21.お試し治癒魔法
「土日料理してみた? 上手くいった?」
今日は抜糸をしてもらう日だ。いつものように城門に迎えにきてくれたアルグレックと並んで医務室に向かう。
あまり触れてほしくなかった話題に、フィリアは目を逸らした。
「…………まあ」
「実際は?」
「……卵がボロボロになった」
声を出して笑うアルグレックを睨み付ける。卵を割るのがあんなに難しいとは思わなかった。料理人はとても簡単そうに割るのに。
容器の縁に卵を勢いよくぶつければ潰れ、それならばと優しくぶつければ弱すぎたらしく、今度は指で潰した。
おまけに小さな殻が入ったまま、火加減も分からず焼いてしまい、慌てた結果ポロポロジャリジャリボソボソとしたよく分からない物体になった。
目玉焼きが食べたかったのに。
「ごめんごめん。みんな通る道だから、馬鹿にした訳じゃないよ」
「……」
「今度一緒に練習しよう。コツ掴めば簡単だから! な?」
「……うん」
ムカつく。
頷きたくはなかったが、これ以上食材を無駄にしたくはない。
書斎にあった料理本も見てみたが、フィリアにはまだ高度すぎる内容だった。なんだよ半日煮込むって。
正直なところ、料理をする時間をギルド依頼に使って外で食べる方が効率的な気がする。買った食材が勿体ないので、それらを使い切るまでは頑張るつもりだが、先が見えなさそうならすっぱり止めよう。
医務室に入ると、ミオーナとあの双子の片割れ医者だけでなく、黒いローブに身を包んだ知らない男がいた。他の患者だろうかと入るのを躊躇していると、3人に手招きされた。
「フィリアちゃん、こちら魔術師のパブロ。同席してもいいかしら」
「初めまして、パブロ・アロンソと申します。今日は貴女にお願いしたいことがありまして……」
「とりあえず抜糸しちゃいましょうね。さ、ここに座って」
ボタンを外して肩を出す。
ミオーナの助けが必要だったのは最初に見てもらった時だけなので、毎度こんなにたくさんいなくていいのにと思ってしまう。注目されるのは落ち着かない。
抜糸は痛くなかった。視線の方が痛い。
特に先ほど紹介された魔術師は、穴が開きそうなほど凝視している。視線だけで傷口が開いてもおかしくない勢いだ。
「フィリア嬢。私は魔術によって引き起こされる現象が好きでしてね」
「はあ」
「何もなかった空間に現れる火や水、巻き起こる風。特に生き物のように変化した魔術同士がぶつかった瞬間が好きなんですよ。衝撃によって空気が揺れ、火花のように散らばる魔力の光の粒、そして音! ドンっと腹に響く低い音だけではなく脳が痺れるような高い音も――……」
ぼさぼさ頭を振り乱すように興奮しだした男を見て、フィリアは思いっ切り引いた顔をした。助けを求めるようにアルグレックとミオーナ見れば、2人とも同じような感情を殺した顔をしている。
「ちょっとパブロ、落ち着いて。みんなドン引きしてるわ」
「ハッ! これは失礼。という訳でフィリア嬢。貴女に治癒魔法をかけてみてもいいでしょうか」
「今度は端折りすぎ」
代わりに説明した医者によると、要はフィリアに治癒魔法をかけてみてその変化が見たいというだけのことだった。なんて回りくどい。
「はあ」とフィリアの気の抜けた返事を了承と受け取った魔術師は、向かいの椅子に座ると嬉しそうに両手を擦り合わせた。
「では遠慮なく!」
「フィリア! ちょっとでも変だと思ったら言って! な!」
慌てたアルグレックに、フィリアは「この状況」と言いたくなったが堪えた。魔術師が想像以上に真剣な顔で肩に手をかざしたからだ。
途端に崩れたが。
「ああ! 無音! いやしかしそれもいい!!」
「はあ」
ここに来てから「はあ」しか言っていない気がする。うっすら上気した頬を少しずつ近付けるのは止めてほしい。
フィリアはなるべく視界にいれないように右側を向いた。
「……どうですか? 何か感じます?」
「空気の圧みたいなものは」
「ふむ……ではこれは?」
「圧が強くなりました」
「ではではこれは?」
「圧が強くなりました」
不意に圧が消え、フィリアは魔術師を見て驚いた。額には玉のような汗が浮かんでは流れ、肩で息をしている。元々の青白い顔から色が消えている。
「……なるほどなるほど。これはこれは」
「パブロ、大丈夫? ポーションよ。飲んで」
ゼェゼェ言いながらも目を輝かせていて、正直少し気持ち悪い。魔術師はポーションを一気に飲むと、嬉しそうに「もう一度いいですか?」と返事も聞かずに手をかざした。
「どうですか?」
「……さっきより強い気がします」
「目眩やだるさは?」
「そう言われれば、くらいです」
「ふむ」
魔術師は手をかざすのをやめた。
アルグレックとミオーナからの視線には気付いていたが、フィリアはあえて見ないようにした。心配そうな目で見ている気がしたからだ。
傷口に視線を落とすと、抜糸された時と何も変わりなかった。やっぱり治癒魔法は効かないらしい。フィリアは溜息をつきたいのを我慢して、黙ってボタンを全てとめた。
「フィリア嬢、ありがとうございました。とても有意義な実験でした」
「はあ」
「では私はこれで! 忘れない内に実験結果をまとめなければ! ぜひまたお会いしましょう!」
颯爽と去っていった魔術師に、医者以外の3人はただ唖然としていた。どうやら医者は慣れているようだ。
立ち上がる時に少しだけふらつくと、目敏いアルグレックが背中に手を添えた。
「フィリア、ほんとに何ともない?」
「大丈夫。足がもつれただけ」
「これ、軟膏薬と当て布よ。また来週いらっしゃい」
「ありがとうございました」
「まだ禁酒よ。激しい運動も駄目」
「……はい」
ミオーナにジトッとした視線を送られる。心の声が聞こえてきそうな視線に、フィリアは諦めの溜息をついた。
3人揃って医務室を出る。てっきり今日もミオーナが立会人かと思っていたが、今日はアルグレックらしい。ただ会いに来ただけだと言われ、フィリアは暇なのかと心の中で呟いた。
「新しい家はどう? 困ったことはない?」
「うん」
「買い足したいものは?」
「ない」
「え~~~」
「なんでそう買わせたがるの」
「フィリアと買い物が! デートが! したいのよ!!」
「意味不明」
ミオーナは反対側にいるアルグレックを勢いよく覗き込んだ。
「あんたなら分かるわよね!?」
「いや俺に振らないで……」




