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46.ワイン

「フィリアも飲めると聞いてワインを用意した。産地は……レリオ、ダロド、フリヒード……一番古いのはアビエーラ産のワインなんだが」


 フィリアは重たい心のまま、エスカランテ団長をじっと見つめた。細められた金色の瞳からは、どんな感情も読み取れない。


 恐らく団長は知っているのだ。フィリアの過去や本名を。


 ワインの産地として名前の上がった名前は全て、フィリアに縁のある地名だった。



「フィリア? 大丈夫か?」



 菫色の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。その瞳を見て、フィリアはいくらか気持ちが軽くなったような気になった。

 大丈夫と言う代わりに口角を上げて頷いてみせる。団長は「ほ~ぉ?」と意味ありげな視線をアルグレックに送っていた。


「全てここのではないんですね」

「……もちろん、エスカランテ領のワインもある」

「それでお願いします」

「アビエーラのものが一番高価だぞ?」

「辺境伯の治める場所のよりもお勧めですか?」

「言うね。よし、我が領自慢のワインを出してやろう」



 歩き出した団長について行く。その前後に2人ずつの近衛兵が付き、まるで連行されているような気分になる。


 不意に横から視線を感じて顔を上げれば、心配そうなアルグレックと目が合った。


 フィリアは小さく笑った。彼は本当に心配性だ。



「…………いつか、ちゃんと話すから。もう少し待ってくれると嬉しい」

「分かった。でも、無理するなよ」

「うん。ありがと」



 すぐには無理かもしれない。それでもきっと、彼になら話せる気がする。


 優しく笑う顔に、フィリアも自然と口角が上がった。



 食堂に通され、使用人に促されて着席する。

 きらびやかな空間に、高そうな食器とカトラリー。落ち着かなさで食欲が減っていく。


「ここからはアルグレックの親戚のおじさんとして扱ってくれ。無礼講だ」

「いや無理ですよ」

「で? お前ら付き合ってるのか?」

「違います!」

「なんだ、お前の片……」

「乾杯しましょう! お じ さ ん !!」


 小洒落た料理が運ばれてくる。食材も料理人も、きっと一流なのだろう。それなのにちっとも美味しさに感動しない。

 美味しいことは美味しい。けれど彼らと行く気取らない料理店の方が何倍も美味しいと思ってしまう。


「さっきの話に戻すが、アルグレックは恋人はいないのか」

「……いませんけど」

「お前の実家、叙爵されることになりそうだ」

「じょしゃく、ですか?」

「爵位を与えられる、要はランドウォール男爵家になる見込みだ。念願の」

「そうなんですか」


 アルグレックは興味がなさそうにワインを煽った。それを団長が呆れたように見ている。


「あのなあ、お前にも関係のある話なんだぞ。爵位を賜るということは、お前も貴族の子息になる。縁談……つまり婚約希望が堂々と届くようになるぞ」

「はい!?」

「平民の間は、そういった話はお前の合意がないと進められない。お前が拒否してるのは一目瞭然だからな。だが、貴族は違う。政略でも契約でも金で買っても問題ない」


 青白い金魚のようになったアルグレックを一瞥して、フィリアは目の前の肉に向き直った。


 胸に掠めたのは寂しさに似た感情。何かが手から零れ落ちるような、どんどん遠くなっていくような、不思議な感情だった。


 大変だな。可哀想に。でも何もできそうにない。まるで早口で捲し立てるように、心の中で呟いた。


「やっぱり嫌か」

「嫌です無理です」

「そうか……それなら」


 団長の声が急に悪戯心溢れるにものになったことには気付かず、フィリアはワインを飲んだ。芳醇な香りにふくよかな味。上品すぎて舌が追いついていない気分だ。


「俺が適当に紹介してもいいかと思っていたが今日気が変わった。なあ、フィリア。アルグレックの恋人になる気はないか?」

「っ!? だだだ団長! 何を……!?」

「ああ、間違えた。恋人のフリをしてやる気はないか? だった」


 意味が分からず顔を顰める。青白い顔を真っ赤にして固まっているアルグレックと、にやりと笑っている団長。人払いされた部屋にいるのはこの2人だけで、他に視線を向ける先がない。


「すみません。意味が分かりません」

「お前らが付き合ってることを()()()()認めている、と周囲に匂わせるのはどうだと言っている」

「……それが牽制になる、と?」

「そういうことだ」


 辺境伯が認めているとなれば、それ以下の貴族には手を出しにくい。それ以上の上位貴族には、新規の男爵家はあまりメリットはないだろうとのことだった。

 愛人契約には爵位はあまり関係ないが、これは本人同士の合意なので今と変わらないらしい。


「それならミオーナとか……他の人がいいんじゃないですか」

「まともに目を合わせられるのはお前だけなのに?」


 そう言われて、フィリアは心に小さな花が咲いたような気持ちが芽生えた。


 けれどそれは束の間だった。

 アルグレックを見れば、顔を染めたままなんとも言えない表情でこちらを見ている。探るような視線は拒否希望なのか、協力希望なのか。

 分からないフィリアには、早計な期待だったと熱が消えた。


「いやでも、魔消しですから」

「それがなんだ」

「アルグレックにとってよくないのでは? 魔消しなんかと一時でも噂になれば」

「そんなこと……!」

「つまり、フィリア自身は別に嫌ではないんだな?」


 じっとこちらを見つめる4つの目。

 どうして自分の意思が必要なのだろう。魔消しなんかが友達の役に立つなら儲けものだろうに。

 というか、彼が頼めば誰だって引き受けてくれるだろうに。

 フィリアが頷こうとする前に、アルグレックが首を横に振った。


「やっぱりダメだ。フィリアに悪い。団長、俺が自分できちんと断りますから」

「お前はな。父上や先代はどうだろうな?」

「それは……」

「あんたがいいなら、私は別にいいけど」


 困ったような友達の声に、つい口を挟んでしまった。

 ぎゅんと音がしそうなほどの勢いでこちらを見るアルグレック。見開かれた目が今にも落ちそうだ。


「これで借りが返せるし」

「……フィリア」

「冗談だよ」


 少し怒ったような声に頬を緩めて返せば、彼は口に手を当ててそっぽを向いた。ぶつぶつ言ってるがいつものことなので放置だ。


「でも、何すればいいんですか」

「適当にデートでもして来い。噂はこちらがコントロールしよう」

「はあ」

「からかってますよね、団長……いえ、おじさん!」

「そう睨むな。腕のいい魔消師を連れてきたお前への褒美だ」

「……本音は?」

「そろそろお前への縁談依頼が面倒になってきた。でもまあ、いらんお節介だったなら止めるが?」

「お気遣いどうもありがとうございます!」




 帰り道、馬車に揺られながら外を眺める。至るところに灯りがあって、全開にされた窓からは時折すれ違う騎士や役人の顔もちゃんと見える。


 それは逆も同じだった。アルグレックの知り合いらしい人はみな、並んで座っている様子を見て驚愕の表情を浮かべる。


 実際のところは、ただの団長命令なのだが。



「……フィリアは、ほんとにいいの」

「何が?」

「その、俺と噂になっても」

「別に。私はこれ以上悪く言われることはないだろうし」

「そうじゃなくて……!」

「アルグレックに誤解されて困る相手ができたら、適当に付き纏われたとか言えばいい」

「そうじゃなくて!」


 少し怒ったような声だったが、表情はどこか拗ねたようなものに見えた。

 フィリアはじっと言葉を待った。


「……フィリアこそ、そういう相手ができるかもしれないのに」

「魔消しと噂になりたい奴なんかいる訳ないだろ」

「そんなことない!」

「いるとしたら、悪魔くらいだろ」


 魔消しは神に見放された人間なんだから。そういえば面と向かって「悪魔」だと言われたこともあったな、とどうでもいいことを思い出す。



「なら俺、悪魔でもいい」



 馬車の揺れで少し酔いが回ったのか、目元を染めたアルグレックがぽつりと零す。

 その瞳が少し照れたまま真っ直ぐこちらを見ていて、フィリアはそわそわしそうになる気持ちを掻き消したくなった。



「……ずいぶん綺麗な顔の悪魔だな」



 わざと目を見つめたまま悪戯っぽく笑った。

 ただ無性に彼をからかいたくなった。冗談でも言って、浮かびそうになった気恥ずかしさを蹴散らしたかったのだ。


「小悪魔がいる……」

「小さいって言うな。あんたらがでかすぎるんだ」

「違う、そういう意味じゃない……」


 顔を両手で覆ってしまったアルグレック。冗談は失敗だったらしい。貶されることに繋がるとは思わなかった。


 彼は暫くそのままだったが、何度か深呼吸すれば落ち着いたようだ。


「とにかく、今日は巻き込むことになってごめん。それと、ありがとう」

「いや。高価なご飯にありつけたし」

「美味かった?」

「……多分」

「多分?」

「高級すぎて、よく分からなかった」


 いつもの顔で笑われる。あの落ち着かなくなりそうな空気が消え、フィリアも安心して口を開いた。


「なんとなく友達の基準が分かったかもしれない」

「えっ、何?」

「一緒にご飯を食べて美味いと思うかどうか」

「あはは! それもいいね! でもそれなら……今から飲み直しにでも行く?」


 条件反射のように「行く」と言いかけて、フィリアは口を噤んだ。

 城門に着いたらしく、馬車が停まる。


「行きたい、けど」

「けど?」

「あんたは明日も任務だろ。疲れが残るんじゃ」

「フィリアと飲みに行く方が明日頑張れる」

「なんだそれ」


 フィリアはそう返しつつも、内心とても嬉しかった。それは多分、目の前の男にもバレている。彼はどう見ても断られるとは思っていない顔だ。


「だから、行こうよ。俺も行きたい」

「……うん」


 素直に頷けば、満面の笑みが返ってきた。



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