5.友達?
翌日、またしても魔消しの依頼が2つあり、受けると眼鏡と口当てだった。あの銀縁の眼鏡だったが報酬が2倍になっていたため、なんだか腹が立って何もせずにキャンセルした。
流石にその後数日は追加の魔消し依頼はなく――あの銀縁の眼鏡は残ったままだが――いつも通りの日々を過ごした。
雨が降れば、フィリアはいつも図書館に入り浸る。ちょうどいい温度に保たれた室内は快適だし、何より無料だ。
『知識は武器にも防具にもなる』と教えてくれたのは神父だった。5歳で入れられた修道院は、生家からかなり離れた古い修道院で、年老いた神父が1人いるだけの貧しいところだった。
神父はとても教育熱心で穏やかな老人だったが、「前世の罪を現世で償うのです」という言葉だけは嫌いだった。
10歳になった日に、神父にお願いして冒険者になり、彼が亡くなるまで寝食を共にした。
今思えば、修道院で過ごした日々が1番穏やかだった気がする。神父は自身が生きてる内にフィリアに仲間を見つけて欲しかったようだったが、ついぞそんな日は来なかった。
神父が亡くなってからは、色々な街を転々とし、この国境の街ボスミルに流れ着いたのが半年前。大きな街で治安も悪くなく、ギルドの依頼も盛んなためにフィリアは気に入っていた。
しかし、本当にまた移動しないといけないかもしれない。
「フィリア! やっと会えた!」
この恐ろしく端麗な男のせいで。
最後に屋台に連行された日からとうに1週間以上経っており、フィリアはもう会うことはないと思っていた。
なぜギルド前にいるのか、なぜ少し怒ったような拗ねたような声なのか皆目検討がつかない。
「これから何か用事は!?」
「は……? え、いや……」
「じゃ、メシ行こう。すぐ近くだから。な!」
有無を言わせず少し前を歩く男の背に向かって、こっそり溜息をついた。逃げることもできるが、こいつなら明日も明後日も待ち伏せしそうな気がする。フィリアは懸命に男の名前を記憶の彼方から引っ張り出した。
着いた店はギルドが視界に入る程近くにある、店の外にもテーブルがいくつもある小洒落た大衆酒場だった。1人向けの店ではない気がして、知ってはいたが入ったことのない店だった。
男――アルグレックは、外の席にどさりと座ると、おずおずと向かいに座るフィリアを見て安心したように頬を緩めた。
「ビールでいい?」
「いや、すぐ帰」
「すみませーん、ビール2つ! あとオススメセット!」
こいつ……!
半目でアルグレックを睨むもどこ吹く風だ。すぐに運ばれてきたビールを勝手にまたカチンと合わせ、「乾杯!」と叫んでいる。いつの間にか防音の魔法陣の紙まで置かれていた。
アルグレックは眼鏡を外して目の間を一揉みすると、フィリアを真っ直ぐ見据えた。
「なぁ、何で俺の依頼だけ受けてくれないの?」
「……何が」
「眼鏡の魔消しだよ!」
「あんたには関係ない」
「他の人のは受けてるだろ!?」
フィリアは腹の奥がもやっとするのが分かった。確かにこの男の言う通り、あの眼鏡以外の魔消しは全て受けた。
自分でもよく分からない。ただあの依頼を見ると無性にイライラするのだ。
「……別に」
「俺何かした? フィリアがいつも依頼受けてくれてた人だって分かって嬉しかったのに」
「あっそ」
「だから同僚にも言ったんだ。腕の良い魔消しがいるって」
「それはどうも」
だから他の依頼は受けているのを知っていたのか。
運ばれてきた料理はどれも美味しそうだが、手を伸ばす気になれなかった。
「お礼も兼ねて報酬だって上げたのに」
「……それ」
「え? それ? 報酬?」
「それがムカつく」
しまったと思ったが、口から勝手に言葉が出てきた。せっかく楽に稼げる魔消しの依頼がある場所でも、この地の騎士と喧嘩なんぞしたらやっぱり引っ越さないといけないかもしれない。
それでも、意思に反して口は止まらなかった。
「報酬が多い方がフィリアも嬉しいだろ?」
「……あんたは、友人に施しを与えんの」
男は今にも目が落ちそうな程驚いた顔をした。料理を取ろうとした手のまま固まっている。
「何」
「フィリアも俺のこと、友達だと思ってくれてるんだ……」
じんわりと雪が解けるように、アルグレックの顔に花が咲いていく。喜びを全く抑えない表情は、まるで自分の隠れ家を見つけた少年そのものだ。フィリアは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「はあ?」
「フィリア今言ったよね? 友人に施し受けてるみたいで嫌だって」
「な……っ! はあ!?」
フィリアは反論しようとしたが、先程の自分の発言を反芻して固まった。途端に顔に熱が集まっていくのが分かった。
「ち、ちが……っ! そういう意味じゃ……っ!」
慌てて否定しようにも言葉が続かない。空気を求める魚のようにパクパクと口を動かすだけだった。顔が熱いがどうすることもできない。
その時突然目の前の男が立ち上がった。
「俺ちょっと走ってくる!!」
返事を聞く間もなく、男はあっという間にどこかへ駆けていった。フィリアは少しほっとして、ビールを口に運んだ。
あの男を友人だと思っている? まさか。
数回会っただけの、一方的に話しかけてくるあの男を?
ちょっと魔消しを褒めて貰ったから、気を許してる?
それともあの男に同情でもしてる?
面倒くさそうな祝福を持つあの男に仲間意識でも持ってる?
そんな単純な人間だったのか、自分は。
フィリアは溜息をついた。自分自身に向かって。
間もなくアルグレックは額に汗をかきながらも戻ってきた。その姿も色気が漂っており、周りの女性客の視線を集めていた。そんな男を一瞥しただけのフィリアはもう既にいつもの仏頂面に戻っていた。それを見て、アルグレックは安堵して元の席に座った。
「ごめん、お待たせ。眼鏡忘れたから焦ったよ」
「別に待ってない」
そう言いつつも手を付けられていない料理を見て、アルグレックは微笑んだ。フィリアはバツの悪そうに視線を逸らす。
「フィリアはエスパール料理好き?」
「……食べたことない」
「これがピンチョス、これが海老のアヒージョ、これがイワシのフリート」
「ふーん」
甲斐甲斐しく料理を取り分けて寄越し、アルグレックはわくわくした表情で食べるのを待っていた。
なんかこいつ、犬みたい。でっかい犬。
フィリアは失礼な感想を抱きながらも、海老を口に放り込んだ。美味しい。
「フィリアって結構顔に出るよね」
「はあ?」
「美味いって顔してる」
「うるさい」
アルグレックは心底楽しそうに料理の説明をしている。フィリアは黙って料理を口に運ぶ。確かにどれも美味しい。少しだけ、これまでアルグレックが話していた店に行ってみたい気持ちになって、慌てて否定した。
結局またお腹いっぱいになるまで飲み食いし、思った以上に会計が安いのにも驚いた。
「今回はちゃんと払う」
「いいよ、俺が誘ったんだし」
「払う」
「友達だから?」
「……まぁ」
何となく悔しくて視線を逸らすと、それでも男が笑ったのは分かった。きっちり半値を渡すと、「送る」という申し出を固辞して背を向け雑踏に紛れた。
足取りが軽い自分に、今日何度目かの驚きを覚えた。
翌々日、以前の報酬に戻った眼鏡の魔消し依頼を見て、フィリアは迷うことなく受理した。