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37.怒られる

 大きい手だな、とぼんやり考える。大きくて温かくてゴツゴツした手。誰かなんて、見なくても分かる。


 フィリアはゆっくり瞳を開けた。



「フィリア!」


 アルグレック、と名前を言い終わる前に咳き込んだ。喉が乾きすぎて上手く声が出ない。

 起き上がろうとするもあまり力が入らなくて驚いた。アルグレックに手伝ってもらいながら、フィリアはなんとか上半身を起こす。左手から消えた温もりが、背中に変わった。


「大丈夫か? 無理しないで。まだ寝てていいから」

「水が、欲しい」

「ちょっと待ってて、誰か呼んでくるから」


 腰部分に枕を差し込むと、アルグレックは素早く部屋から出ていった。急に部屋が静かになる。


 ああ、生きていたのか。


 特に喜びも悲しみもなく、ただ生きていたんだなと思っただけだった。

 あんなに痛かったのに、あんなに血が出たのに、今はなんともない。人間は想像以上にしぶとくできているらしい。フィリアはまるで他人事のように感心した。


 部屋を見渡すと、そこは見慣れた場所だった。何度も診てもらった騎士棟の医務室。妙に派手な色の小物が置かれた机が目に入って確信した。



「フィリア!!」

「良かったわ。目が覚めたのね」


 ミオーナとイデルが駆け込むように部屋へと入ってくる。遅れて入室したアルグレックに水を渡されると、フィリアは力が入らず震える手を誤魔化すように一気に飲み干した。


 イデルは仕切りのカーテンを締めて、診察を始めた。

 驚いたことに傷口がない。前に巨大鹿にやられた時の傷も、なんなら指先のささくれすら消えている。昔石を投げられて付いた傷すら薄くなっていて、じっと探して見ないと分からないほどだ。


 唖然としているフィリアに、イデルは「あとで全部説明するわ」と微笑んだ。


 イデルがカーテンを開けると、心配そうな顔をしている2人と目が合った。


「気分はどう? 痛いところとか、違和感とかはない?」

「ないです」

「記憶が曖昧なところはない? 私たちのこともちゃんと分かるかしら?」

「はい」

「良かった……ほんとに、良かった……」


 琥珀色の瞳からボロボロと大粒の涙を落とすミオーナ。そしてそのまま涙も拭かずにきつくきつく抱き締めるものだから、フィリアは大いに困惑した。

 アルグレックに視線を送っても、眉尻を下げて微笑むだけだった。


 隊長と副隊長が部屋に入ってきてようやく解放される。

 イデルが2人に怪我の状態を説明すると、そのままあの時どうやって治療され、ここに運ばれたかを聞いた。あの時のお試し治療魔法がヒントになるとは。

 ここでもフィリアは他人事のように聞いていた。



「アルグレック君が早々に知らせてくれたから間に合ったものの、本当に間一髪だったんですよ」

「どうやってあの場所が分かったんですか?」

「ああ、それならあの冒険者カードだよ。あの時の魔法陣に追跡魔法も付与しておいたからね」

「はあ」



 あの時というのは、隊長が立会人の時のことだろう。


 フィリア自身に万が一のことをがあった時の交換条件のひとつとして、冒険者カードを指定のケースに入れることを約束されたのだ。


 薄いガラスで作られたそのケースの内側には魔法陣が描かれており、カードを入れると不思議なことに属性が「その他・魔消し」ではなく「火属性」に見えるのだ。

 冒険者カードを偽造することは犯罪だが、これならばグレーだからと得意げに言われた。

 いいのか。


「カードケースに魔法陣を貼ると説明したら、君はどんなものか聞かなかっただろう?」

「はあ」


 拒否権があったようにも思わなかったし、そもそも追跡されて困るものでもない。それが犯人確保に繋がったのだからまあいいか、とフィリアは深く考えることを止めた。


 普通の病院ではなく、騎士棟の医務室に運ばれた理由は説明されなかったが、なんとなく予想はついた。

 魔消しだから。治療されずに追い返された経験ならいくつもある。





「――つまりわざと切られに行ったと?」

「それしか思い付かなかったので」


 そのあと聞かれるままに説明すれば、隊長たちはちっとも笑っていない笑顔を、アルグレックとミオーナは明らかに怒った顔を、フィリアに向けた。


「そんなことより、犯人たちはどうなったんですか?」

「「そんなことより?」」


 いたたまれなくなって話題を変えようとしたが失敗だったらしい。数人か――もしかしたら全員だったかもしれない――の声が重なって、ピリピリとしていた空気が凍った気さえした。


「犯人たちは、捕らえた次の日に牢の中で死んでいた。口封じだろう」

「攫われていた人々も魔幻白蝶の幻覚作用で詳細を思い出せないようです。調査班が調べてはいますが、難航するでしょうね」

「そうですか……」

「また聞きにくるだろうが、それまではゆっくり休んでいなさい」

「はい」


 隊長たちが出口へと向かう。イデルもあの魔術師パブロのところに行くと席を立った。

 不意に副隊長だけ振り返る。その作られた笑顔が深くなって、フィリアは嫌な予感に襲われた。



「思う存分、怒られて下さい」



 副隊長は爽やかな顔で物騒なことを言い、返事も聞かずに退室した。なんとなく、残った2人の顔が見られなかった。




「この馬鹿!!」



 耳鳴りがしそうなほどの大声に、思わず耳を塞ぎそうになった。ミオーナはまだ涙目のまま、顔を赤くしている。

 間違いなく怒っている。それだけは分かる。


「どうしてそんな無茶したのよ……っ!」

「無茶?」

「ひとりで尾行して! 挙句の果てわざと切られる!? 馬鹿以外何て言えばいいのよ!!」

「ミオーナ、落ち着いて」

「落ち着けるわけないでしょ!? もしフィリアが死んだら、死んじゃったらって……!!」


 またしてもボロボロと涙を落としたミオーナは、アルグレックにすら怒っている。フィリアはどうしていいか分からなかった。


「役に立たなかった?」

「役に立ったか、ですって? 立ったわよ! 立ったけどあんたが死んじゃったら意味ないじゃない!!」

「価値がある方が助かるなら問題ないだろ?」

「フィリアには価値がないって言いたいの!?」


 ないだろ、と口には出さずに思ったが、すぐに思い直した。

 そうだった。彼らにとっては珍しく少しだけ価値のあるものだった。


「魔消しなら、また探せば……」

「――っぶん殴るわよ!! 魔消しが必要だからじゃないの!! あんただから、フィリアだから……!! フィリアはもっと自分を大切にしなさいよ!!」



 ミオーナはそう叫ぶと、そのまま病室から出ていった。


 這ってでも追いかけるべきなのか。けれど追いかけたところで掛ける言葉が浮かばない。本心を言ったのだから、謝るのも違う気がする。


 困惑した視線をアルグレックに送ると、菫色の瞳にもまた怒りが見えた。



「ミオーナの言う通りだよ。俺もそう思ってる。フィリアはもっと自分自身を大切にしてほしい」

「……そんなの、分かんない」


 価値のないものを大切にして何になる。

 手の甲に視線を落とせば、いつの間にかシーツをぎゅっと握り締めていた。



「魔消しなんて、どこに行っても嫌われるのに。自分を大切に、なんて分かるわけないだろ」



 フィリアは自分を嘲笑った。


 魔消しだと分かった瞬間、家族にさえ捨てられた人間なのに。


 神父が残してくれたお金だって、本当は魔消しなんかに施されたくないからだったのではないかと疑っている。


 自分だけが自分を大切にしたって、虚しいだけだ。



 アルグレックが一歩近付く。呆れられたのかもしれないという不安は、すぐにどこかへ消えた。


 気付けばアルグレックの腕の中にいた。



「俺はフィリアが好きだよ。大切だと思ってるし、ずっと一緒にいたいと思ってる」

「……」

「フィリアが自分を大切に出来ないって言うなら、その分俺が大切にする。だから、お願いだから、もうあんな無茶しないで」



 なんでそんなこと言うんだ。

 どうしてそんな、欲しい言葉を、いつも。



 フィリアは詰まりそうになる喉を誤魔化すように、口を開いた。




「……変な奴」




 額を肩に預けてゆっくり息を吸う。瞳を閉じれば力が抜けていくのを感じた。



「……アルグレック」

「うん」

「ありがと」



 いつかセルシオに教えてもらった言葉を思い出して、フィリアは少しだけ抱き締め返した。



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