72.結石
「おう。よく来たな」
「…………お久しぶりです」
「悪いな、こんな姿で」
「いえ」
フィリアはすぐに返事をすることができなかった。団長には数回しか会っていないというのに、そのやつれ具合に言葉が詰まってしまったのだ。
大きなソファにだらりと座った団長の腕には、今まで見たこともないほど大きな腫瘍があった。
部屋には知らない騎士や魔術師が数人、団長を取り囲んだままフィリアに視線を送っている。揃って感情の読めない表情だ。
「団長の仰る通り、魔消しをすることで安全に取り除けるようです」
「ははっ。そうだろう。俺の言った通りだ」
アルグレックが予想した通りの言葉は、想像の何十倍と弱々しかった。あの顔を彼に見せることがなくてよかった。
きっと、ショックを受ける。
「囚人たち数人で試しましたが、魔力の流れも問題なく戻りつつあるそうです。医師のイデルも、魔術師のトーマスも確認済です」
「お前たちもか」
「「はい」」
その場にいた全員がしっかりと頷く。フィリアは気付かなかったが、どうやらあの半地下でのことは、ここにいる全員に監視されていたらしい。
フィリアは落ち着かなくて、縋るように隊長を見た。ここにはアルグレックはいない。もちろんベニートンも、副隊長でさえ入室を禁じられた。
悪いことは何もしていないのに、とても不安な気持ちになってしまう。
「フィリア。早速俺の腫瘍に、魔消しをしてくれ」
「……はい」
「おい、魔消し。少しでも怪しい動きをしてみろ。すぐにその首を刎ねてやるからな」
「バース。俺の命令に文句でもあるのか?」
「っ、いえ……失礼しました」
針の筵のような心地で団長の元へ行けば、団長は小さな声で「悪いな」と呟いた。
バースと言われた騎士は団長を想ってことだろうし、最早いちいち傷付くこともないので、フィリアは黙って首を横に振ると、すぐに手をかざした。
放出されている魔力量が多いらしく、掌に強い反発を感じる。けれどそれも続けているうちに薄れ、手応えだけが残った。
「できたようだな」
「はい」
「トーマス、どうだ」
「放出は完全に止まりました」
「よし、取り出せ」
団長の後ろに控えていた老医者がメスを取り出すのを見て、フィリアは慌てて目を逸らした。微かに血の匂いが鼻腔を掠める。
「流れはどうだ」
「ほんの少しですが、魔力の絡脈も戻りつつあります。完全に繋がるまではまだ時間がかかると思われます」
「そうか……フィリア、よくやった」
「いえ」
「お前は本当に『はい』か『いえ』しか言わんな」
揶揄った顔をする団長は、心なしか先ほどよりも顔色がマシになったように見える。途端に部屋の空気が軽くなって、フィリアは無意識に大きく息を吐いた。今になって、ようやく自分が汗をかいていたことに気が付いた。
「解決方法は分かったが……問題はまだいくつもある。まず、どうやってあの魔虫になった冬来虫を駆除するかだな」
「それに関して、先ほど部下から気になる報告を受けました」
特隊の隊長であるバイロンが、ベニートンから聞いた話を説明する。団長は早速検証しろと、ひとりの魔術師に命令し下がらせた。
「次は、どうやって街中をパニックに陥らせないかだな」
「市井でも数件似たような事例が報告されています。ただ、そこまでの大きさではないようです」
「それならやはりまず騎士や術師からだな。現状が漏れてモルヴィス国に攻め込まれでもすると厄介だ。バイロン、前任のゴードンが今どこにいるか知ってるか」
「いえ。残念ながら」
「そうか……数はどれくらいだ」
「術師は一部ですが、騎士ほぼ全員と言っても過言ではないかと」
「それにプラス関係者と一般兵か……」
真剣な団長の視線が真っ直ぐ飛んでくる。やつれているとは思えないほどの目力に、フィリアは思わず喉を鳴らした。
どう考えても、良いことが起きるとは思えない。
「魔消しはお前だけだ。もちろん、報酬はきちんと出す……頼む」
フィリアの『はい』も『いえ』も必要なかった。ただの決定事項。
あれよあれよという間に場所を移され、まずは団長の部屋にいた人たち――全員騎士か魔術師の上層部だった――の腫瘍に魔消しを行い、次にいなかった隊長や副隊長、重傷者と続く。団長に比べると小さい腫瘍が多かったが、それでも皆一様に大きく腫れている。
重傷者が終わった頃、ようやくアルグレックたちに会えた。ほっと息を吐くと、不意に睡魔が襲ってきた。この感覚には憶えがある。
「フィリア! 聞いたわ。大丈夫?」
「私は平気だから、あんたらも刺されたところ出して」
「平気には見えない。無理してるだろ」
「してない。いいから早く」
この3人だけは、魔消しが切れる前に終わらせておきたい。3人は結石を取り出されるとすぐにフィリアのところへ戻り、近くに椅子を寄せた。その間にもどんどん流れ作業的に人がやってくる。
不満気な顔や文句を言いたげな者も多かったが、誰も実際には文句を言わなかった。横にはアルグレックたちが、後ろには団長命を受けた大柄な副団長が、ずっと無言の圧力をかけていたからだ。
正直なところフィリアも落ち着かなかった。
何人かに魔消しをしたあと、フィリアの頭ががくんと後ろに落ちかけた。間一髪のところでアルグレックが支えたが、フィリアとしてはもうそのまま寝てしまいたかった。
「フィリア殿、これを」
「これは……?」
「回復薬だ。団長いわく、魔消しと言っても魔力を使っているはずだから、魔力のみの回復薬なら貴女にも効くはずだと」
「……いただきます」
岩のように大きな副団長から小瓶を受け取り、フィリアはもうどうにでもなれと一気に飲み干した。その瞬間にぶわりと体が温かくなり、眠気も寒気も吹き飛んだ。
「……すご」
「効いたの!?」
「そうみたい」
「それは良かった。ただし、2本目からは効果が減って副作用が出やすい。頭痛、吐き気、寒気、腹痛……人によって症状は違う。飲みすぎて死ぬことはないが、本数が増えるごとに効果は減るのに副作用が酷くなるぞ」
「はあ」
それでも副団長が人数を区切らないのは、万が一このことが隣国モルヴィスに知られれば一大事になると分かっているからだ。他の方法が見つかるまで、フィリアが耐えるしかない。
それはアルグレックたちも理解しており、それでも何もできないことに唇を噛んだ。
刺された跡のある者は後を絶たない。刺された跡も1つの人もいれば、いくつもある人もいた。
フィリアは夕方には2本目の回復薬に手を伸ばし、吐き気や頭痛と戦う羽目になった。
「一度夕食休憩にしましょう」
「いえ、食欲ないのでいいです」
「それなら横になったら? 少しくらい貴女も休憩しないと」
「いい。早く終わらせて、早く帰りたい……」
そう漏らすフィリアに、副団長は申し訳なさそうな顔を作って「それは難しい」と告げた。彼は理由として緊急時のためにと言ったが、恐らく逃亡でもされないように監視のためなのだろうとフィリアは思っていた。
逃げるつもりなんてないのに。
フィリアの中にあるのは、役に立っているし金になるという喜びと、それに付随するように湧くどす黒い感情だけ。
フィリアはこの真っ黒な気持ちを、3人には知られたくないなと思った。
次第に夜も更け、魔消しに来る騎士たちも少なくなってきた。ミオーナとセルシオには寄宿舎に戻ってもらった。アルグレックだけは頑なに帰ってくれなかったが。
今日はもう切り上げようという副団長の言葉と共に入ってきたのは、ベニートンだった。特隊員たちは全員もう既に終わったものだと勝手に思い込んでいたフィリアは驚いた。その拍子に吐き気が迫り上がってきて、うめき声と共に口を抑えた。
「そんななのに、まだやってたんだ」
「ベニートン!」
「あんたで終わりだから、早く腕出して」
そう促しても、ベニートンは腕を出すどころか座りもしない。フィリアは疲れからつい苛立ち、顔を顰めた。
「あんたは魔消しで、皆に嫌われてるのに、助けるのか」
「ベニートン! いい加減にしろよ!」
「別に助けたいと思ってしてる訳じゃない。団長命令だから」
フィリアの言葉に、ベニートンはなぜか傷付いたような表情を浮かべた。
そして魔消しを受ける訳でもなく、そのまま部屋を飛び出して行った。
「なんなんだ、あいつは……!」
「なんだかフィリア殿にコンプレックスでもあるように見えたが」
「ベニートンが、ですか?」
「ああ」
「もうなんでもいいから横になりたい」
心の底からの呟きに、アルグレックが慌てて客室に案内してくれた。
彼は眠れるか心配しているが、今日は大丈夫な気がする。恐ろしく疲れているし、部屋の外には警護という名の監視も付くらしい。
いくら団長の命令だとしても、魔消しに治されることを良しとしていない人が多いことくらい、フィリアにだって分かった。隊長クラスですら疑っていたし、嫌悪感丸出しの者も多かった。
きっと今も他の解決方法がないか探っているだろう。魔消しなんかの世話にならないように。
『あんたは魔消しで、皆に嫌わてるのに、助けるのか』
ベニートンの言葉を、フィリアは心の中で否定した。
嫌われてるからこそ助けてやるんだ、と。




