73.意地
翌朝、フィリアはドアを叩く音で目を覚ました。
身体が重い。
昨日は何人に魔消しをしたか、今日は何人にするのかも分からない。なんとなく、聞く勇気が出なかった。
「フィリア? 起きてる?」
「うん……」
ミオーナの声が聞こえてきて、フィリアはかろうじて返事をした。軋む音がしそうな身体をなんとか起こし、目を擦る。開けられたドアから、いい匂いが流れ込んできた。
「昨日はお疲れ様。フィリアのおかげで、かなり体調も良くなったわ! あら? 昨日そのまま寝ちゃったの? 先にシャワーでも浴びてきたら?」
「いや、それが……」
言い淀むフィリアに、ミオーナはバスルームを覗き込んで納得した。同時に腹を立てながら湯を張り、フィリアをバスルームに押し込んだ。
フィリアは朝食にありつきたい一心でさっさと風呂を済ませ、濡れた髪のまま部屋に戻った。
すぐに朝食に手を付けると、ミオーナは怒りながらも後ろで髪を拭いてくれた。
「あれは嫌がらせよ! 魔力を使わなくていい部屋だってあるのに!」
「あ、そうなの」
「見てなさい! どこの誰が手配したか知らないけど、絶対団長にチクってやるんだから!」
「俺がどうした?」
無遠慮にドアが開いた瞬間、ずかずかと団長が入ってくる。ミオーナは一瞬固まったものの、すぐに姿勢を正した。
「ミオーナ・エルトンだったな? で、俺に何をチクるって?」
「は、はい。この部屋のことです。魔力を流さないと使えない設備の部屋を手配するなんて、明らかに嫌がらせだと思います。実際、彼女は身を清めることもできなかったようです!」
最初は緊張していたミオーナも、話す内に怒りの方が勝ったようだ。団長は若干苦笑しながら「分かった」とだけ言った。
そうしてフィリアに向き直ると、団長はぐっと頭を下げた。
ああ、またしても嫌な予感。
「昨日は、本当に助かった。礼を言わせてくれ。ありがとう」
「い、いえ」
「どうせまた『いい予感がしない』とか思ってるんだろう」
「はい」
「正解だ。どこからか冬来虫の結石のことが市井に漏れ、市民がここに押しかけている。魔消しを出せ、と」
「……」
「市民には明日からだと説明してある。国境の地だからな。騎士や兵士を優先させてほしいと説明したら、渋々だが了承してくれた」
フィリアは黙って目を閉じた。げんなりする気持ちと、少しばかりの役に立てるならという気持ち。そして、あのどす黒い気持ち。
どんな気持ちであれ、今のところはせざるを得ないのだろう。
はあと溜息をつき、目を開ける。返事なんか必要ないだろうなと思いながらも「報酬が出るなら」と呟いた。
それから午前中の間は、昨日のうちに上司に説得されたであろう騎士たちが、嫌々な態度を全面に押し出してやってきた。重症なのに、「魔消しなんかの世話になりたくない!」と引き摺られてやって来た者も何人もいた。
けれど今日も後ろで副団長が睨みを利かせていることに気付くと、皆一様に押し黙った。目元にありありと文句を浮かべながらではあったが。もちろん、昨日も今日もお礼を述べる者もいるにはいる。少ないけれど。
正直なところ、そこまで文句があるなら来なければいいのに、とフィリアは心の中で何度も毒づいていた。
魔力がなくなっても死なないし、万が一冬来虫の結石があるまま放っておいたら、恐らく魔力の総量が減ったまま戻らないのではないかと言っていたが、命に別状はないのだから。
それも嫌、魔消しも嫌なら、新たな解決方法が見つかることを祈るしかない。
そのあとは中庭の簡易テントに場所を移すことになった。一般兵と騎士団の関係者たちがずらりと並んでいて、フィリアは迷わず回復薬を飲んだ。
テントに入るまでは文句がたくさん聞こえてきたが、一歩テントに入るとすぐに口を閉じた。フィリアの横にいる、団長の姿を見て。昼になって副団長と交代してから、ずっと横で腕を組んでいる。
虎の威を借りまくっている状況で、フィリアはどんどん魔消しを行っていった。昨日より小さな腫瘍ばかりだが、如何せん数が多い。
今日は夕方になる前に、2本目の回復薬に手を付けた。昨日と同じように頭痛と吐き気がやってくる。
「少し横になるか?」
「いえ」
「無理はするな」
「はい」
同じような会話を何度か繰り返したあと、アルグレックとミオーナがテントにやってきた。
ほっと息を吐く。その後ろに副団長の姿も見えて、一気にテントが狭くなった。
「早めの夕食でも取って、少し休憩しろ」
「いえ、食欲ないんでいいです」
「いいから。お前ら、ちゃんと休憩するよう見張ってろ」
そう言うなり出て行った団長に、フィリアは諦めて肩の力を抜いた。途端に眩暈がして目をぎゅっと瞑ると、大きな手が頭に乗せられた。
「まったく。フィリアはすぐ無理する」
「してない」
「ほんとよ! 少しは休憩しないと、身体が持たないわよ」
「別に平気」
「「フィリア!」」
怒っている2人に、フィリアは首を横に振った。
よく知りも知らない人たちのために、無理をしたり自分を犠牲にしているわけではないのだ。
「早く終わらせて、早く帰りたい……」
そう口にすると、2人は揃って眉尻を下げた。
嘘ではない。そう思っているのも事実で。
他の解決方法がない今、フィリアが魔消しをしないと文句を言われるのは火を見るよりも明らか。どうせしてもしなくても、そして遅くても文句を言われる。それなら少しでもマシな方を選んでいるだけ。
金にだってなる。団長はきちんと払うと約束してくれた。
「何の力にもなれなくて、ごめん」
「そんなことない。ごはん、ありがと」
持ってきてくれたサンドイッチを無理やり齧る。
これだって嘘じゃない。彼らの顔を見るとほっとする。軽蔑や憎悪の視線ばかりを浴びていると、慣れていてもやっぱり心が重くなるのだ。
ただ、同時に後ろめたい思いは強くなる。彼らには言えない、どろどろした感情が。
結局半分も喉を通らず、フィリアは少しの間横になり、2人の反対を押し切って再開した。それでも終わりが見えない。
3本目の回復薬を飲んですぐ、口を押えて立ち上がった。テントを飛び出して、人気のないところで吐いてしまった。頭はズキズキ痛むし、吐いたのにすっきりしない。
この場をどうしようかと働かない頭で考えていると、すぐにミオーナが駆けつけてくれ、胸を撫で下ろす。
アルグレックだけには、絶対に見られたくなかったから。
彼女もまた、その心理を理解してアルグレックを止めたのだ。自分が行くからここにいてと。
「昨日も2本飲んだのに、今日3本飲むなんて無茶よ」
「でも、これで魔消しはできる」
「馬鹿! ほんとに馬鹿よ……!」
ローブで口を拭って脱ぎ、地面とローブに洗浄魔法をかけてもらう。
涙目で背中をさするミオーナにも、テントで悲痛な顔をしているアルグレックにも、申し訳なさでいっぱいになる。
それなのに、どこかで嬉しくも思っている。自分を心配してくれる人がいることに。
ああ、なんて面倒くさい人間なのだろう。心配してほしくないのに、心配してくれると嬉しいなんて。
「今日はもう止めるべきだ」
「いや。する」
「フィリア!」
「する、やりたい。自分のために」
アルグレックは唇を噛んでいたが、もう止めなかった。
列がようやく解消されたのは、日付が変わる頃だった。最後の方はもう朦朧としていて、副団長の終了の合図に全身の力を背もたれに預けた。
なんとか、今日も乗り切った。明日のことは、また起きてから考えよう。
ズルズルと落ちそうになる身体をアルグレックが抱き上げた途端、フィリアは安心して睡魔に抵抗を止めた。




