26.野良猫の番犬
アルグレックは後悔していた。フィリアに討伐遠征についてきてもらったことを。遅かれ早かれいつかは遠征同行依頼はあっただろうと分かってはいても、やっぱり後悔していた。
「フィリアさん! これ魔消しお願いします!」
「はい」
「あ、次俺も!」
「はい」
フィリアを囲みながら自分の番を待つ隊員たちに、アルグレックは震えた。休憩の度にフィリアに魔消しを依頼すると隊員たちが、飴に群がる蟻に見える。常に横でフォローという名の牽制するのもどうかと思い、今回は離れたところで見ていたが、なんとも落ち着かない。
「ありがとうございます、フィリアさん!」
「いえ……これくらいならいつでも」
何より、フィリアが張り切るなんて完全に想定外だ。
めちゃくちゃに硬い表情だが、硬いなりに愛想よくしようとしているのが分かっていじらしい。真剣に魔消しを施したあと、少し照れながらも懸命に言葉を選んで返事をする姿のギャップが辛い。可愛い。
「大人気ね、フィリア」
「フィリアちゃん見てたら、なーんか構いたくなるからなあ。あとアルグレックの反応も面白いし」
「ご主人様を取られないようにしてる犬みたいよね」
「聞こえてるから! 2人とも!」
「あらいいの? あんたここにいて。ほら先輩たちがまた声かけてるけど」
「ああもう! やっぱり行ってくる!」
セルシオの大笑いを背に、フィリアの隣へと急ぐ。気になるものは仕方ない。
「あいつ、今日も絶好調にからかい甲斐があるな」
「別に全員があの子に恋愛感情を持ってる訳でもないのに」
「そうそう。あれだ、野良猫を手懐けたい感覚」
「分かるわ」
残った2人の会話を聞く間もなく、アルグレックは颯爽と番犬の位置へと戻った。
フィリアはアルグレックに気付くなり、毎回少しだけ、本当に誰も気付かないほど少しだけ安堵した表情をするのだ。アルグレックはその表情に何度でもときめいてしまうのだった。
「おいおいアルグレック、割り込むなよ」
「そうだそうだ。次は俺だからな」
「そんなこと言って先輩たちさっき魔消ししてもらってたじゃないですか!」
「なんだバレてるのか」
「よく見てんな~お前。俺のこと好きすぎるだろ」
「いや俺だろ?」
絶対に面白がられている。それは分かっているのに居ても立っても居られないんだから、自分でも手が負えないなと思う。
それに、全員が面白がっているだけではない。数人「あわよくば」がいる。絶対。
討伐後の休憩の度に囲まれるフィリアを見て、アルグレックはようやく他の隊員も自分と同じなんだと気が付いた。特隊は厄介な祝福持ち揃いだから、誰にとってもフィリアは安心して一緒にいられる存在なのだ。
特隊の専属魔消師になってくれたことに全く後悔はないけれど、自らライバルを増やした気しかしない。
「フィリア、大丈夫? しんどくない?」
「大丈夫」
彼女の大丈夫はアテにならない。もっと頼ってほしいのに。もしかしたらまだ「借り」だと思っているのだろうか。
あの言葉は本当に悲しかったし、正直に言えば少し腹も立った。けれどしばらくして思い直した。
多分、彼女は甘え方を知らないのだと。
頼ってほしくて手を差し出せば、彼女は少し戸惑いながら、すまなさそうな顔をしながら、それでも手を取ってくれるのだ。
だからアルグレックはいつでも一番近くにいようと決めた。
彼女をすぐに助けられるのが自分であるように。そしてそれがいつか、彼女にとっての普通になるように。
以前フィリアを怪我させた巨大鹿を仇のつもりで仕留めると、それが今夜の野営飯になった。セルシオが素早く捌き、アルグレックが串に刺してミオーナが焼く。
その隙にもフィリアは他の隊員に囲まれており、アルグレックはとてもやきもきしながら手を動かした。今までで一番早い串刺しだった自信がある。
焼けたばかりで、かつ一番美味しい部分を持って、フィリアに渡しながら隣に座る。
どうやら彼女は巨大鹿を気に入ったようだ。目を輝かせながら口を動かしている。可愛い。
ついでに飯屋の約束を取り付ければすんなりと了承され、心の中でガッツポーズした。
それにしてもフィリアはどうして急に張り切り出したのだろう。
「無理してない? なんか、すごく肩に力が入ってるように見えるから」
「できれば長くここで雇って欲しいし……それに、ちゃんとあんたたちの役に立ちたい、から」
「フィリアが特隊に来てくれて、ほんとに良かったと思ってるよ。もちろん、今日も」
食べ終わった串を弄りながら照れて言うフィリアが可愛くて、嬉しくて、いじらしくて。
ああ、もっとうまい言葉が出てくればいいのに。
「それなら……良かった」
初めて見たはにかむ笑顔に、心臓が鷲掴みされて、顔には熱が集まる。
フィリアのその表情が消えて、アルグレックはようやく息が吸えるようになった。
「ぐえっ」
「フィリア!! 貴女どうしてそう可愛いの!!」
少し離れたところにいたはずのミオーナに抱き着かれているフィリア。アルグレックはハッとして周りを見渡せば、まだ数人が赤い顔で彼女を見ている。
どうやらさっきの表情を見ていたのは自分だけではなかったらしい。
「串持ってるから危ないだろ……ミオーナが怪我する」
「ここで私の心配!? やだもうほんと可愛い!」
「いいから離れて。こら、力を強めるな」
羨ましい。
最近ミオーナはすぐフィリアに抱き着いている気がする。そしてフィリアもそれをすんなり受け入れている。
ずるい。先に友達になったのはこっちなのに。その上ちゃっかり反対隣に座っている。
「それで? 何の話してたの?」
「秘密! な、フィリア!」
「うるさいわね。あんたに聞いてないわよ」
「俺が話してたんだから、俺が決めたっていいだろ」
「番犬のくせに生意気ね!」
「番犬!? 誰が!」
「2人ともうるさい」
フィリアの呆れた声に、とりあえず黙る。ミオーナはもう元いた場所に戻る気はなさそうだ。
彼女の存在は無視することにして、アルグレックは他の話題を振ろうと頭を働かせた。
「そういや、料理はどう? 慣れてきた?」
「卵を割るコツが分かってきた」
「えっ、もう!?」
つい大きな声を出してしまった。
一緒に練習したかった。手に手を重ねて割る練習なんかしたら意識してくれるかも、なんて結構具体的に考えていたのに。そうしたところで意識してくれるか怪しいが。
それに、どこまでなら拒否されないのかも気になる。知りたいけれど、同時に少し怖くもあった。
「そんなに意外なの」
「放っておきなさい。どうせ禄でもない想像してたんでしょ」
「なんだそれ」
言い返せないのが悔しい。それをいいことに、ミオーナは強引に燈火祭へと話題を変えた。認めたくないが、少しだけほっとした。
夕食が終わると野宿の準備だ。見張り以外はさっさと就寝することになっている。見張りの人数は場所によって変わるが、今日の場所は危険なエリアでもないし、結界も張ってあるので2人いれば充分だ。
見張りは3交代制で、アルグレックは最後の担当だった。
隊員がひとり、またひとりと寝袋に入っていく。フィリアも同じように横になったのを見届けてから、アルグレックも寝転んだ。
目を閉じて今日のことを思い返すと、真っ先に浮かんできたのはあの時のフィリアの言葉だった。
嬉しかった。
自分たちの役に立ちたいと言ってくれたこと。もちろんこの特隊で長く働きたいと言ってくれたことも。
その後の、初めて見たあの照れた笑顔も。
アルグレックは緩む頬のまま、眠りについた。
けれど、それは寝起きに一転した。
少し早く起きるんじゃなかった。いや、むしろそのまま寝なければ良かったんだ。
セルシオがフィリアの頭に手を置いている姿を見た瞬間の、あの気持ちをなんと表情したらいいのだろう。手足が冷たくなって、胸がじわじわと焦げ付くような、真っ黒い気持ちを。




