81.湖のジンクス
団長と話した日の翌夜、アルグレックから手紙が来ていた。金曜日にいつか言っていた湖のレストランへ行かないかというお誘いで、フィリアはすぐさま了承の手紙を出した。
なんとなく緊張するのは仕方ないことだろう。自分の気持ちを言えたら言おうと思っているからだ。
そんなフィリアの気持ちを察してか、ミオーナが前日から泊まりに来て、あれこれと世話を焼いてくれた。諦めたように何もするつもりのなかったフィリアは、服も髪型も化粧も全て彼女におまかせした。
「跡も綺麗に消えて良かった。デニスへの仇はきっちり特隊――主にアルグレックが取ったからね! 共同演習でボッコボコにしてたわ」
「誰それ」
「あんたを殴って蹴った馬鹿のことよ!」
「ああ、ナントカ補佐」
「もう補佐でもなんでもないわ。降格して役職は外されたもの。ざまあみろよ」
ナントカ元補佐もといデニスという男は、過激派ではなく単に利用されていただけだったらしい。全く興味の湧かないフィリアは、ふうんとだけ言った。顔も覚えていないのだから、今後城館で擦れ違っても気が付かない自信がある。
「それにしても、未だに信じられないわ……あのヘラルドさんがあんなことするなんて……」
「……うん」
「ちらちらフィリアのこと見てたから、てっきり好きなんだと思ってたのに」
「いやそこは魔消しだからって分かるだろ」
「だってすっごく熱心だったのよ……ごめんなさい。この話はもうお仕舞にしましょ」
「うん」
ヘラルドの名前が出ると、特隊員は誰もがまだ切ない気持ちになる。それはフィリアも同じで、2人で悲しげに微笑んだ。
フィリアは朝からいつもより少し落ち着きがなかった。そのことに気付いてもミオーナは何も言わず、アルグレックとの待ち合わせ場所の近くで別れる時にそっと背中を押した。
「お待たせ」
「ううん、さっき来たとこだよ。じゃあ、行こっか」
「うん」
自然と繋がれる手に、少しだけドキッとしながらも安堵する。フィリアはバレないように視線を反対側に向けた。
……それが反対に気付かれる行為だと知らないのは本人だけ。
アルグレックは耳が赤いフィリアを見て満足気に微笑んだ。
「少し遠いから馬車に乗ろうと思うんだけど」
「歩いたらどのくらい?」
「30分ちょっとかな。俺は平気だけど、フィリアしんどいだろ?」
「平気。歩ける」
「そう? じゃあ歩こうか」
そのくらいなら馬車代が勿体ないと、条件反射のように思ってしまう。お金には全くと言っていいほど困っていないのに、染み付いた貧乏性は治らないらしい。
ああ、でもこれじゃあアルグレックには守銭奴と思われたかもしれない。知っているとは思うけれど、なんとなくそれは嫌だ。何か言い訳でもするべきなのだろうか。
「歩いた方が長くこうやってられるから、歩く方が俺も嬉しい」
「……ああそう」
きっとフィリアが馬車に乗ると言えば、違った言葉でこんなことを言ったのだろう。この男は本当に気が利くというか、フォローが上手いなと思う。
すぐにこうやって、喜ばせてくれるのだから。
それなのに自分は、そんな気の利いたことが言えないどころか可愛気のない返事しかできない。
今に始まったことではないなと、フィリアは歩き出すと同時に深く考えることを止めた。意識が手や腕に移ってしまったからだ。
「来週、研究員が来るんだって? 助手連れてくるとか」
「うん。木曜日の魔消しに間に合うようにって」
「ということは火曜日の遠征でなんとしても勝って立会人を……はっ! あれから姿絵が届いたりは?」
「ある訳ないだろ、そんなもん」
「名前は?」
「忘れた」
フィリアらしいと笑われる。特隊のメンバー全員の名前を覚えた時点でキャパオーバーだ。
城壁に沿って少し歩けば湖が見えてくる。少し向こうには建物もいくつか見え、目的地はあそこなんだろうなと推測した。
いつもより少しだけ口数が少ない。
2人とも湖へ視線をやりながら、心の中でタイミングを見計らっている。
「そうだ。フィリアはこの湖にまつわるジンクス知ってる?」
「いや」
「湖に雪が降ったら良いことが起きるんだって」
「へえ…………え?」
「ふふ」
急に小さな雪がチラチラと降ってきて、フィリアは驚きのあまり足を止めた。けれど横にいるしたり顔の男を見て、すぐにどういうことか理解した。
アルグレックの魔法だ。
「これで、フィリアに良いことがありますように」
目を細めて優しい笑顔を浮かべるアルグレック。
その顔を見て、フィリアは何故だか胸が締め付けられるような切なさと温かい気持ちが湧き上がってきた。
自然と眉を下げて笑ってしまう。
ああもう。本当に、この男は。どこまで優しくて、どこまで喜ばせるのだろう。
本当に、私はこの人が。
「好き」
タイミングとかそんなものを全部無視して、気付けばそう零していた。
アルグレックが目を瞠ったのを見ながら、溢れる気持ちのままに言葉が溢れた。
「アルグレックが、好き」
フィリアは小さく微笑んだ。
今まで恥ずかしがっていたのは何だったのだろう。言えなかったことが嘘のように。
心臓がいつもより早い。
けれど、どうしても今言いたくなったのだ。
「……それは、俺と同じ?」
「うん。同じ種類の」
「ああ、フィリア!」
ぎゅうっと抱き締められる。フィリアもそろそろと背中に腕を回した。
喜んでいるのが分かる。だから、嬉しい。
「やばいどうしようめちゃくちゃ嬉しい」
「程度は違うかもしれないけど」
「それって牽制?」
「牽制?」
「キs」
「牽制!!」
頭の上からクスクスと笑う声が聞こえる。悔しくなって腕の力を強めたが、同じように返ってきただけだった。
「分かった。もう少し待つよ。もう少しだけね」
「念を押すな!」
「でも待てなかったらごめん」
「うるさい知らない聞くな!」
恥ずかしくて悔しくて背中を抓る。
痛い痛い、なんて全く思っていない声も、無駄な肉がなくて摘みにくいのも腹立たしい。
「本当は、俺が先に言うつもりだったんだ」
「何を?」
「今日こそ、フリじゃなくて本当の恋人になってって」
「ふうん」
「いい?」
「……それ、選択肢あんの」
「ある。だから、うんって言って」
果たしてそれはあると言うのか。
言質取るまで引く気のない雰囲気に、好きと溢れた時より緊張するから不思議だ。手がじっとりとして、喉が引っ付く。
「…………うん」
絞り出た声は少し掠れてしまった。アルグレックはお構いなしにさっきよりも強く抱き締めた。ちょっと苦しい。
しばらくそうしていたが、満足したのか身体がゆっくり離れていく。目を合わせるのが恥ずかしくて下を向いていたが、名前を呼ばれておずおずと視線だけ上に向けた。
「フィリア。大好き」
「…………私も……好き」
融けて消えそうなほど恥ずかしいけれど、言われるのも、言って嬉しそうな顔を見るのも悪くない、なんて。
喜色に溢れる笑顔に、フィリアも控えめに返した。
いつの間にか魔法の雪は消えている。
ジンクスも馬鹿にできないな、と心の中でこっそりと思った。
やっと! 80話でやっと……っ!
これからどんどん加糖(過糖)していきたいと思います!(鼻息荒め)




