71.刺された跡
最初に案内された場所は、半分地下にあるような暗くジメジメとした部屋だった。鉄格子の向こうから鎖の音がいくつも聞こえ、フィリアはあの偽物令嬢を思い出して顔を顰めた。
隊長は協力者と言っていたが、どうやら強制的な協力者のようだ。看守に連れて来れられたひとりの男は、面倒くさそうな顔をしながらも明らかに困惑している。
最初の囚人の腕にあったのは小さな腫瘍で、魔消しは一瞬で終わった。そのあと10人ほどの、様々な大きさの腫瘍に魔消しをした。いつも通りやゆっくり、数回に分けて等、色々なやり方を指示されながら。
手応えがあるにはあったが、いかんせん身体の中にあるのでよく分からない。
「ありがとう。これからはこちらで確認しよう。結果が出るまで、せめて城館内にはいてほしい」
「アルグレック君、せっかくですから騎士たちの食堂にでも案内してあげなさい。これを」
副隊長から何かのカードを預かると、アルグレックは部屋を出ようと促した。
外に出て深呼吸をする。思っていた以上に気が張っていたようで、肩がカチカチに凝っていた。首を左右に振ると鈍い音が聞こえる。
「大丈夫?」
「あんなとこ行ったことないから、ちょっと疲れた」
「そうだよな」
アルグレックは眉尻を下げたあと、フィリアの頭を数回撫でた。たったそれだけで肩の力が抜けるから不思議だ。
広場中央の時計を見ると、とっくに昼を過ぎていた。そんなにお腹は空かないがすることもないしと、とりあえず言われた通り食堂へと向かうことにした。
ピークを終えた食堂は、利用者はそう多くなかった。2人はバゲットサンドとコーヒーを選び、人のいない窓際の席に座った。
騎士棟に入ってから、ずっと視線を感じる。コーヒーを一口飲むと、勝手に口からほっと息が漏れた。
「なんであんたがここにいるんだよ……っ!」
「隊長に呼ばれたんだ。ベニートン、突っ掛かるならわざわざ来るなよ」
フィリアはバゲットに被りついたまま、挨拶代わりに小さく頭を下げた。
ベニートンは少し離れた席に座ると、観察でもするようにじっとこちらを見ている。
「なんなんだ、あいつは……中庭で食べる?」
「私は別にここでいい」
「フィリアがいいならいいけど……その、ほんとに、ベニートンと何もない、よな?」
遠慮がちに聞くアルグレックに、フィリアは少し焦りながらしっかり頷いた。
疾しいことは何もないのに。ただこの男には変に勘違いしてほしくない。その一心で。
「あいつこの頃変なんだ。特に、フィリアがいる時は。前まで噛み付くように突っ掛かってたのに、今は、何というかその……」
「単になんとなく気不味いだけじゃないの」
「うーん、それだけじゃないような」
「別にどうでもいい」
フィリアはもう一度大きな口を開けてバゲットにかぶり付いた。
自分にも、そしてアルグレックにも、特に迷惑をかけていないのであれば、嫌われようが気不味いと思われようが気にならない。友達でもあるまいし。
それに、魔消しが嫌われていることは普通のことだから。
本当に気にした様子のないフィリアを見て、アルグレックは苦笑しつつも同じようにバゲットを頬張った。
そんなことより、とちらりと目の前の男を見る。今朝も気になったけれど、やっぱり少し顔色が悪い。
「……腕、痛くないの」
「大丈夫だよ。でもまさかこんなことになるなんて」
「うん」
「本当だったら今頃、一緒に料理して、手を繋ぎながらデートにでもしてたはずなのに」
急に熱っぽい視線でそんなこと言わないでほしい。しかもこんなところで。ただでさえ一緒にいるだけで少し意識してしまうのに。
フィリアは顔に熱が集まっているのを誤魔化すように、目の前の男を睨んだ。そんなフィリアの反応に、アルグレックは嬉しそうにとろりと目を細めた。
「今日久しぶりに2人で会えるの、めちゃくちゃ楽しみにしてたんだ。フィリアは違った?」
「……うるさい」
「同じで良かった」
「同じなんて言ってないだろ」
「じゃあ違う?」
フィリアは何も答えずに、赤い顔でそっぽを向いた。逃げた視線の先で、音がしそうなほどしっかりとベニートンと目が合う。
その顔が瞬時に赤く染まり、フィリアは怒号が飛んでくることを覚悟した。が、一向に飛んで来ず、それどころか金魚のように口をパクパクさせながら黙ってこちらを見ていた。
「え、うそ。まさか1番当たってほしくない理由かよ」
アルグレックの意味不明な呟き。何にしろ、言葉にならないほど嫌っているなら、見なければいいのに。
あまつさえ、勢いよく立ち上がってこちらへズンズンやって来る。つい顔を顰めてしまったのは仕方がない。
ベニートンは真っ赤な顔を歪めて、アルグレックの横で立ち止まった。
「……ほんとに、付き合ってるんですか」
どっちへの質問なのか、そもそも質問なのかも分からず、アルグレックと顔を見合わせる。ベニートンは答えを待たずに、ひとつ離れた席にドサリと腰を下ろした。
「隊長に呼ばれたなら、騎士団関係ですよね。なら僕が付いて行っても問題ないですよね」
「「えー……」」
「問題ないですよね!!」
なんでそうなるんだ。見張って粗でも探す気なのだろうか。
言うだけ言ってそっぽを向いた男を見て、フィリアは早々に諦めて食事を続けた。
アルグレックは何とか断ろうと奮闘していたが、ベニートンは頑として譲らない。正直なところ、あんなドキドキする雰囲気にならなくて済むと安堵した気持ちと、2人でないのが残念な気持ちがない混ぜになっている。
なんとなく会話し辛い空気に、フィリアたちは黙々とバゲットを食べ進めた。ベニートンはその様子を新入りとは思えない顔で凝視している。
食事を終えても呼ばれる様子はなく、中庭でも散歩するかと食堂を出た。もちろん、ベニートンはついてくる。
騎士棟を出てすぐにある中庭はとてもこじんまりとして、綺麗に整備された芝と控えめに装飾された樹や花とベンチがあるだけだ。
のんびり歩いていたが、フィリアはすぐに足を止めた。
「座った方がいい。どんどん顔色悪くなってる気がする」
「じゃあフィリアも一緒に座ろう。ベニートンはあっち」
「ここで立ってます」
「空気呼んで! ……っ」
「大丈夫か?」
「多分これ、気の乱れにも関係してると思う。気合入れてもドキドキしてもイライラしても痛くなる」
「先輩も痛くなるんですか」
ベニートンは2つ刺された跡があるらしく、アルグレックと同じように時々痛むらしい。捲った腕には大きさの違う跡が並んでいる。
「僕刺されたの初めてなんですけど、冬来虫って防錆油が好きなんですね。油に寄ってきてちょっと気持ち悪かったです」
「……それは、隊長に報せた方がいいな」
「ええ? そんな大層な話ですか?」
アルグレックは立ち上がって、すぐに報告に行こうと言った。ベニートンは困惑顔だ。
何度見ても顔色の悪いアルグレックを見て、フィリアはぽつりと言葉を零した。
「効果あるって結果だったらいいのに」
「そうだったらきっと団長も喜ぶ。ほら見ろ、俺の言った通りだろってドヤ顔が目に浮かぶよ」
「……うん」
団長よりも、先にアルグレックにしてあげたい。
口にできなかった言葉を飲み込んで、フィリアはただ頷いた。
最初に案内された棟に入った途端、副隊長に声をかけられた。ちょうど探しに行こうとしていたと言われ、俄かに空気が張り詰めた。結果が出たのだろう。
副隊長の真剣な瞳が、真っ直ぐフィリアを捉えている。
「貴女には、このまますぐに団長に会ってもらいます」




