27.元気付ける方法
野営で2番目に困るのは、身を清めることだ。
隊員たちは魔法で身体も服も洗浄と乾燥ができると、ミオーナが少し申し訳なさそうに教えてくれた。
服はミオーナに魔法をかけてもらい、その間にテントの中で身体だけ拭いた。明日川を見つけたら髪を洗おう。
そして1番困ることは、眠れないことだ。
こんな風に周りに人が多い状況で寝袋に入るなんて初めてだが、やっぱり寝れる気がしない。というよりも、もう最初から寝ることを諦めていた。
少しすればあちこちで寝息が聞こえ出す。何度かの寝返りを打つと、よく知る声が降ってきた。
「フィリア、寝れないの?」
「……うん」
最初の見張りはミオーナとベテランそうな騎士だった。その騎士に恐る恐る見張りを代わりたいと申し出ると、とても喜ばれた。それなら最初から言えば良かった。
「で、アルグレックとどんな話してて、あんな表情になったわけ?」
「……見張り中に話なんかして大丈夫なの」
「小さな防音魔法使ってるから平気よ。で?」
「別に大したことじゃない。肩に力が入ってないかって言われただけ」
「ふふ、確かに。それは私も思ったわ」
ミオーナは笑って頷きながら、それでもちゃんと周囲に目を配っているから感心する。フィリアは拗ねた表情をしながらも彼女に倣った。
「そんなに分かりやすいのか」
「分かるわよ。友達だもの」
「友達だから、分かる?」
「そりゃそうよ。友達のことは知りたいと思うから、自然と気になるの」
「ふうん」
アルグレックやミオーナの表情が分かるようになってきたのはそういうことなのだろうか。最近はセルシオのも少しずつ分かるようになってきた。
フィリアはくすぐったさで不意に緩みそうになった唇を結んだ。
「それで?」
「何が?」
「フィリアはなんて答えたの? あいつの質問に」
「……何って。別に、大したことは」
なんとなく気恥ずかしくて言葉を濁せば、ミオーナは意地悪そうな視線を寄越した。引く気はないな、と直感する。
「…………あんたたちの役に立ちたくて、って言っただけで」
「ああもう無理ダメ抱き着くわ」
「ぐえっ」
「叫びそうになったじゃないの! ほんと可愛いんだから!」
「うるさい苦しい放せ」
次はセルシオと中堅風の騎士が見張り担当だった。その中堅騎士にも交代をお願いすれば、破顔で了承された。ミオーナは何か言いたげな顔をしていたが、そういえば彼女も心配性だったなと視線に気づかないふりをした。
セルシオはずっと話していた。まるで沈黙を嫌うかのように。
見張り用の椅子には睡眠防止の魔法がかけられているらしい。それにしてもよく話題が尽きないなと感心しながら、フィリアは相槌を打つ。
「そういえばアルグレックから聞いたけど、『借り』って言ったって?」
「……まあ」
「あいつ、落ち込んでたぞ」
責めるような声ではなく軽口を叩くような声に、フィリアは地面を見つめた。
夜目が効くのは足元だけ。少し先を見れば真っ暗だ。
「……事実だろ。色々してもらってばっかで、何も返せてないし」
小さく零した言葉はしっかりと届いていたらしい。セルシオの小さく笑う声が聞こえた。
「別に何か返してほしいなんて思ってないけどなぁ」
「……アルグレックにもそう言われた」
「だろうな。友達が喜んでくれたら自分も嬉しい、ただそれだけだ」
その気持ちだって、今日知ったばかりだ。それなら今までは友達ではなかったのだろうか。
そう考えて、少しだけ落ち込んだ。
「そもそも俺らは貸してるつもりはねえよ。あげてんの。だから、タダで貰えてラッキーくらいに思ってありがたく受け取っときな」
「……努力する」
頭に手が乗せられ、ポンポンと弾みをつけられる。少し乱暴にあやされている気分になってセルシオを睨むと、ニヤリと笑ってまた頭に掌を乗せられた。さっきとは違い重みを感じる。
「縮む」
「悪い悪い。友達を元気付けようと思ってだな」
「絶対わざとだろ」
急に重みが消えて顔を上げると、セルシオは両手を軽く上げてヒラヒラとさせながら一点を見ている。その視線の先にはアルグレックがいた。
「怖い顔してんな〜あいつ。よし、俺はアルグレックと交代して寝るけど、フィリアちゃんはどうする?」
「起きてる」
「なら次はあいつのペアと交代するか?」
「うん。いいなら」
「なら俺から言っとくわ。あんま無理すんなよ」
セルシオはアルグレックと少し話すと、すぐに違う隊員にも声を掛けに行った。
アルグレックは小走りでこちらに向かってくる。空いた見張り用の椅子に座ると眼鏡を外し、何かを言いかけては止めるを繰り返しながら、視線を彷徨わせている。
寝起きだからか、いつもより険しい顔をしている気がした。
「……フィリア、眠れないのか?」
「うん」
「眠くなったら言えよ。フィリアはその睡眠防止も効かないだろ?」
「大丈夫。人がいると眠れないから」
フィリアは一度口を閉じて、真っ暗な森を見た。そうしてまた口を開いた。
理由を説明する、なんて今まででは考えられなかった。そして、どうして話そうという気になったのか、自分でもよくわからなかった。
「……修道院を出てすぐ、夜に外で寝てると荷物を盗られそうになった」
「え?」
アルグレックは驚いてフィリアを見た。話の内容だけでなく、聞く前に理由を話し出してくれたことに驚いたのだ。
「そういうことが何度かあって、誰もいない部屋じゃないと寝れなくなった。だから別に無理してる訳じゃないから」
「そっか……」
アルグレックはそう言うと黙った。詳しく聞かれても困るので、フィリアも黙って視線を周囲に向けた。
荷物だけじゃない。身の危険を感じたことだって何度もある。
けれどそこまで言わなかったのは、言えば心配すると分かっていたからだった。
沈黙が続く。
時折り生温い風が吹いて、黒々とした樹や草の揺れる音だけが聞こえる。
すぐ近くに一応友達とは言え人がいるのに、気を張っていなくていいのは楽だ。そう思いながらアルグレックを見ると、彼は落ち込んでいるような暗い顔をしていた。
途端に落ち着かなくなる。
どうしたのか聞こうとして止めた。魔消しに心配なんかされたくないかもしれない。何か言えばいいのかもしれないけれど、気の利いた言葉ひとつ浮かばない。
フィリアはふと、さっきのセルシオを思い出して、ゆっくりアルグレックに手を伸ばした。
「え? フィ、フィリア?」
動揺した声に、アルグレックの頭からすぐに手を引いた。セルシオの真似は、どうやら失敗だったらしい。
やっぱり魔消しでは、ダメだったのだろうか。
「ごめん……その……セルシオから、こうやって友達を元気付けるってさっき聞いたから」
「ああ、それで……」
ほっとしたアルグレックに、フィリアも安堵した。騎士相手に急に手を出そうとしたのがまずかったのかもしれない。そう思い直した。
「フィリア」
「何」
「もう一回してって言ったら、困るかな……」
不安そうに言うアルグレックにフィリアは少しだけ微笑んで、もう一度手を伸ばした。
男のものとは思えない艶やかな黒髪にポンポンと掌を置けば、「ありがと」と小さな声が聞こえた。
顔を上げたアルグレックはもう暗さは見えない。
多分、今度は成功したのだろう。フィリアは自分の心まで軽くなったことに気が付いた。
「セルシオとどんな話してたか、聞いてもいい?」
「ああそれなら、あんたの話」
「え? 俺?」
「うん。借りって言った時のこと。セルシオは『タダで貰えてラッキーって思っとけ』って」
「はは、セルシオらしい……でも、納得してないんだ」
「聞く人によって違うから。友達って、難しい」
ミオーナも双子の医者もセルシオも、みんな友達の線引が違う。腕を組んだフィリアを見て、アルグレックはつられるように同じポーズで考え出した。
「友達かぁ……俺は、一緒にいても気疲れしなかったら友達かな」
「それだけ?」
「うん。友達って言っても色々あるから。趣味が合う、好みが合う、なんなら利害が一致するだっていい。一緒にいて落ち着く、疲れない相手って、案外いないもんだよ」
「ふうん」
アルグレックも友達の線引きが違った。彼の場合は祝福が厄介なだけに、確かにそういう相手は多くないのかもしれない。
「フィリアは俺……たちといて、疲れる?」
「いや」
「それなら良かった」
「……むしろ、楽しいと、思ってる」
素直に口に出すのが恥ずかしくて、尻すぼみになっていく声。
目を見開いていたアルグレックだったが、すぐに笑顔になった。それも、とびきりの笑顔で。
「俺も!」
その笑顔を見て心が温まる。
少しだけ、友達が何なのか分かった気がした。




