33.囚われの
「こいつ何も持ってねぇな。探知魔法も全く反応なかったし、金もたったこれだけかよ」
すぐ近くで男の声が聞こえる。
聞いたことがあるようなないような。フィリアは夢うつつに考えた。
「冒険者成り立てか? でもまぁ、折角だからちょっと味見くらいしとくか」
「それは今度にしろ。とにかく今はそいつをさっさと幻覚漬けにして帰るぞ。万が一仲間でも来たら面倒だ。お前はここで見張りしてろ」
そうだった、と犯人のあとを追っていたら逆に捕まったことを思い出す。
意識が戻りだすと、次に痛みが戻ってきた。
縛られた身体が揺れている。どうやら誰かに担がれているらしい。
下衆な会話のあとに聞こえたのは、鍵を開ける音だった。どこかの建物に入っていくようだ。やっと薄っすら目を開けられたが、暗くてよく分からない。微睡むようなゆっくりとした瞬きしかできず、殴られた場所が痛くて頭が働かない。
男の足元が土からタイルに変わる。部屋ひとつ抜けて立ち止まると、フィリアを担いでいた男は彼女をゴミのように投げ捨てた。痛みで目をぎゅっと瞑り、身体を縮こませる。呻き声が勝手に漏れた。
最悪だ。
呆気なく尾行がバレて捕まるなんて。大失態だ。アルグレックはどうしただろう。自分を探し回っていたら……フィリアは心がぎゅうっと苦しくなった。
メモを残すんじゃなかった。「勝手に帰りやがって」と怒って放置してくれた方が良かった。
彼ならきっと、探してしまうだろう。
髪を掴まれ、顔を歪めながら睨みつけると、知らない顔の男が意地悪い笑みを浮かべていた。フィリアを後ろから殴りつけた男だ。
「さてと。なんであいつらを尾行したか教えてもらおうか」
「……」
「答えろ!」
頬を強く殴られるがフィリアは黙っていた。
男は忌々しげにフィリアを睨むと、そのまま扉の前まで引き摺っていく。頭皮が痛い。けれど声を出すのも悔しくて、ただ口の中に広がる血を感じながら耐えた。
「見ろ。この扉の向こうに何がいると思う」
「……」
「魔幻白蝶だよ。あの部屋に入れば、あっという間に夢の世界だ。すぐに今日のことも忘れるだろうな」
魔幻黒蝶の何倍も強い幻覚作用を持つ、とても希少な魔幻白蝶。幻覚の時間も長く、元に戻るまでの時間もかかる。見せる幻覚も黒蝶とは違い、当人の願望が強く現れる。また幻覚を見ている時間と同じだけ、直前の記憶から順に消えてしまうという恐ろしい副作用もある。
「ここに入れられたくないだろ? だったら話すんだな。なんで尾行した?」
「誰が話すか」
「よっぽど早く入りたいらしいな。おい! さっさとここを開けろ!」
「い、いやでもまず口当てを……」
「チッ! 早く寄越せ!」
フィリアが尾行していた男のひとりが慌てて口当てをする。明らかにもたもたしたその動きに、フィリアの髪を掴んでいる男も苛立ちを募らせているようだった。
空き家なのか、部屋にはたくさんの棚があるがほとんどが空だった。たまにゴミが置かれている程度で、薄暗さも相まって物寂しい雰囲気に包まれている。扉の向こうからも物音ひとつ聞こえない。
静かな部屋に、不意に足音が聞こえてきた。
「おいさっさとしろ!」
「リバスさん!! 騎士が……騎士が来た!!」
「はあ!?」
血相を変えて駆け込んできたのは、顔を覚えたもうひとりの男だった。驚いた男たちは少しの間言葉を失っていたが、すぐにフィリアに鋭い視線を向けた。けれど、驚いていたのは男たちだけではなかった。
まさか。
「お前みたいな汚い冒険者が騎士団の囮とはな……けど残念だったな」
「どうしましょう、リバスさん!」
「どけ。すぐに結界を張る。この部屋さえ隠せば奥の部屋も見えないはずだからな」
フィリアを乱暴に床に叩きつけると、リバスと呼ばれた男がある引き出しを乱暴に開けた。そして部屋の四隅に大きな魔法陣が描かれたを紙を置いていく。
全てに置き終えると、男は指先を少し切り、血を落としてから呪文を唱える。すると四隅が青白く光った。
「こうすればそう簡単には壊せないらしいからな。俺を倒して魔力を消さない限りは。だからここにいれば、騎士団がここに入ってきても向こうからは見えない。ただの壁に見えるってよ」
「ほ、本当ですか?」
「まぁ見てろ。ほら来たぞ」
ドアが蹴破られ、騎士団が雪崩れ込んでくる。見知った顔ばかりが見える。特隊だ。
彼らの顔を見て、フィリアは顔を歪めた。
どうしてここだと分かったのだろう。しかもこんなに早く。
本当に私は何をやっているんだ。
任務で忙しく疲れていると言っていた彼らの束の間の休息を、こんな魔消しを探すために潰させるなんて。
役に立つどころか、却って邪魔をしているなんて。
「フィリア! いたら返事して!!」
「……そ、その女の名前ですよ!」
「ふん、骨折り損だったな。麗しの騎士様方にも、こっち側は見えてないし、聞こえない。助けを求めたって無駄だからな」
必死に彼女の名前を呼ぶアルグレック。彼だけじゃない。ミオーナもセルシオも、他の隊員たちも皆疲れの色が隠れていないままに、彼女の名前を呼んでいる。
フィリアは唇を噛んだ。
私が魔消しなんかじゃなければ。
私なんかが彼らに関わらなければ、こんな面倒事に巻き込まなかったかもしれないのに。
どうして私は魔消しなんだ。どうして魔消しなんかに生まれたんだ。
そう考えることをやめたはずなのに。
魔消しなんかもう、やめられたらいいのに。
「あの色男がお前の男か? もうすぐ忘れちまうんだから、今のうちにじっくり見とけよ」
「……」
「じっとしてろ。言っとくがその縄は魔消しされてるぞ。魔法は使えん。だが妙なことしたら殺すからな」
少し前にギルドで依頼のあったあの縄か。依頼人が数人いたのは偽装だろう。報酬も良かったし、何回に分かれてはいたが、かなり本数があったから覚えている。
男は鞘から剣を抜き、刃に魔法を纏わせる。そしていくつか床にある染みに視線を投げ、ニヤリと笑った。何人かのあとらしい。
もう、そうなってもいいか。
魔消しなんか生きていても、死んでしまったとしても、大した問題じゃない。
そう思っていたのに。
「フィリア!!」
合うはずがないのに、アルグレックと目が合った気がした。
その瞬間、フィリアは直感的に「嫌だ」と思った。
このままだと本当にただのお荷物で終わることになる。それだけはどうしても「嫌だ」と。
四隅の結界を見る。
一番近いところまで走っても、すぐ近くにいる男が気付く方が早いだろう。
けれどやるなら今だ。特隊たちが去ってしまう前に。片手さえ魔法陣に届けば……
フィリアはリーダー格の男の視線が特隊に向かったのを見て、駆け出した。
「あっ、おい!!」
「仕方ない、死ね!」
男が剣を振り上げた気配に、フィリアは身体こど勢い良く振り返った。薄い笑みを浮かべながら。
「なっ!?」
剣がフィリアの身体に触れる直前、魔法だけが消えた。刃だけはきっちりと彼女の身体を斜めに斬りつけ、血を撒きながら魔法陣のところまで飛ばした。
後ろに縛られていた手が魔法陣に触れる。反発するような圧が徐々に消えていく。
そして、結界が消えた。
「……っフィリア!!」
「お前まさか、魔消し……!?」
「ざまあみろ」
血を吐くことも厭わず、フィリアは不敵に笑った。




