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55.約束

 今日はアルグレックと唐揚げを作る日だ。今日は買い物も一緒に行くことになっている。


 いつも待ち合わせの時間より早く来るのに、10分過ぎても現れない男に、フィリアはそわそわしながら待っていた。

 待ちに待ったチャイム音に、フィリアは急ぎ足で玄関へと向かう。ドアを開けた瞬間、ほっとした顔のアルグレックが滑り込んできた。


「遅くなってごめん……ああ、無事に着いて良かった……」

「大丈夫か?」


 はあ、と大きな溜息をついたアルグレックの額には汗が浮かんでいる。フィリアは少し心配になって男を見上げた。


「ベニートンから逃げるのに時間かかっちゃって……」

「は?」

「セルシオが捕獲してくれたから、もう大丈夫だと思う」

「捕獲って。魔獣か」

「魔獣の方が扱いやすい」


 すごい言われ様だなと苦笑する。

 もう一度大きく息を吐いた男は、やっぱりどこか疲れの色が残っている。手を伸ばしてその黒髪を撫でると、アルグレックは目尻を下げて「ありがとう」と呟いた。


「さ、奴が脱獄する前に買い物に行こう」

「ふふ。うん」


 手を差し出される。

 そうだった。偽装はまだ続けていいのだった。フィリアは心得たと言わんばかりに手を取った。




 肉屋が見えてくると、フィリアは急に足取りが重くなった。あの肉屋は、以前暗に「もう来ないでほしい」と言われた店なのだ。


 あの店はアルグレックが最初に教えてくれた店でもあるので、彼にもそのことを伝えるべきかどうか悩んだ。いっそのこと、知らない店に行ってみようと提案してみようか。



「大丈夫。大丈夫だから」



 フィリアの心中を察してか、アルグレックは優しく笑って手を引いた。フィリアは短く息を吐いて腹を決めた。



「いらっしゃい! あ……あんたは、あの魔消しの……」

「唐揚げ用の肉が買いたいんですけど、オススメありますか?」

「ああ、唐揚げ……ああ……」


 アルグレックの言葉に、店主の男はうわ言のように返事をしながら、じっとフィリアを見ていた。

 フィリアはごくりと唾を飲み込んだ。次に来る拒絶の言葉を覚悟しながら。



「あああ……っ! ミリーちゃんを助けてくれて! 本当にありがとう!!」



 突然噴水のように泣き出した壮年の男に、フィリアはつい一歩後退った。店主は落ち着いた気の弱そうな男だったはずなのに、今はまるで子供のように泣き喚いている。

 近くにいた人々もざわざわと集まりだしたが、店主の「ミリーちゃん!! ううううう!!」という泣き声に、納得したような顔をして解散してしまう。

 ひとり置いてけぼりのフィリアは、助けを求めてアルグレックを見つめた。


「ミリーさんっていうのは、店主の好きな人なんだ。あの事件が起きるまで、毎日()()しに行ってたらしくて」

「ああ、そう……」


 こっそりと耳打ちされて納得した。指名ということは、飲み屋の店員や娼婦とかなのだろうが、彼にとって大切な人らしい。


「あの時は! 来ないでほしいなんて言って申し訳なかった!!」

「い、いえ」

「こんなことしかできないがっ、欲しいものは何でも持って行ってほしい! 何なら全部持って帰ってくれても!!」

「いえ、あの」


 鼻をずびずび鳴らしながら、店主が叫ぶように言う。フィリアは困惑したが、とにかく店主が落ち着いてくれるまで待つことにした。


 店主は「ありがとう」と、何度も繰り返しフィリアに言った。そのたびに涙と鼻水が溢れ、フィリアは少しだけ苦笑しながら「いえ」と返した。


 照れくさいのに、嫌じゃない。


 ようやく号泣が収まりだした店主は、一度顔を洗ってくると言って奥へ引っ込んだ。戻ってきた時にはもう以前のような落ち着いた顔つきで、ただ目だけは真っ赤だった。


「……それで、唐揚げ用の肉だったね」

「はい」

「魔獣の肉に抵抗がないのなら、表には出してないけど魔鶏の肉がオススメだよ。漬け込みの時間が短くても、あっという間に染み込む」

「じゃあ、それにします」

「巨大鹿の肉は置いてますか?」

「ああ、奥にあるよ。好きなのかい?」

「はい。彼女が気に入ってて」


 店主は嬉々として大量に魔鶏と巨大鹿の肉を包んでくれた。しかもお礼だと言い張って、代金も受け取ってくれず、最終的に「今回だけ、ありがたくいただきます」とフィリアが折れた。


 ミリーという店主の想い人は、つい最近復帰したらしい。あの時の記憶は戻らないが、もうすっかり元気になったと、再び涙を流しながら店主が教えてくれた。


 ただ良かったなと思った。その彼女も、この店主も。





「それにしても、すごい量だね。冷蔵庫と冷凍庫に分けたら全部入るかな?」

「多分。押し込めば……」


 家に戻り、巨大鹿の肉を仕舞いながら笑うアルグレックを見て、フィリアは手を止めた。


「色々、ありがとう。あんたが、盛った噂を流してくれたんだろ?」


 しかも、恐らく自分が魅力持ちであることまで話して。あのアイス屋の店主まで知っていたのだ。


「別に盛ってなんかないよ。それに……なんかちょっと格好悪いけど、あれは団長の案だし」

「団長が?」


 団長は、アルグレックの噂の相手が魔消しだとすぐに判明すると分かっていたそうだ。そしてすぐに「人攫い事件の貢献者は、今噂になってる騎士の恋人の魔消しだ」と噂を流し、自らあのアイス屋でも話した。アルグレックたちはその話を肯定して回ったのだという。



「なんで、団長がそこまで……」

「団長も、祝福持ちらしいんだ。それも結構厄介な方の。魔消しした物も持ってるらしいよ。具体的には教えてもらえないけど」

「そう……」

「団長は、正義感の強い人だから。自分も特隊も魔消師にお世話になってるから、いつか偏見をなくしたいって思ってたって、この前初めて教えてくれたんだ」


 予想外の理由に、返す言葉を必死で探した。

 冒険者ギルドを通してだと、誰の物を魔消ししたかは分からないし、逆も同じはずだ。だから、フィリアがしたかどうかも分からないのに。


「そんな、なんで魔消しなんかの為に……」

「フィリア」


 アルグレックがフィリアの手を掴んだ。真剣な、怒っているような瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。


「俺は、フィリアが魔消しの()()()でこうやって目を見て話せるんだ。特隊の隊員たちも団長も、街の人たちだって、たくさんの人がフィリアに感謝してる。だから、もう魔消し『なんか』なんて言わないで」


 叱られたという少しの居心地の悪さに、嬉しさが混ざって行く。

 彼はいつもそうだ。魔消しなんか……いや、私を、諭すように叱ってくれる。


 菫色の瞳が優しく細められて、手が離れる。その手がどこへ行くのか、フィリアには何となく分かっていた。


「約束」

「うん」


 まるで子供のように頭を撫でられると、とても安心する。

 友達が嫌だと言うのなら、止めよう。そう心に決めた。



「さ! 早速漬け込もう! セルシオからレシピのメモ、いくつか貰ってきたんだ。どれにする?」

「うーん……全部美味そう」

「じゃ、全部試してみる? 肉もこんなにあるし」

「うん」


 うまくいったら、ミオーナたちにも食べてもらいたい。フィリアは急に湧いてきた気合いのままに、魔鶏の肉を手に取った。



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