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79.信じる

 ここはどこなのか。

 城館には行かないのか。

 何か目的があるのか。

 どうしてうちに魔虫がいたのか。


 どうして、この人がここにいるのか。



「疑問が多すぎて、どれから聞けばいいか分からないような顔だな」

「……っ!」

「全部顔似出てる。君は、本当に分かりやすいから」

「……」


 フィリアは真っ直ぐに男を見上げた。口当てをした熊のような大男――特隊の、ヘラルド隊員を。


 薄く開いた唇からは、小さく「なんで」という言葉しか出てこない。


 この状況で、見知った人を目の前にしているというのに、フィリアは少しも安心できなかった。

 ヘラルドの表情は、どう考えても助けてくれるものではなかったから。


 動けないフィリアをひょいと担ぎ、ヘラルドは荷馬車を降りた。血が上ったせいで殴られた頬がドクドクと響くし、担がれた部分はちょうど蹴られた場所で痛い。それなのに文句ひとつ口から出てこない。


 ヘラルドは無言で森の中を進む。大股でずんずん進み、小川のほとりでフィリアをどさりと降ろした。丁寧でも荒っぽくでもなく、まるで荷物を置くように。



「これから、どうするつもりなんですか」



 頭が真っ白のまま零れたのは、そんな言葉だった。

 ヘラルドはくしゃりと顔を歪めた。それが笑っているのか悩んでいるのか判別できないような顔で。



「悩んでいる」

「は……?」

「君が、ゴードンのようだったら良かったのにな」



 ゴードンとは前任の特隊専属魔消師だ。眉間に皺を寄せるフィリアを見て、ヘラルドは今度こそ笑った。今にも泣きそうな笑みを。


「ゴードンのように、不真面目で、魔法の使える者(おれたち)を憎んでいてくれれば、こんな気持ちにならなかったのに。殺すことに、こんなに迷うことなんてなかったのにな」

「憎む……?」

「ああ、そうだ。それなら、心置きなく君に罪を被せて殺せた。冬来虫を作った首謀者として」



 ああ、やっぱり。信じたくなかったのに。


 特隊員が、ヘラルドが、嵌めた側の人間だなんて。



「……ずっと、魔消しなんか死んでも構わないと思っていた。神を信じているし、その神に嫌われた人間など、価値がないと」

「……」

「だから俺が魔消しを殺す役に選ばれたんだ。適当な時に殺せる特隊(ポジション)にいる俺が。なのに……」


 ヘラルドはベルトから剣を外した。それでも鞘からは抜かず、柄頭に両手を重ねて置いただけだった。



「なのに君は、俺の知る魔消しとは違った。真面目で、不器用で、お人好しで。表情が乏しいようで分かりやすくて。知れば知るほど、憎めなくなった。まさか、あの敬虔なバース隊長まで君を見る目が変わるなんてな」



 少しずつ陽が落ちていく。ヘラルドは何かを待つように、遠くを見た。



「君はどれに賭ける? 俺が君を殺す決心をするのが先か、俺と君2人とも殺されるのが先か、特隊が来るのが先か」

「特隊が……?」

「特隊は、みんな君のことをかなり気に掛けてるから、もしかしたらすぐ来るかもしれない。分かっているのに覚悟が決められないんだよ。君がもっと、憎み憎まれる存在なら良かったのに」



 フィリアは痛さを無視して唇を噛んだ。

 小さな声で呟いた「違う」という言葉は、ヘラルドの耳にしっかり届いたらしい。


 なんでこんなところに連れてこられたか分からない。何の目的で嵌められたのかも分からない。殺される理由だって。


 それでも、これだけは。



「憎んでた。魔消しだって見下す人間は、みんな憎かった。ずっと。大嫌いだった」

「……そうか」

「でも、そんな人間ばっかじゃないって思えたのは、魔消しでも悪くないかもと思えたのは、ここに来てから、みんなに会えたから。それは、ヘラルドさんにだって」



 ヘラルドの瞳が大きく揺れた。


 フィリアはその表情を見て、不思議なことに怖さがなくなっていくのを感じだ。ただ、悲しみばかりが胸に広がっていく。



 ずっと大嫌いだった。自分も、他人も。


 誰も好き好んで魔消しになったわけじゃないのに、勝手に嫌われて。


 悪いことなんてしてないのに。ただ生きているだけなのに。それすら悪いことなら、いっそのこと手を下してくれないか。自分ではそうする勇気が出ないから。


 そう思っていたのに。今はもうそんな気持ちは微塵も湧かない。


 ここに来て、彼や彼らに出会って、受け入れてもらえて、役に立ちたいと初めて思えた。役に立つ喜びを知った。


 誰かを、信じるということも。



「……だから、今は憎んでないと? 俺に殺されても?」

「アルグレックたちが来てくれると信じてます……貴方と、同じように。これじゃあ賭けになりませんね」

「――っ」


 本心だった。きっと、彼らは、彼は来てくれるだろう。

 だからフィリアは少しも怖くなかった。以前のように、このまま死んでもいいとも思わなかった。




 アルグレックは焦っていた。


 まさか特隊員の中にフィリアを陥れる人間がいるなんて。いや、信じたくなかった。


 フィリアの家の結界の魔法陣がおかしいことには気付いていた。だからあの場ですぐに描き直したし、念の為隊長たちにも報告した。

 ただのミスだと、そう思ったままでいたかった。


 いや、恐らくヘラルドはわざとあんなすぐに露見する魔法陣を描いたのだ。()()()()()入れない結界魔法陣なんて。この時のためなのか、前もってバレるようになのかは分からないけれど。


 今回フィリアを城館から帰すと発表された瞬間から、以前からマークされていた数人が動いたらしいと、アルグレックたちは先程聞かされたばかりだ。


 動機や目的は聞かされていない。スパイか、過激派か、クーデターか。ともかく組織的であることは間違いないようだ。


 そのうちのひとりがヘラルドだと聞いた特隊員たちは、動揺しながらも捜索と後方援護の二手に分かれた。アルグレックはもちろんフィリアを探す前方の班だ。


 場所は既に分かっている。これも恐らくわざと、ヘラルドはフィリアに冒険者カードを持たせたままだからだ。


 アルグレックは無意識に唇を噛んだ。今まで証拠がなく動けなかったとはいえ、これではまるで彼女が囮にされたようではないか。


 これも、もしかしたらヘラルドがフィリアを囮にした罠かもしれない。だとしてもそれがなんだ。自分はただ彼女を助けるだけに動く。それだけだ。


 それでもやっぱり、ヘラルドのことも信じていたかった。





「フィリア! ヘラルドさん!」


 遠目にもアルグレックたちの姿が見えた。

 フィリアはそちらを見たが、ヘラルドは動かない。剣を抜くでもなく、ただじっと固まったまま。

 アルグレックがぐんと飛び跳ねたと思ったら、急に浮遊感を覚えて後ろに下がっていた。


 他の隊員がヘラルドを取り囲んでいるのが見える。誰も彼も辛そうな表情を隠さずに。


 アルグレックは素早く縄を切ると、眉を下げてフィリアの全身を確認した。



「頬が腫れてる。まさかヘラ」

「違う。大丈夫」

「大丈夫なもんか! でも、無事でよかった。心配した。ほんとに」



 フィリアは小さく笑った。それは心からの安堵だった。

 心配そうに見つめる男の腕にそっと手を置く。大丈夫だからと伝わるように。



「アルグレックなら来てくれるって、信じてたから」



 目を瞠ったアルグレックだったが、すぐにがばりとフィリアを抱き締めた。

 蹴られたところがちょっと痛い。けれど口を噤んだのは、止めてほしくなかったから。




「ヘラルド……残念だよ」


 隊長の悲しそうな声に、ヘラルドは無言で頭を下げた。

 アルグレックの腕の力が少しだけ強くなる。フィリアも小さく拳を握り締めた。



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