39.燈火祭1
フィリアは翌日には退院した。やっぱり眠れなかったからだ。
騎士棟はよく響く構造になっているため、防音魔法の効かないフィリアは人が廊下を歩くたびに目が覚めた。医者のイデルも何度も診察に来てくれ、そのたびに起きているフィリアに溜息をついた。
身体も怠いながらに動くようになったので自力で帰り、翌日の木曜日には出勤できた。
城門に迎えにきたアルグレックたちに無理してないかと聞かれたが、燈火祭へのリハビリだと言えば困ったように笑っていた。
「はい、これ」
「え、これにも魔消しすんの?」
「いやいや、これは特隊からの退院祝いだから」
「誰に」
「フィリアに決まってるでしょう!」
「は? なんで?」
「みんな心配してたんだぜ?」
渡された袋には食料がいくつも入っている。焼き菓子や果物、なぜか干し肉まであった。美味しそうではある。
「これはカミラさんから、これはヘラルドさんからだったかしら」
「こっちの高そうで無駄にお洒落な焼き菓子は副隊長からだったか? それにしてもすげぇ量だな」
「良かったな、フィリア」
「……うん。ありがと、ぐぇっ」
「お礼なんて! その照れてる顔で充分よ!」
「うるさい苦しい離せ」
魔消しは月曜日に出勤できなかった分が溜まっており、過去最高記録の数に心の中でこっそり歓喜した。立会い人のコルデーロには途中で強制的に止められてしまったが。
あれから人攫いは起きていないらしい。
騎士たちも少しずつ通常の任務に戻っていると聞いた。特隊も同じで、そのうち魔消しをする数も落ち着いていくのだろう。
報酬が減るのは残念だったが、それより特隊のメンバーの負担が減ることに安堵した。そう思うなんて柄でもないなと思いながら。
フィリアは今日の燈火祭を思いの外楽しみにしていた。
祭り自体に参加した憶えはないので、今回が初めてと言ってもいい。身体に少し残った怠さなど忘れ、フィリア朝からそわそわと3人を待っていた。
最初に来たのはミオーナだった。黄色の刺繍が入った白いワンピースに身を包み、結った髪を横に流した姿は下町娘そのものだ。間違っても強い騎士には見えない。
「2人はあとから来るわ。今場所取りしてるから」
「まだ午前中なのにもう?」
「あら。早い人は昨日から取ってるわよ」
「へえ」
場所取りが必要なほど賑わう祭りなのだろう。今までなら絶対に避けていたであろうに、今やそれを楽しみにしている自分に驚いた。
人が多いところに行けば、孤独が強調される気がしていたのに。
「ねぇフィリア。貴女の髪を結いたいんだけどいい?」
「なんで」
「だってお祭り感出るじゃない。髪に触られるの嫌?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「じゃあいいわね。さ、座って……こら! ワンピースなのに胡座かかないの!」
強引にソファに座らされ、後ろにミオーナが立つ。彼女の手櫛にフィリアは少し恥ずかしくなった。髪の毛なんか気にも留めていないので、おそらく痛み放題だ。もう少ししたら切ろうと思っていたけれど、これならさっさと切っておけばよかった。
「くすぐったくない?」
「いや?」
「痛かったら言ってね」
「うん」
くすぐったいどころか、少し気持ちいい。まるで撫でられているようで、フィリアは目を細めた。
髪を結ってもらったのは、撫でてもらったのはあの魔力検査の日が最後だ。そう思い出して、心に影が落ちる。
やっぱりさっさと切ろう、そう決意した。
「よし! 我ながら上手くできたわ」
「ありがと」
「ほら、鏡で見てみてよ。とっても可愛いから!」
首元がすっきりしている。渡された手鏡を覗くと、確かに髪は上手く結われていた。両サイドが編み込まれているらしいが、後ろはどうなっているかよく分からない。
「どう? どう?」
「すごい、結われてる」
「え、何その感想」
「他に何て言えばいいの」
ぶつぶつと文句を言うミオーナを適当にあしらい、飲み物を入れに立ち上がると軽やかな鈴の音が響いた。残りの2人が来たのだろう。ミオーナが入り口に向かう姿を見て、フィリアはキッチンに移動した。
「いい場所取れた?」
「おう。多分今までで一番いい場所だと思うぞ」
「フィリアは?」
「キッチンよ」
「フィリア! 昼メシにサンドイッ……」
しゃがみ込んでコーヒーの粉を取り出していたフィリアだったが、名前を呼ばれたのでカウンターに顔だけ出した。
アルグレックと目が合った瞬間、彼は口を開けたまま固まっている。いつもの発作か。それでも手に持つ紙袋は落としていないことに感心する。
「ありがと。コーヒー飲むか?」
「な、そ、か……!?」
「お~フィリアちゃん。髪結ったのか。よく似合ってる」
「ミオーナがした。で、コーヒー飲む?」
動かない喋らないアルグレックを放置して、とりあえず4杯分のコーヒーを入れることにした。退院祝いにとイデルがくれたものだ。
模様がそれぞれ違うカップを4つ取り出す。昨日も飲んでみたがとても美味しかった。高くないのであれば自分でも買いたいと思うほど。
「て、手伝うよ」
「助かる」
まだ顔の赤いアルグレックが湯を注ぐと、途端に部屋中が香ばしい匂いで包まれた。ふわりとコーヒーの粉が膨らんでいくのを見つめて楽しむ。
「……フィリア」
「何?」
「あの……その髪型、よく似合ってて……か、可愛いと思う」
「それはどうも」
髪型が変わったくらいでお世辞を言うなんてみんな律儀だなと感心する。
ミオーナは騎士の恰好以外では色んな髪型をしていたように思うが、何かを言ったことはない。さすがにアルグレックやセルシオが髪を結っていたら何か言うかもしれないが――
「ふふ」
「フィリア?」
「いや、もしアルグレックやセルシオが髪を結ったらって想像して」
カップを受け取りにきたミオーナとセルシオがニヤリと笑う。
「ポニーテールとか?」
「おさげ姿とか?」
「はは! アルグレックは似合いそうで怖いな」
「いや俺も似合わないから!」
フィリアは大きく口を開けてくしゃりと笑った。その姿を初めて見たミオーナとセルシオは、顔を見合わせて固まっていた。そして顔を真っ赤に染めながらもアルグレックがすぐさま反応したことにも驚いた。
彼はこの笑顔を見たのが初めてではないのだ――そう確信して、2人は三度驚いたのだった。




