59.私の髪飾り
彼らと出会うまで、他人なんてどうでもよかった。
神父はお世話になった人だが、今はもういない。それ以外の人は面倒だったり苦手だったりはあったが、結局はどうでもいい人に分類されていた。
それがいつの間にか、好きか、どうでもいいか、そのどちらかに分けられるようになった。
そして今日、もうひとつ増えた。あの偽物貴族令嬢は『嫌い』だ。
友達を、アルグレックを傷付けようとする人間は嫌い。悲しませる人間も嫌い。だから時々困ったような顔をさせるベニートンも、少し嫌い。
友達には笑っていて欲しいと思う。そのためなら、できることはしてあげたいと思う。特に彼には。
フィリアにとってアルグレックは、初めての友達であり、一番一緒にいて楽しくて、一番安心できる相手。誰より、笑顔でいてほしいと思う人。
それを一言で表すのなら、『特別』なのだ。あの偽物令嬢と同じ言葉を使うのは嫌だが、その言葉が一番しっくりくる。
いや、やっぱり同じではない。あの偽物令嬢と、同じは嫌だ。
彼女は自分が彼に相応しいと言ったが、冗談じゃない。思い返しただけでも腹が立つ。例え偽装だとしても、彼女がアルグレックの横に並んで立って欲しくない。手だって、繋いで欲しくない。
私以外、嫌だ。
まるで小さな子供が見せる執着のような感情。偽装でも何でもいいから、一番近くにいたい。
そのためにはどうしてもここから出ないといけない。優しいあの男は、きっと助けに来てくれる。あの令嬢の作戦通りになる前に、どうにかして知らせないと。
手足の痛みや寒気を無視して、フィリアは再び鎖を引っ張った。
どのくらいそうしていたのか。
擦り切れているであろう手首や足首が痛い。水分が足りないのだろう。全身が寒くて震えるし、頭も痛い。
それでもフィリアはもう一回、もう一回と鎖を引っ張っていた。歯を食い縛りながら。
不意に扉が開けられる音が聞こえてきた。急に明るくなる部屋に、フィリアは目を瞑った。
「フィリア!? フィリア!!」
ああ、やっぱり彼は来てくれた。
アルグレックの声に、安堵から意識が遠のきそうになる。
駆け寄ってくる足音とは別に、騒がしい声が聞こえてきた。最初は魔獣の叫び声かと思ったが、少ししてそれが女性の奇声だと気付いた。しかも、おそらくあの偽物令嬢だ。
「待ってて! 今外すから!」
「アルグレック、大丈夫か……?」
「いやそれ俺の台詞だから! フィリアの方こそ……!」
「私に似せた令嬢が、あんたに、魅了を」
「大丈夫。魅了もかけてないし、何より全然似てなくて、どうやっても騙されないよ」
「それなら、良かった……」
アルグレックが魔法で切っていた手首の拘束具がガチャンと大きな音を立てて落ちる。これだと魔消しなら怪我をする心配がない。こんなところで魔消しということが役に立つとは。
足枷も外されると、途端に腕の中にいた。フィリアは擦り付けるように顔を埋めると、小さく安堵の息を吐いた。
ああ、本当に良かった。
アルグレックがあの令嬢に魅了をかけなくて。ちゃんと、あっちは偽物だと分かってくれて。
安心すると、忘れていた喉の乾きやら寒気やらが急に戻ってきた。
「水……さむ……」
「これ飲んで。セバダ茶だから、すぐに効くと思う」
齧り付くように口を付ける。こんなに美味いセバダ茶は初めてだ。お茶が食道を通って胃に入っていくのが分かる。寒い。
アルグレックはローブを脱いでフィリアに掛けると、邪魔しないようにローブごと抱き締めた。暖をくれているのだろう。それでも寒気は消えないけれど、心はとても暖かかった。
「あの令嬢が連行されるまで、ここにいよう」
「いや、行く」
「彼女は違法薬物に手を出してたんだ。正気じゃなくて危険だ」
「嫌。髪飾り、返してもらう」
「それなら俺が」
「自分で取り返したい。あれは、私のだから」
アルグレックは一瞬目を瞠ったが、すぐに了承してくれた。抱き上げて行くと火に油を注ぐことになるから、というアドバイスに従って横から支えてもらう。
眩しい外に出ると、それを目敏く見つけた令嬢の金切り声が聞こえた。恐ろしく頭に響く。二日酔いになったことはないが、きっとこんな感じなのだろうとどうでもいいことが頭に浮かんだ。
フィリアはアルグレックをゆっくり押し返すと、ひとりで副隊長に拘束されている令嬢の元へ向かった。
確かに、明るいところで見ると似ていない。色味が合っている程度で、やっぱり質は偽物の方がいい。ムカつく。
「なんで! なんで魔消しなんかが選ばれるのよっ!?」
フィリアは令嬢の言葉など無視して、黙って髪飾りを取り返した。傷がないか確認すると、ひとつ花びらが欠けているものがあった。
あまりにも悔しくて睨みつけると、令嬢も鬼の形相を返してくる。
「魔消しのくせに……! アルグレック様の横に立っていいのは、魔消しなんかじゃないわ!」
「魔消しだからだろ。魔消しだから、魅了をかける心配もないし目を見て話せるんだ。そんなに横に立ちたいなら、あんたも魔消しにしようか」
「な……っ! そんなこと、出来るわけないでしょう!」
それを屈辱と捉えたのか、令嬢は真っ赤な顔で唾を飛ばした。
横からは副隊長のぎょっとした視線が飛んできて、いつかもこんな表情を見たなと頭の隅で考える。後ろからもアルグレックの視線を感じるが、きっと彼も同じような表情なのだろう。
フィリアはわざとにやりと笑い、ゆっくり令嬢の顔へ手を近付けた。
髪飾りを壊したんだから、少しくらい復讐しないと気が済まない。
「あんた自身を魔消し石みたいにすればいいだけだろ? まずは目で試してみるか」
「ひっ!」
「失敗して失明しても責任取れないけど」
ミオーナとセルシオ、そしてベニートンがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。特隊が到着したらしい。
フィリアの言葉に怯えた令嬢を見て、溜飲を下げた。ここらが潮時かもしれない。
「触らないで!! 私は……っ! そうよ、私は魅了をかけられても気にしませんわ! 貴方を愛してるんです! だから、アルグレック様助け」
「ふざけんな」
カッと頭に血が上った。今までのどんな言葉よりも腹が立った。
やっぱりこの令嬢が嫌いだ。大嫌いだ。
「あんたがよくても、魅了してしまったアルグレックの気持ちはどうなる。気に病んで、傷付いても良いって言うのか」
「そ、それは……!」
「あんたの言う愛って、随分一方的で押し付けがましいもんなんだな」
吐き捨てた言葉に、令嬢はもう何も言い返さなかった。もう顔を見るのも嫌になって、フィリアは背を向けた。そしてそのままアルグレックに抱き上げられた。
頭上から小さな声で「馬車に乗ろう」と聞こえる。
またベニートンに文句言われそうだなと彼を盗み見ると、予想に反して彼は茫然とこちらを見ていた。令嬢に言い寄られたのに拒否したアルグレックに驚いているのかもしれない。
馬車に乗り込んでも、アルグレックはフィリアを抱き締めたまま離さなかった。不思議に思いながら、温かいからいいかと放置した。寒気がどんどん増しているのだ。
「……フィリア、ありがとう」
「いや、それ私の台詞だから」
さっきもこんな会話しなかったか、という疑問は浮かんですぐに消えた。回されている腕が、少し震えているのに気付いたからだ。
「アルグレック?」
「ごめん、お願い。もう少しこのまま」
顔を上げようとすると、強まった腕に拒まれた。フィリアは動揺したが、大人しく身を預けることにした。
「さっきの言葉、嬉しかった」
「言葉? ごめん、どの?」
「俺を気遣ってくれた言葉」
そんな大層なことを言った覚えはなくて首を傾げる。
感情のまま吐き出しただけで、既に何て言ったか忘れつつある。けれど何か言わなければいけないことがあったはずだと、フィリアは懸命に記憶を辿った。
「ああ、そうだ。あれ、嘘だから」
「え? え!? 嘘!? どれ!?」
「目を魔消しするって話。期待させたなら、ごめん」
「ああ、それ……ううん、嘘だろうなとは思ってた」
「そんなに分かりやすいの」
嘘だとバレていたとなると、ちょっと恥ずかしい。副隊長も近くにいたのだし、あの目は「うわぁ」だったのだろうかと思うといたたまれない。
「違うよ。もしできるなら、フィリアならもう俺に言ってくれてると思うから」
「……うん」
それがバレているのも少し気恥ずかしい。それでもやっぱり、分かってくれているのは嬉しかった。
「それにしても、試したことあるんだ」
「うん。低レベルの魔獣で試したけどできなかった。火ヤモリの尻尾の先にはできたけど」
「物質には効くってことなのかな」
「さあ」
「…………なあ、フィリアめちゃくちゃ熱くない?」
「いや寒いけど」
急に身体を離されたと思ったら、額に手が置かれる。ひんやりとした気持ち良さにフィリアは目を瞑った。
「ちょっ、凄い熱! お茶もう少し飲める? 飲んでおいた方がいい」
「うん」
「眠れそうなら少しでも寝てて。着いたらすぐ医務室連れて行くから」
飲み終わればウトウトしてしまう。馬車の揺れが心地いいのか、ここが安心するのか。
「ごめんな。俺のせいで、こんな目に合わせて……」
謝られることなんて、何ひとつないのに。
苦しそうなアルグレックの声にそう答える余裕もなく、フィリアは微睡みの中へ落ちていった。




