40.燈火祭2
燈火祭は想像以上にすごい人の数だった。
いつかにアルグレックに連れて行ってもらったマーケットの比ではない。むせ返るほどの熱気にフィリアはたじろいだ。
夕方前なのにこの人混み。暗くなるにつれてどんどん人が増えるらしく、その前に確保した場所へ移動する予定だそうだ。
「じゃあフィリアたちは食べ物をよろしくね」
「分かった」
「アルグレック頑張れよ~」
「うるさい、さっさと行って」
2人1組になって食料調達をしようということになり、フィリアはアルグレックと食べ物の屋台を探すことになった。
アルグレックはローブのフードを目深に被った上に口当てをしていて、顔がよく見えない。自衛らしい。
「フィリア、お祭り初めてなんだろ? 気になった屋台があったら教えて。行ってみよう」
「分かった」
「向こうに行けば湖があって、場所取りしたとこは湖に近いから、食べ物は先で買おう」
「うん」
端から順に見ていく。色々な香ばしい匂いが混ざり合って、空腹を促す。ふらりと見た屋台での値段に目を剥いた。
「あの店ちょっとぼったくってないか?」
「あはは、違う違う。雰囲気代というか、お祭り価格なんだよ」
「そういうもんなのか」
「売上の一部が街の補修費にされるから、みんな結構気前よく払ってるよ」
「へぇ」
自分たちの住む街のために使われるのなら出そうという気になるのも分かる。フィリアも多少値段が高くても気にしないでおこうと決めた。
屋台にはたくさんの種類があった。飲食だけでなく、アクセサリーやゲーム、子供向け玩具の屋台まである。
「フィリア、あそこにアイスの露店あるけど食べない?」
「食べる」
アルグレックが指さした露店を見ると、恰幅のいい店主が元気よく客引きをしている。色とりどりのアイスは10種類ほどもありそうで、心が踊った。
どれにしよう。水色のアイスが減っているのは美味しくてよく売れているからだろうか。チョコとバニラのミックスまである。虹色は一体何味なんだろう。
「あはは、フィリアがそんなに悩むなんて珍しい。ゆっくり決めていいよ」
「アルグレックはもう決めたのか?」
「俺はあの水色にする」
「美味いから?」
「うん。露店じゃなくて店で食べたことあるけど美味かったよ」
余計に悩む。
でも店があるなら他の味は今度食べればいいか。いやでも祭りの時じゃなかったらわざわざ買って食べるだろうか。
「ぷっ。どれでそんなに悩んでるの?」
「水色のか、ミックスのか」
「それなら、半分ずつ分けよう。俺もミックス気になってきた」
「いいのか? ありがと」
それぞれアイスを受け取ると、人の流れが少ない場所へと移動する。
フィリアは早速スプーンでアイスを半分に切り分けた。
「ん」
「……え? い、い、いいの?」
「? うん。あ」
口当てをずらしてそのまま一口で食べた男に、フィリアは驚いて顔を上げた。頬を膨らませてアイスの大きさと冷たさと戦っているらしい。
「あはは! なんで全部食べるんだ! 皿に入れようとしたのに!」
苦しいのか恥ずかしいのか、フードを被っていても顔を赤くしたのが分かった。それでも口いっぱいアイスが入っているせいで話せないようだ。
整った顔が膨らんでて可笑しい。笑いが止まらない。
「ふふ……ふふふ……」
「……っ、フィリア笑いすぎ!」
「無理……ああ、おかしい……あはは!」
「……そんなに笑うなら俺のアイスあげないから」
「え、それは嫌だ」
押し付けるように皿をずいと出せば、苦笑しながらも半分移してくれた。同情心から本当の一口分だけをもう一度皿に入れてあげることにした。
アイスを食べ終わって皿とスプーンを返却してから、調達を再開する。時折り屋台を覗きながら湖の方へと向かう。
「あ、あれ買ってきてもいい?」
「うん」
「絶対、ぜっったいここから離れるなよ!」
「はいはい。分かった分かった」
アルグレックが向かったのは焼き菓子の屋台だった。代わりに行こうかとも思ったが、今日はフードと口当てで顔を隠しているからか声を掛けられていない。
いつもそうしてればいいのに、と密かに思ったフィリアだった。
「ねえ、おねえさん……おーい! 君だよ!」
「は? 何……?」
「オススメの露店あったら教えて?」
「はあ?」
一度は自分じゃないと無視したものの、顔を覗き込まれて反応してしまった。
知らない2人組の男。怪訝な顔で一歩後ろに下がったフィリアに対し、男たちはニコニコと距離を縮めてくる。
「いや、知らない」
「じゃあ俺たちのオススメ教えてあげるよ」
「奢るから一緒に遊ぼ!」
「行かない」
「ひとりだよね? 俺たちと楽しいことしようよ」
面倒くさいのがきた。
ナンパか、詐欺か。計画的なスリかもしれない。フィリアはそっとポケットに手を入れて財布を握り締めた。
「連れに何か用ですか」
男たちの背後からアルグレックが声を掛ける。フードと口当てをずらすと険しい顔が見えたが、手にあるのは可愛らしい焼き菓子の入った紙袋。迫力半減だ。
「え、このイケメンが連れ?」
「まじかよ……こんな連れがいるならそう言えよ! 行くぞ!」
「……大丈夫? フィリア」
「平気」
顔だけで撃退できる人間がいるとは。フィリアは若干引きながらお礼を言った。
「まさかあんなに早く声掛けられるなんて……やっぱり次から一緒に並んでもらっていい? 多分今日はひとりだとよくナンパされると思うから」
「分かった」
「そうだ! これ美味いからフィリアも食べてみて!」
可愛らしい紙袋の中には、小さくて丸い焼き菓子がいくつも入っていた。言われるがままひとつ食べると、ふわふわとした食感とほんのりとした甘さが口の中に広がる。
「すごく美味い」
「だろ? 昔から見つけるとつい買っちゃうんだ。いっぱい食べていいから」
「ミオーナたちも食べるかな」
「食べると思うよ。もうひとつ買う?」
「うん。次は私が買う」
「じゃあもう一度並ぼう。一緒に」
人気の屋台なのか、常に数人並んでいる。ただ回転は早いようで、すぐに順番が回ってきた。フィリアは日頃のお礼も兼ねて一番多いものを注文した。
「お兄ちゃん、恋人も連れてきてくれたのかい? おまけしとくよ!」
「えっと、その」
「それはどうも」
勘違いしているらしいが、おまけがもらえるなら黙っておこう。
しれっと受け取るフィリアに、アルグレックは複雑な笑みを浮かべた。
「……フィリアは、その、勘違いされて嫌じゃないの?」
「え? ああ、別に? おまけもらえる方がいい」
「うん、そうだよね……」
「あの店主には男女のペアは全員そう見えるんだろ」
そう言いながらひとつ口に放り込む。アルグレックは言いにくそうに視線を彷徨わせた。
「いや……多分、服の刺繍の色だと思う」
「紫が?」
「その……俺の目の色と似てるから」
「そう言えばそうだな。でもそれが?」
「恋人の瞳の色と同じ色の、服とかアクセサリーつけたりするの流行ってて……さっき少しだけフード取った時に見えたんだと……」
「へぇ」
確かにフィリアは薄グレーに紫色の刺繍が入った服を着ている。けれどこれは……
「ミオーナの指定だったんだけど。ああ、そうか。アルグレックの女除けの為だったのか」
「いや逆……というか両方……いやむしろ……」
「何をぶつぶつ言ってるの」
歩き出したフィリアを、アルグレックが慌てて追う。
あれはどうだこれはどうだといくつか候補を挙げながら、先へと進んでいった。同じようなものを出していても、客の入りが違うのが面白い。
「ほらフィリア、あそこ」
「わ……」
「もう少し近くに行ってみよう」
「うん」
少しずつ夕焼けの色が濃くなってきた頃、露店の間から湖が見えた。
大きくて静かな湖の上に反射する夕陽。近付くと氷でできた小さな船が無数に浮かんでいて、その中にある小さな火が揺らめいている。幻想的なその景色に、フィリアは自然と溜息が出た。
きっと暗くなればまた違う美しさになるのだろう。
岸から離れて遠くに流されながら、外気と内側から温められた氷の船は、少しずつ溶けていく。船が溶けて消えてしまうのと火が消えてしまうのでは、どちらが早いのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、フィリアは多くの人と同じように黙ってその様子を見つめていた。
「連れてきてくれてありがと」
「もういいの? じゃ、そろそろ行こっか」
後ろ髪を引かれてもう一度視線だけ向ける。
暗くなったらまた来よう。そう決めて屋台へ向かおうとすると、アルグレックがこちらを見ていた。顔を隠した上に逆光で表情が分からない。
「気に入った?」
「うん」
「来年も見たい。フィリアと一緒に」
「……うん。私も来たい」
今までで一番先の約束に、フィリアの頬は勝手に緩んだ。




