48.偽装デート1
偽装デート当日。
フィリアは人通りの多い噴水前でアルグレックを待っていた。
朝からやってきたミオーナによれば、ここは待ち合わせの定番スポットで、目撃されるにはもってこいの場所らしい。家や城門集合の方が手っ取り早いと思うのに。
確実にあの2人は楽しんでいる。今日も堂々と「ばれないように付け回す」と宣言していた。誰にばれないようになのかはもう聞かなかった。
燈火祭の時と同じワンピースに、あの時より複雑に結われた髪。初めて化粧までされた。つい目を擦りそうになって、何度直前で手を止めたことか。
「お姉さん可愛いね。誰かと待ち合わせ?」
「待たせる奴より俺らと遊ばない?」
知らない2人組の男。恐らく誰か引っかかるまで声をかけているのだろう。心にもない世辞をひたすら交互に述べている。
フィリアは目も合わせずにだんまりを決め込んだ。下手に話すと余計に絡まれるのは学習済みだ。早く次に行ってほしい。
「その刺繍の色、俺の瞳の色に似てない?」
「俺の髪の色とも似てるし、俺ら運命だと思わない?」
ちらりと男たちを見る。瞳の色も髪の色も、全然似ていない。かすりもしない。同じ色と言われて、こんなに不快になるものだとは思わなかった。
「フィリア!」
聞き慣れた声に視線を上げる。フィリアは心の底からほっとした。さっきまでのイライラが、まるで霧が晴れたように消えていく。
「アルグレック」
仏頂面が一転して、小さな花が綻ぶように笑ったフィリアに、アルグレックは歩みを止めた。
それは彼だけではなく、ナンパしていた2人組も、こっそり覗いていたミオーナたちも同じく固まった。どの顔も一様にして朱が差している。
フィリアは微笑んだままアルグレックに近付き横に並ぶと、大きく息を吐いた。
「変な壺売り付けられる前に来てくれて助かった」
「え? 壺? いやそれより!」
「何?」
既にいつもの無愛想な顔に戻っていたフィリアだったが、アルグレックと再度目が合った瞬間に薄く笑った。
「……ぐっ! その、遅くなってごめん」
「別に。時間前だろ」
「……もしかしてミオーナから何か言われた?」
「今日はとにかく目が合えば笑っとけって」
「そこは真顔で言わないで……ああ、試練だ……」
アルグレックは小さく唸りながら心臓を抑えた。これは彼の癖なのだろうか。よく見る気がする。
「前から思ってたけど、アルグレックって心臓弱いの」
「もうそれでいい……」
「なんだそれ」
深呼吸を繰り返すアルグレックを見て肩を竦める。いつものようにすぐに治まるだろうと思っていたが、今日は中々引かないらしい。
「あーもう、サラッと言うつもりだったのに」
「何を」
「お洒落して来てくれて嬉しい! 凄く可愛いし……ああもう! 手を繋いでもいい!?」
「え、なんで怒ってるの」
「あぁ違うごめん怒ってるんじゃなくて勢い付けて言わないと溶けて消えそうだから!」
「意味不明」
真っ赤な顔で差し出された手。
どうやらどこまでフリを頑張るか葛藤しているらしい。
フィリアは小さく苦笑しながら手を乗せた。馬車の乗降時で慣れているし、手を繋ぐくらい減るもんでもないか、と軽い気持ちだった。
自分とは違う、大きくて温かい手。その手に包まれた瞬間、心臓が小さく、けれどはっきりと音を立てた。ふわふわ、そわそわした感覚が全身に広がっていく。
「……アイス2段でよろしく」
その気持ちを誤魔化すように、フィリアは目を合わせずに軽口を叩いた。
暫く無言で歩いていることにも気付いていない2人だったが、1つ目の角が見えた辺りで我に返った。アルグレックが開いたメモ用紙を覗き込む。
「最初は……あっちだね」
「『チュラチュラ』? 何の店?」
「なんだろう。雑貨屋とかかな? 途中気になる店あったら教えて」
「……あ、コーヒー買いたい」
「イデル先生に貰ったやつ? あれ美味かったね。ここの近くだし先に寄ろう」
いつの間にかすっかりいつもの雰囲気だ。
フィリアはミオーナに言われたことなどもうすっかり忘れていたが、それでも笑みが絶えることはなかった。
「貰ったのと同じコーヒー買えて良かったね」
「うん。あんなに種類があると思わなかった」
2人であっちだったかこっちじゃなかったかとわいわい言いながら、コーヒーの粉を買った。コーヒーの匂いが充満した店内はとても落ち着く内装で、あの派手派手しいイデルが買いに来る姿が想像できない。
今日のお礼に買うとアルグレックに言われたが、それならうちに自分用のコーヒーも買って置いとけばと言えば、赤い顔で焦っていた。それでも買っていたが。
「そうだ。俺も買いたいものがあるんだ」
「何」
「フィリアの誕生日プレゼント」
「え、なんで」
「俺がしたいから」
「……くれるって言うなら、もらうけど」
この前うっかり誕生日を話したからか。なんともマメで律儀な男だ。
「欲しいものない?」
「うーん、肉とか」
「食べ物以外で!」
「なんで」
「なんでも!」
ミオーナたち指定の『チュラチュラ』という店は、アクセサリーメインの雑貨屋だった。開店したばかりだというのにそこそこ混んでいる。
入ったところで何も買う気はないのだが、手を引かれるままに入店した。
その瞬間、恐ろしいほどの注目を浴びた。城館や街で感じる視線の比ではない。皆一様にして先にアルグレックを見て、その次にフィリアへと視線を向ける。そして繋いでいる手を見て、手に持っていたものを落とす人もいた。
こういう店には初めて入った。内装は白で統一されており、どこも可愛らしいものやキラキラしたもので溢れている。
落ち着かない。高級店とは違った場違い感にそわそわとしてしまう。
「俺が決めてもいい?」
「え、何が」
「誕生日プレゼント」
その話はまだ続いていたのか。はあと呟けば、アルグレックは嬉しそうに物色しだした。
正直あまり興味のないフィリアには、山のようにある髪飾りはどれも同じに見える。アルグレックはひとつ選んで少し持ち上げては戻し、また違うものに手を伸ばす。それを何度か繰り返している。
この男は気付いているのだろうか。店内にいる客も店員も、この男の一挙手一投足を凝視していることに。しかもそれが地味に増えていることに。
余計にいたたまれなくなったフィリアは、彼に倣って目の前のきらきらしいものに視線をやった。じっくり見てみると、色だけが違う同じ装飾のものが多いことに気が付いた。
目にとまったひとつを摘んでみる。小さくて控えめな装飾の髪飾り。これには青紫のガラスでできた花細工が付いている。
こうやってひとつだけを見るとそこまで派手ではなく、上品な印象だった。
「それ、気に入った?」
「あ、いや。別に」
「付けてみて」
「使い方も分からないし、いいよ」
「じゃあ俺が付けるね」
断る暇もなく、ひょいと摘まれた髪飾りが付けられた。アルグレックは耳上に髪飾りを挿すと、手鏡をフィリアに向けた。
確かに髪に付いている。
「うん。よく似合う」
「それはどうも」
「ほんとだよ。それに、その色選んでくれたのも、その色が似合うのも、嬉しい」
アルグレックは目尻を染めてはにかんだ。先程手に取った髪飾りは、そういえば彼の瞳の色と似ている。
「だから綺麗な色だと思ったのか」
「え?」
「あんたの目と同じ色だから」
アルグレックは爆発音が聞えそうなほどの勢いで顔を真っ赤にした。
この男は他の人とは目を見て話せないと言っていたし、瞳を褒められ慣れていないのかもしれない。悪いことをした。
「そういうこと、他の人には言わないで」
「? 他の人に言う訳ないだろ」
「ああ、もう、それ追い打ち……」
結局それを買ってもらい、そのまま付けて店を出ることになった。
会計の為に離れていた手がまた繋がれる。コーヒーショップを出た時もそうだったが、そのあまりに流れるような動きに、フィリアは何も言うことができなかった。
やっぱり彼なりの今日の作戦なのだろう。そういえばミオーナに目が合えば笑えと言われたこと、すっかり忘れていた。
「じゃあ改めて」
「何?」
「フィリア、誕生日おめでとう」
フィリアは笑みを作ったまま、動きを止めた。
不思議そうに見つめ返す男を見ながら、言われた言葉を頭の中で反芻する。
「……あり、がと」
どうにか返した言葉は、とても頼りない声で。
誕生日を、生まれた日を祝ってもらえたのはいつぶりだろう。記憶にはない。きっと5歳までは祝われていたはずだ。そうだと信じたい。
魔消しになってからは、初めてだった。自分ですら忘れていた誕生日。『大罪人が生まれ変わった日』なんて、何もめでたくないから。
じわじわと胸に広がる熱に、フィリアは慌てて目を逸らしながら口を開いた。
「あんたの誕生日は、いつ?」
「12月3日だよ。覚えやすいだろ?」
うん、と小さく返す。
おめでとうと言われることが、こんなに嬉しいことだなんて。
フィリアは込み上げてくる熱を懸命に飲み込んだ。




