4.二度目の連行
結局フィリアは男と串焼きをすべて食べ、その上ビールは追加で2杯、違う屋台(これまた美味しかった)で異国料理をご馳走になった。
流された自分に少しがっかりした。少しだけ、悪くなかったかもしれないと思った自分にもがっかりした。
男はフィリアの悪態に怒るどころか至極楽しそうに、延々と一方的に話をしていた。話題の多くがこの町の美味しい飲食店だったので、つい話を聞いてしまった。間違っても遭遇しないようにするために。その間何度も何度もしつこく名前を教えられ、流石に「アルグレック」という名前なのは覚えざるを得なかった。
だからと言って一度も呼ぶことはなかったし、寝て起きたら記憶の彼方に消えた。
翌日ギルドに行って驚いた。魔消しの依頼がまた1つあったからだ。
受けると眼鏡ではあったが、いつものそれとは違いかなり年季の入ったものだった。魔消しを施してからいつものように拭き取ると、想像以上に汚れが布についた。躍起になって汚れを取ってから受付に持っていき、報酬は金庫受取でサインをする。頭の中でチャリンと音がした。
その日の夕方にもあの男がギルド前にいて戦慄した。
昨日と同じ様に「行ってくれないなら明日も待ってる」という脅しの下、昨日とはまた違う屋台に連行された。目立たないように隅に座っても、この男は恐ろしいくらいに目を引いた。眼鏡を外して前髪を掻き上げただけで黄色い声が聞こえる。引いた。
そんなフィリアを見て、また男は嬉しそうな顔をした。ドン引きした。
フィリアは面倒な気持ちが全面に出ていたが、男は気にした様子もなく、今日も一方的に話している。
「やっぱりフィリアの魔消しの方が調子良いんだ。うちの隊専属魔消しもいるんだけど、フィリアの方が断然強い」
「あっそ」
「俺が所属してるの、騎士団特殊部隊って言うんだけど、ちょっと厄介な祝福持ちばっかりなんだ。だから専属の魔消しがいるんだけど」
「……」
「そうそう、その隊の中で話題になってる店があって……」
その店には絶対に行かないでおこうと、今日も店名をしっかり聞いて覚える。男は嬉しそうに色んな話を振ってくるが、どの話にも興味を持てない。
こいつもきっと、そのうち本性を現すに決まってる。
魔消しと聞くとほとんどの人が嫌悪感を示す。『大罪人の生まれ変わり』だと考え、嫌な顔をするのは聖職者や信仰深い人に多い。それ以外の多くの人が『神に見放された人間』だと考え、見下し蔑む。魔法が使えない可哀想で残念な人間であり、時には何をしても問題ないと罪悪感すら持たない人もいる。
魔消しだと分かった瞬間、手の平を返されるのは慣れた。悪口を言われるのも、まるで汚いものでも見るかのような視線にも。暴力だけは勘弁してほしい。信仰深い人から「悪魔め!」と石を投げつけられたこともあった。
嫌な顔をしない一部の人間は、人の良さそうな顔をして騙そうとしてくる。同情したフリをして、優しい甘い言葉を掛けてくる詐欺師。修道院を出てから、何度もこの手の人間に騙されそうになった。最初は素直に傷付いていたりもしたが、今はもう「またか」と思うだけだ。魔力も金も中身も、何もない人間だと分かるといつもすぐに飽きて去って行く。それで良い。
どうせ魔消しはひとりで生きてひとりで死んでいく。
「フィリア、聞いてる?」
「聞いてない」
「あはは! やっぱり!」
昨日といい今日といい、この男は何が楽しいんだろう。目を見て話せることがそんなに嬉しいものなのか。気兼ねなく話せる友達が欲しいというのは本心なのだろうか。
そんなの、私だって。
そう一瞬でも思ってしまったことをフィリアは恥じた。
一緒な訳がない。祝福持ちなんて、『神に見放された人間』とは真逆の存在じゃないか。期待するだけ無駄だと何度も何度も学んだはずなのに。魔力だけでなく、学習能力も持っていないだなんて。
「おーい、おーい!」
「……何」
「また聞いてなかっただろ。俺の名前、ちゃんと覚えてる? って話」
「覚えて……る」
「ほんとに!? じゃあ言ってみて!」
「……」
「あはは! やっぱり覚えてないだろ! アルグレック!」
そうだった。そんな名前だった。子供のようにはしゃぐ男――アルグレックを見て、フィリアは大きな溜息をついた。
「覚えさせてどうするの」
「だって俺たち友達だろ?」
「違う」
「えー、もう2回も一緒にメシ食べてるのに!」
その2回とも脅して連行したくせによく言う。
アルグレックはヘタクソな泣き真似をしながら、何杯目かのビールを煽っている。よく呑む奴だ。フィリアはもう一度溜息をついた。そんな彼女に、彼は笑みを零した。
「ああ、楽しい。嬉しい」
「何が」
「フィリアと話してるの。眼鏡を外して話せることが、こんなにラクだとは思わなかった」
「あっそ」
菫色の瞳がキラキラと輝いていたまま、こちらを見ている。フィリアは睨むように見返した。自分から目を逸らすのは負けた気分になるのだ。アルグレックは笑みを深くした。
「フィリアの瞳見てると、赤ワイン飲みたくなってきた」
「あんた喋ると残念だな」
「フィリアも飲む?」
「いらない」
「じゃ、ビールもう1杯ね!」
返事を聞くより先に席を立つ男の背に向かって、フィリアまたしても溜息をついた。素直に座って待っている自分にも呆れる。
周りからの視線は居心地が悪いが、料理もビールも美味しい。だから自分はここにいるんだ、とフィリアは自分に言い訳を繰り返した。
「お待たせ!」
別に待っていない。そう言うのすら面倒だ。少年の笑顔をした男の手には、赤ワインとビール、そして知らない料理があった。よく食べる奴だ。
「ここの揚げ物美味しいんだ」
「へえ」
「だからフィリアに食べてもらいたくて」
「だから、の意味が分からない」
アルグレックは今日一番の笑顔で言った。
「友達だから!」
「馬鹿じゃないの」