素なものだった。唐突に音楽が鳴ったと思うと、袖幕から人形が()()()()()()()きた。何度目を凝らしても、糸も紐も、支える棒すらない。


 口をあんぐり開けたまま不思議に思っているフィリアに、アルグレックが小さな声で、


「魔法で動かしてるんだ。舞台の地下が部屋になってて、そこから」


 と教えてくれた。どうやらあの湖上舞台は船のようになっているらしい。フィリアは舞台から視線を外すことなく頷いた。



 演目は喜劇らしく、かなりおっちょこちょいの主人公の人形が間違って出世してしまい、あろうことか騎士の重役として戦いの前線に送られてしまう。けれどそのずば抜けた間抜けさに助けられ、無事に生還したのち領主の娘と結婚する、という話だった。


 セリフはなく、コミカルな動きと歌でストーリーが進行する。

 アルグレックの楽しそうな笑い声も何度も聞こえてきて、その度にフィリアも堪え切れずに何度も小さく笑ってしまった。


 舞台の上で結婚式が行われると同時に小さな花火が打ち上がる。

 フィリアは驚きの余り声を上げて後ろに一歩後退ろうとして、アルグレックにぶつかった。


「ごめん」

「大丈夫?」

「うん。音に驚いただけ」


 また視線を舞台に戻せば、婚礼衣装に身を包んだ人形2体が観客に手を振っている。心なしか嬉しそうに見えて、その可愛らしさに目を細めた。



「……可愛い」



 一瞬自分の声が漏れたのかと思ったが、声はすぐ頭の上から聞こえた。同時に頭に柔らかいものが触れて、フィリアは何だろうと不思議に思った。



「ごめん……その、ごめん。我慢するって言ったのに、無意識に、その」



 その言葉で何をされたか理解したフィリアは、振り返りかけた首を勢いよく元に戻した。言葉が出ないのに、心臓が煩くて顔が熱い。


 あの時彼は確かに「もう少し待つ」と言った。絶対に言った!


 いつの間にか舞台は終わり、観客がぞろぞろと出口へ向かっても、2人はその場で固まったままだった。



「フィリア、怒ってる?」

「…………少しが、短すぎる」

「返す言葉もない……その、嫌だった?」

「うるさい知らない」


 ダメだ。語彙力がどんどんなくなっている気がする。その上、別に嫌ではないことまでバレている。

 さっきまでのしおらしい声はどこへやら、嬉しそうな声で小さく笑って腕の力を強めた。フィリアはただされるがままだ。


 ……今更だが、この男はスキンシップが好きらしい。



「フィリアに、受け取ってほしい物があるんだ」

「なに」


 アルグレックはするりと腰に巻き付けていた腕を外すと、そのままフィリアの手首に何かを付けた。大きな両手が離れたそこには、雪の結晶の金細工を中心に青紫色のガラス玉が3つずつ付いていた。


 それは、昼食前にフィリアが目を留めたものとまったく同じもので。


「その、他の隊員たちが、恋人ができたら自分の色ばっかり付けてほしくなるって言ってた気持ち、やっと分かった」

「……へえ」


 その感覚はフィリアにはまだ分からない。正直なところ、気恥ずかしい方が強い。


「この人の恋人は俺ですって大声で言いたいけど、言わない代わりにアピールするんだよ」

「ふうん」

「フィリアが得意な牽制と一緒」

「うるさいな」


 確実に根に持っている。結局その牽制だってあまり意味はなかったのに。


 楽しそうにくつくつと笑う男を余所に、フィリアは心のどこかでほっとした。


 本当の恋人になる、ということが正直よく分からない。今までと同じではないのだろうか。変わってしまうのが、少し怖くもあった。


 けれどそう怯えなくてもいいのかもしれない。たまに熱っぽい目で微笑みかけられるが、それも今までだってあるにはあったことだ。思い出すだけで、急に目が合わせられなくなるのはどうしたものか。



「だから、このままもらってくれたら嬉しい。その……本当の恋人になった記念に」



 少し照れたような声に、フィリアは心臓を押さえたくなった。痛くないのにきゅうっとする。ドキドキとはまた違う気持ちだ。


 なぜか急に、この整った顔の男が可愛く見えた。



「……くれるっていうなら、もらっとくけど」



 絞り出した言葉は我ながら可愛くないなと思ったが、その心配はすぐに消えた。抱き締められたうえにさっきと同じ柔らかい感触をこめかみに感じて、またしても硬直してしまったのだ。


「~~~っ! 今のは絶対無意識じゃないだろ!」

「可愛すぎるのが悪い」

「はあ!? 意味不明!」



 係員に早く出るよう怒られたのが、救いのように感じた。



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