52.髪を切る
「あんた、魔消しなんだって? 悪いが……」
何度かお世話になった肉屋の店主が目を逸らす。
フィリアはただ頭を下げて踵を返した。歩きながら溜息をつく。「悪いが」と言うなんて、あの店主は性格がいい。
こうなることは予想していた。
あの時魔消しだと叫ばれてから1週間。城館やギルドへ行くたびに憎悪や軽蔑した視線は増えていく。石や塩を投げつけられないだけマシだ。
今日もあの店に行くまでにも、この前とは違う冷たい視線をひしひしと感じていた。ローブを持ってきていてよかったなと胸を撫で下ろす。人気のない路地裏で、フィリアはフードを被り、背を丸めた。
目指すは城館から一番離れた、あまり治安のよくない通り。これまでの経験上、こういうところなら客を選ばない。
つまり、ここでまで拒否されると、もうこの地にはいられなくなるということだ。
その前に家庭菜園でも始めるべきか。
当分買いに来なくてもいいように、持てる限りの食材を買い集め、そそくさと家路へ急いだ。
ほとぼりが冷めるまで、フィリアは引き篭もることにした。城館へ魔消しに行く以外は、冒険者ギルドにも図書館にも行かず、ひたすら家にある本を読んだ。
先日遊びに来たアルグレックたちに「どこかへ食べに行かないか」と誘われたが、フィリアが渋った結果、急遽家でセルシオの料理教室に変わった。
今日はミオーナが髪を切ってくれるらしく、夕方に3人揃って家にやってきた。自ら切りたいと言っていた割には、ミオーナは少し不服そうな表情だった。
「本当に切るの? まだ結って遊びたいのに」
「なら自分で切る」
「ダメよ! 分かったわ、私が切る。どれくらいの長さがいい?」
バッサリ短く、と言おうとして止めた。
浮かんだのはあの髪飾りだ。
フィリアは毎晩、あの髪飾りと組紐を眺めてから眠っている。外に出る気にならなくて、気分が塞ぎがちになっていても、あの2つを見れば不思議と心が穏やかになるのだ。
「ギリギリ結べるくらいで」
「あら、いいの? てっきりバッサリ切ってって言われるかと思ってたわ」
「……あの髪飾り、また付けたいし」
時が止まったのかと勘違いするほどの沈黙。フィリアは怪訝な顔で、後ろで髪を触っていたミオーナを見た。
「……あんたって、たまに恐ろしい無自覚の人たらしになるわね」
「はあ?」
「あ~あ、ありゃあ止まったな。アルグレックの心臓」
フィリアは眉間の皺をより深くさせ、アルグレックを探した。長身のくせに見えないことを不思議に思い立ち上がると、キッチンカウンターの向こうで蹲っていた。
「何してんの」
「待って今蘇生中」
「なんだそれ」
心臓に手を当てて深呼吸を繰り返している男は、耳まで真っ赤だ。ミオーナたちを見ればにやにやと悪い顔。彼を心配する気はないらしい。
あの髪飾り、付けない方がいいのだろうか。
「……使わない方がいいなら、しまっとくけど」
「え!? それは嫌! むしろ毎日使ってほしいくらい!」
大袈裟だなと思ったが、「ああそう」とだけ返す。
覚えている限り、初めての誕生日プレゼント。毎日付けるのも悪くないかもしれないと思い直した。
「え〜、こっちも使って欲しいわ。はい、遅くなったけどこれフィリアに誕生日プレゼント」
「これは俺から」
「え……え?」
「「誕生日おめでとう!」」
反射的に受け取ってしまった2つの紙袋。開けるように促されておずおずと中を見る。
出てきたのは液体の入った可愛らしい瓶と結い紐、ピューラーだった。
フィリアは心が震えたのが分かった。何か言わなければ。気持ちは焦るのに言葉が出てこない。喉が詰まる。
「あ、ありがと……」
妙に緊張して顔が上げられない。嬉しいとか、大切にするとか、浮かんだ言葉は色々あったのに。口に出せたのはたったこれだけ。
縋るように紙袋を抱き締めれば、それごとミオーナに抱き締められた。
いつもと違って、抱き寄せるような優しい抱擁だった。
「ふふ、バッサリ切るって言われたらどう説得しようかと思ってたのよ。私のも使ってくれる?」
「うん」
「遅くなって悪いな。一番最初を譲らない奴がいて」
「セルシオ!」
くすぐったさに、口元が緩みそうになる。まだ顔が熱いように感じる。
「ミオーナとセルシオの誕生日も教えて欲しい」
「あら。これを借りだと思ってるなら教えないわよ」
「違う。私も……ちゃんと、祝いたい、から」
返事より先に返ってきたのは、いつもの力いっぱいの抱擁だった。
「へえ、特隊にも新人来るんだ」
「やーっと俺らにも後輩ができるのか。可愛い子がいいなぁ」
「若い男らしいわよ」
「うわ、つまんね」
セルシオが作ってくれた料理に舌鼓を打ちながら、フィリアは3人の話に耳を傾けた。
ミオーナが髪を切ってくれたあと、香油を付けてくれた。それは彼女が誕生日プレゼントにくれた瓶に入っていたもので、全身にも使えるという。
勿体なくて使えそうにない。浮かんだ考えは完全に読まれており、ミオーナには何度も悪くなる前にちゃんと使うことと言い付けられた。
胸の内がばれているのに嫌ではないなんて。それどころか、正直に言えば嬉しいと思っている。こういう人間だと分かった上で友達でいてくれることが。
香油が塗られた髪には結い紐が括り付けられている。これも彼女がくれたもので、フィリアの瞳の色と同じワインレッドのものだ。
シンプルなリボン結び。それが妙に可愛く見えて、少しだけ気恥ずかしかった。
「ねえフィリア。前に言ってた巨大鹿が出るお店、来週にでも4人で行ってみない?」
「あー、うーん……」
フィリアはまだ乗り気ではなかった。なんとなく彼らには、軽蔑された視線を送られている姿を見られたくなかったのだ。
煮え切らないような返事に呆れることもなく、ミオーナは微笑んだ。それは彼女だけではなく、アルグレックもセルシオも、揃って同じような優しい顔をしていた。
「俺たちが大丈夫だって言っても、簡単には信じられないと思う。でも、騙されたと思って外へ出てみないかな?」
「そうよ。アルグレックも頑張ってたもの。色んなところで自慢なのか惚気なのか分からない話を――」
「ミオーナ!!」
「それもでれでれで――」
「セルシオ!! お願いだから2人ともちょっと黙ってて!?」
よく分からないが、アルグレックが何やら尽力してくれたらしい。そう言われてしまえば、フィリアはもう迷わなかった。
「分かった。行く」
ぱっと破顔したミオーナは嬉しそうに日にちを決め出した。その横では赤い顔のアルグレックをセルシオが肘で突いている。
いつの間にか見慣れてしまった光景に、フィリアは頬を緩めた。




