38.大事なことは2回
アルグレックは固まっていた。
今更ながら、自分の発した言葉と行動を自覚した。そしてフィリアの行動に衝撃を受けている。
「大丈夫か? 急に動悸が凄くなったけど」
「だだだ大丈夫…! その、驚きすぎて…」
「ごめん、嫌だったなら――」
「嫌じゃない! むしろ嬉しすぎて驚いただけで!」
「それに汚い。3日寝てたらしいし」
「全然そんなことないから!」
離れようとするフィリアに、アルグレックはつい腕の力を強めた。心臓が痛いほどに煩いのに、まだ離れたくない。
どうしよう。
好きだと言ってしまった。抱き締めてしまった。後先なんか考えず、完全に勢いで。
フィリアがあまりにも寂しそうに言うから。消えてしまいそうなほど小さく見えたから。
それがまさか、弱々しくも抱き締め返してくれるなんて。
これは受け入れてくれたということだろうか。拒否されないということは、期待してもいいだろうか。
「……セルシオの言ってた意味が、少しだけ分かった」
「……へ? え? セルシオ? 何?」
「嬉しい時はハグするんだろ? 友達なら」
ん?
「でも、ミオーナには嫌われた」
「え? いや、それはないよ」
「あんなに怒ってたのに?」
「心配なら俺があとからもう一度呼んでくるよ。今は少しひとりになりたいだろうから」
「うん」
んん?
アルグレックは恐る恐る身体を離し、フィリアの顔を覗き込んだ。色んな意味で心臓が煩い。
「フィリア」
「何」
「俺、フィリアが好きだよ」
「……ありがと」
嘘だろ、ぜんっぜん伝わってない……!?
しっかり目を見て言ったのに、普通に、いつも通り少し笑っただけの彼女。まだギリギリ腕の中にいるフィリアの顔は、赤くもなければ照れている様子もない。
これはどうしたらいいんだ。
じっと見つめ返す深紅の瞳が急に弓なりになって、アルグレックはドキリとした。
「あんたでも、髭って生えるもんなんだな」
「は? ……え? 髭? あ」
「近くで見ないと気付かないくらいだけど」
慌てて口元を隠すと、フィリアが小さく笑う。薄っすら伸びたらしい髭でチクリとする掌に、恥ずかしさと悔しさが襲ってくる。
「仕方ないだろ。3日間、心配で気が気じゃなかったんだから」
「……ごめん」
「目が覚めなかったらどうしようかと思った」
「ごめん」
「メモだけ残して消えるし。ひとりで尾行するし。無茶するし」
「ごめん」
徐々にしゅんとしていく彼女の瞳をもう一度覗き込む。遠慮がちに視線を合わせる仕草にきゅんとする。上目遣いはダメだろ。ああもう可愛い。
「許す代わりに、お願い聞いてくれる?」
「何」
「絶対にもうあんな無茶しないこと」
「……分かった」
「何かあったら俺に相談すること」
「分かった」
「ちゃんと頼ること」
「分かった」
「それから」
「まだあるの」
苦笑するフィリアにアルグレックは目尻を下げた。
彼女はこの状況なんて欠片も意識していないのだろう。
男女がこんなに近く、しかも身体の一部が触れているというのに。
悲しいと思ってはいけない。むしろここまで許されたことを喜ぶべきだ。
今だけは。
「これからフィリアがしたいこと、たくさんしよう。一緒に」
「……それはお願いなのか?」
「うん。だから返事」
「ふふ、分かった」
目を見て笑い合う。
彼女が笑ってくれるのなら、今はそれでいい。
「じゃ、早速したいこと教えて」
「そんなすぐ浮かぶ訳ないだろ」
「いいからほら早く」
急かすと彼女はうーんと唸りながら眉間に皺を寄せた。真剣に考えてくれている。アルグレックは笑みを深くした。
「……燈火祭に、一緒に行きたい」
「うんうん。それから?」
「ええ? それから……あ、巨大鹿を出す店に行きたい」
「いいね。それから?」
「まだ考えるのか? うーん……湖にある店に行ってみたい、とか?」
「それもしよう。それから?」
「それから……そうだ。料理、教えて欲しい」
「うん。うん。全部しよう」
フィリアは気付いているのだろうか。それら全て、自分が提案したものだと。
覚えていてくれたこと。彼女もしたいと思っていてくれたこと。
アルグレックは湧き上がる喜びで、頬が緩むことを止められなかった。
「だから、早く元気になって」
「うん」
亜麻色の柔らかな髪に手を置けば、フィリアは素直に頷き、気持ちよさそうに目を細めた。
それからフィリアにお願いされてミオーナを探しに行けば、予想通り屋上にいた。アルグレックに気付くと、涙を溜めたままバツの悪そうな顔を浮かべている。
「……なんでフィリアは、分かってくれないのよ」
「ほんとだよ」
アルグレックはミオーナの隣りにドサリと座ると、大きな溜息をついた。
「俺、フィリアに好きだって言ったんだ」
「えっ!? うそ、ほんとに!?」
「しかも2回も」
ぎょっとした顔でアルグレックを見つめるミオーナ。涙は一瞬で乾いたらしい。
彼女は彼の告白が成功したのか失敗したのかを測りかねている様子だった。どう見ても喜んでも落ち込んでもいない。
「ぜんっぜん分かってくれなかった」
「それで2回言ったのね。初めてあんたを尊敬したわ」
「そりゃどうも」
ミオーナの視線は尊敬というより憐れみのそれだ。
「フィリアは好かれるとか大切にされるとか、そういうことをされた覚えがないんじゃないかな。だから本当に分からないんだと思う」
「それは……やっぱり、魔消しだから」
「多分ね。きっとすぐには信じられないだろうけど、少なくとも俺たちには心を許し始めてると思う。だから、今はただ一緒に、楽しい思い出を増やしてもらうことに決めた」
不思議そうなミオーナの視線には目を合わせず、アルグレックは少し照れくさそうに笑った。
「楽しいことがあるから笑える。そしたらちょっと心に余裕ができるだろ? 余裕がないと、周りの好意に気付けないから」
アルグレックにはその経験があった。
魅了によって壊れた家族や友情に落ち込んでいた日々が変わったのは、入隊してからだった。
少しずつ強くなることへの楽しみ。一般兵から衛兵、騎士へと登っていくごとに、楽しみが増えて心の余裕が生まれた。
そうしてやっと、どれだけ色んな人が自分を気に掛けてくれていたのかに気付けたのだ。
「……かっこつけ」
「あはは。俺もそう思う」
「それに、その間に囲む作戦でしょ」
「バレた? ミオーナも協力してくれたら嬉しいけど」
「見てなさい。私が先に手懐けちゃうから」
「え、そっち? それはほんと勘弁」
ふふん、と得意気な彼女の表情に、アルグレックも負けじと不敵に笑った。
「でも、今は俺が一歩リードかな?」
「なんでよ」
「フィリア、ミオーナに嫌われたんじゃないかって気にしてたし」
「――っそれを早く言いなさいよ馬鹿犬!!」
彼女は慌てて出口へと走っていく。
その後ろ姿を眺め、時間潰しに差し入れ用のアイスでも買って行こうかなと苦笑した。
「フィリア大好きよ!」
「……ありがと」
アイスを手に医務室へと行けば、そこには熱烈にフィリアを抱き締めているミオーナが見えた。
分かっている。フィリアには、ミオーナが言う「好き」と同等だと思われていることは分かってはいる。
いや待て。
ミオーナへの方が強く抱き締め返してないか? 嬉しそうに見えるのは気のせいか?
アルグレックは遠い目をしながら、改めて長期戦を覚悟したのだった。




