61.好きの種類
どうしよう。
やってしまった。
失敗した。
フィリアの頭にそれらばかりが浮かぶ。
甘えが出たのだ。熱に魘されていたとはいえ、随分余計なことまで言ってしまった。
「ひとりにしないで」なんて。今思えば、まるで呪縛のような言葉ではないか。あの男はとてもマメで優しいから、ああ言ってしまえば律儀に約束を守るだろう。
それが例え、嫌だとしても。
フィリアは実際に頭を抱えた。最悪だ。義務感なんかで付き合わせたらどうしよう。
不貞寝もできずにソファの上でうだうだと悩んだ。答えなんか出る訳もないのに。
どのくらい経ったのか、不意に聞こえてきた鐘の音に、フィリアはビクリと肩を揺らした。重い足取りで玄関に向かうと、今度は聞き慣れた低い声が聞こえ、余計に動揺した。
アルグレックだ。
「フィリア? 大丈夫?」
「……え、ああ、うん」
フィリアはしばし悩んだが、結局扉を開けた。目が合う前に、頭を下げて。
「ごめん」
「え? どうした? なんかあった?」
「昨日、その、ごめん」
「昨日? それより、顔色悪くないか?」
パニックのまま謝るフィリアを、アルグレックは中へ促した。渋々リビングに戻ると、時計は昼を指している。同時にアルグレックが「心配で、昼休みに抜けてきた」と言った。
どれだけの時間悩んでいたんだ。フィリアはぐっと拳を作ると、意を決してアルグレックに向き直った。
「体調はどう? 明日の魔消しだって、無理しなくていいから」
「いや、もう大丈夫……それより、昨日、ここに帰ってきてからのことは忘れてほしい」
「え、嫌だよ」
即答され固まる。なぜだ。
フィリアは瞬きを繰り返したが、アルグレックは首を傾げている。今絵になるポーズなんていらない。
「いいから忘れてほしい」
「嫌だ。無理。嬉しかったから、絶対忘れない」
「はあ? なんで」
「昨日も言ったけど、俺はフィリアとずっと一緒にいたいって思ってる」
「それは……」
その言葉自体は嬉しい。それでもフィリアはやっぱりどこか信じ切れなかった。家族すら捨てた人間を、他人がいつ捨てないと言い切れるのか。
どうしてもそう思ってしまうのだ。
「……義務感とか、そういうのなら、持たなくていい」
「違うよ。フィリアだから」
そっと手を取られる。フィリアは訳が分からず顔を上げると、そこには真っ直ぐこちらを見る菫色の瞳があった。
いつになく真剣なその色は、とても綺麗だった。
「フィリアが好き」
何度か聞いたはずの言葉なのに、フィリアは自分の心臓がきゅっと掴まれたような気持ちになった。何かで圧迫されて、脈が大きくなったような。
目が離せず、うまく息ができない。
分かることは、触れている手が熱いことだけ。
「俺はフィリアが好きだから、俺が離れたくないと思ってる」
好きだから、離れたくない。それなら同じだ。
好きか、嫌いか、どうでもいいか。その3つなら、アルグレックは確実に『好き』の部類。
何を動揺しているのだろう。フィリアはようやく息ができた。
「それなら、いいんだけど」
「……フリじゃなくて、本当に恋人になってほしいって意味でも?」
「その方が都合がいいなら、別にそれでも……私だって、その……」
やっぱり言葉にするのは恥ずかしい。ミオーナにだってそう返せたことがない。
言い終わる前に、アルグレックは少し寂しそうに首を横に振った。
「フィリアの好きと、俺の好きは違うから。今はこのまま……フリのままで充分」
ぽつりと零すようにアルグレックは言い、彼は城館へと帰って行った。
違う?
何が違うのだろう。彼も好きだから離れたくないと思うのなら、同じはずなのに。
フィリアは何を考えていいのか、どうしていいか分からず、ただしばらく呆然と彼が消えた扉を見つめていた。
夕方、3人がまた来てくれた。
なんとなくアルグレックに会うのは気まずい気がしていたが、彼はいつもと変わらない様子で、フィリアは酷く安堵した。
ミオーナに禁酒を言い渡されたこと以外は、いつもと同じだった。セルシオの料理を堪能しながら話をする。話題はあの偽物令嬢のことだった。
彼らはあの令嬢――マチルダというどこか聞いたことがあるようなないような名前の令嬢を、公開演習などで見たことがあるらしい。街中でフィリアを魔消しだとバラした派手な3人組をまとめるリーダー的存在で、目立っていたという。
「あの令嬢、髪色はまだしも、どうやって瞳の色まで変えられたの」
「従者の男が昔どこかで破門された薬師だったとかで、一時的に色を変えられる目薬を作らせてたらしいわよ。もう元の色に戻ってるみたい」
「へえ」
「その目薬に違法薬物が使われてて、それが最初のきっかけだったんだとよ。怖い怖い」
最初は、アルグレックと同じ髪と瞳の色にして、それを話題に接点を持とうとしていたらしい。それが難しいと分かると、彼の好みを知ろうと色々な色を試してアルグレックに話しかけようとしたが、どれも失敗。手紙を送ってもなしのつぶて。ランドウォール家が叙爵したと聞き、親である子爵に縁談を頼み込んだが暫くして断られた。「辺境伯に目を付けられたくない」と。それならばと自分で釣書を送ったらしい。
初めて貴族から釣書が届いたアルグレックは副隊長に相談し、それを副隊長は辺境伯に伝えた。辺境伯はそれとなくその子爵に釘を刺し、あの令嬢はこっ酷く叱られた。それがあの誘拐に繋がったということのようだ。
「もし2人が辺境伯公認のフリしてなかったら、釣書はお前の実家に届いて、当主の親父さんに判断されてたって訳か」
「多分……フィリア、ほんとにありがとう」
「私は特に何もしてないけど」
そう。辺境伯提案の偽装は、役に立つには立ったということだ。令嬢の暴走は止められなかったけれど、もしかしたら他の人にはちゃんと効いているのかもしれない。
「一番の被害者はフィリアちゃんだが、その次はアルグレックと副隊長だな」
「そういう仲なら、従者で満足してたら良かったのよ」
「ほんとだよ……」
令嬢はそのうち薬物の中毒者になり、アルグレックを諦められないまま従者との快楽に溺れたそうだ。しかも、そのたびに従者には瞳の色を菫色に変えさせて。あの従者の黒髪も、もしかしたら染めているのかもしれない。恐怖と共に気持ち悪さを覚える。
副隊長は2人の情事を祝福で見てしまったと聞いて、フィリアは激しく同情した。
「まだ取り調べは続いてるけど、今は完全に禁断症状が出て大変らしいわよ。情緒不安定になって怒ったり泣いたり」
「ま、奴らの入手ルートはもうほぼ押さえられたらしいからな。またお手柄だったな、フィリアちゃん」
「そんなことより、フィリアの誘拐についてみっちり罰を受けてほしい」
ぶすっとしたアルグレックに、ミオーナが怒りを露わにして同調した。
フィリアは何となく、そのことでは罰せられないのではないかと思っていた。相手は貴族だし、被害者のフィリアは魔消し。誘拐自体なかったことにされてもおかしくない。
「そのうちフィリアにも事情を聴かれると思う。その時は、俺もついていくから」
「うん。よろしく」
アルグレックが一緒に来てくれるなら安心だ。フィリアは心からほっとして、優しい顔の男に小さく微笑み返した。
その様子を見ていたミオーナとセルシオは、2人に聞こえないように声を潜めた。
「なんか、2人の雰囲気変わった?」
「これはもしかして、もしかするのか?」




