18.家探し 2
住宅案内所に戻る前に、フィリアはお金を出したいとギルドに寄るように馭者に頼んでいた。どうやら借りる気らしい。
馬車が案内所の前で停まる。フィリアはもう一度アルグレックたちに「反撃しないで欲しい」と念を押してから立ち上がった。
アルグレックは乗り降りする度に彼女に手を差し出したが、躊躇せずに取ってくれたことがとても嬉しかった。ミオーナに「もちろん私にもしてくれるわよね?」とニヤニヤしながら言われたが。
店主は最初よりも上機嫌で出迎えてくれた。
テーブルには賃貸契約書よりも売買契約書の方が手前に置いてあり、苦笑しそうになる。フィリアが鍵を机に置くと同時に、店主は身を乗り出しながら口を開いた。
「思ってたよりも早いお帰りで! どうでしたか!?」
「良いですね」
「もし購入してくださるなら端数はオマケしますよ! 契約書もこの通り書き直してあります! いかがでしょう!」
「なら買います」
「「は!?」」
「えっ、ほほ本当ですか!? でしたらこちらにご記入を!!」
チャンスだと言わんばかりに、店主は契約書を押し付けるようにフィリアに渡した。顔色ひとつ変えずにサラサラとサインする彼女を見て、ミオーナと顔を見合わせた。
書き終わった書類を上機嫌で受け取った店主だったが、すぐに意地悪い笑みを浮かべ、机の上の鍵を奪うようにして取った。
「ああ、なんだ。あんた魔消しだったのか。金はあるのか? うちは魔消しとは分割での売買契約はしてないんでね」
「大丈夫ですよ。他に書くものは?」
「ふん、ならさっさと金を持ってこい。そしたら鍵と交換してやる」
ふんぞり返って偉そうな店主に、フィリアは気にした様子もなくポーチから大金貨を3枚出した。大金だ。
「な……っ!? 本物だろうな? 貸せ!」
「どうぞ」
「……ふん、まあいいだろう。城館の登録申請は自分でしろ。俺は魔消しに費やす時間はないからな」
店主は投げやりに譲渡証明書を書き、魔力を込めた封蝋を落とす。これと契約書を城館に提出すれば家主になれるのだ。
使い回しであろう小汚い封筒にそれを入れると、鍵と一緒に文字通り投げてよこした。フィリアは黙ってそれらを受け取ると、立ち上がって出口と向かった。ミオーナと2人、彼女に倣う。
「ふん、さっさと出て行け。端数を恵んでやったこと、感謝しろよ」
「ちょっと! あなたさっきから失礼すぎない!?」
「ミオーナ」
フィリアの静かな声に、ミオーナが納得いかない顔のまま口を噤む。それを見た店主が、小馬鹿にしたように3人を見た。
「魔消しとつるむなんてあんたたちもモノ好きだな。それともあれか。魔消ししか友達になれないような性格破綻……ひっ!」
「謝れ。あんたに2人の悪く言う権利はない」
フィリアは店主に振り返ると、わざとローブの前を開けて小刀を見せた。鋭い目つきで店主を睨み上げ、声色も怒り一色。
彼女の怒っている顔を見たのは出会った時以来だ。
場違いなのは分かっている……でも今、きゅんとしてちょっと感動してる。
「おおおおい、あんたら! あんたらはちゃんとした騎士だろ!? こいつ魔消しの癖に俺を脅そうとしたぞ! 捕まえてくれ!」
「そんなの見た?」
「いや?」
「な……っ」
「行こう、フィリア」
まだ睨んでいるフィリアの手を引くと、彼女はそのまますんなりと後ろをついて店を出た。
やばいまたきゅんとしてる。
今度は振りほどかれなかった。拒否されなかった。それだけで、こんなにも喜びが湧き上がってくるなんて。
手を離したくない。数秒の葛藤の末、名残惜しかったが手を離す。フィリアは何だかバツの悪そうな顔をしていた。
「ごめん。付き合わせた上に嫌な思いさせて」
「私たちに謝ることなんかないのよ! 1番嫌な思いしたのはフィリアでしょ!」
「別にあれくらいなんともない。慣れてるから」
本当に何でもなさそうに言うから、聞いているこっちが辛くなる。ミオーナも同じだったのか、顔を歪めながらフィリアを抱き締めた。
……羨ましい。
「そんなのに慣れないで。魔消しがどうなんて関係ないの。フィリアにだって怒る権利はあるし、大切にされる権利があるのよ」
「……ありがと」
いまいち理解していなさそうなフィリアだったが、素直に頷いていた。
3人で揃って城館へと向かう。無事に登録申請も終わり、用事があるミオーナと別れた。
「アルグレックも忙しかったら無理に付き合わなくていいよ」
「今日引っ越すつもりだろ? 手伝いたいんだけど、いい?」
「うん、助かる」
そう言って薄く笑ったフィリアに、今日何度目かのときめきに襲われたアルグレックだった。
昼食をとってから宿に戻ると、宿主はフィリアを見て驚いた表情のまま、顔を青白くさせた。彼女の騎士団のローブ姿を初めて見たらしい。
「お世話になりました。今日出ます」
「あ、あんた、騎士なのかい……!?」
「私は」
「俺と同じ特隊の一員なんですよ、彼女」
「そ、そう、かい……」
被せ気味に話すアルグレックにフィリアは怪訝そうな顔をしたが、すぐにどうでも良さそうに「荷物取ってくる」と階段を上がった。
残されたのは挙動不審な宿主と、胡散臭いのに綺麗な笑顔を浮かべるアルグレックだけ。
「保証金の返却準備、しなくていいんですか?」
宿主は大きな身体をびくつかせると、逃げるように奥へと引っ込んだ。入れ替わるようにして、新しく買ったばかりのローブに着替えたフィリアが降りてくる。手にはリュックがひとつだけ。
それを見た瞬間、アルグレックはなぜか切なくなった。
「宿主は?」
「奥に行ったよ。こっち」
彼女のリュックをさっと取ると、一瞬だけ指に触れた。フィリアは全く気にした様子もなく、小さな声で「ありがと」と言った。
それだけのことなのに、つい口元が緩んでしまう。
「鍵を返却にきました」
「あ、ああ。これ、保証金と……ちょっと貰いすぎてた分を返すから」
「はあ。どうも」
「だからさ、あんた、このことお上には……」
「今回限りですよ」
真面目な顔で返事をすれば、縋るような視線を送っていた宿主がきまりの悪そうな顔で頷いた。フィリアは黙ってじっとこちらを見つめている。ちょっと居心地が悪い。
宿を出て乗り合い馬車に乗ると、他には乗客がいなかった。これで眼鏡が外せる。それだけで肩の力が抜ける気がした。
「何か言ってくれたの」
「いや? むしろ勘違いしてるのを黙ってただけだよ」
「……ありがと」
ぶっきらぼうなのに、冷たさを感じない不思議。アルグレックはくすぐったさに目を細めた。
「フィリアってよく『ありがとう』って言うよな」
「そうか?」
「うん。結構嬉しい」
彼女は視線を上に投げて、しばらく考え込んでいた。
「多分神父様の影響かな」
「えっ、神父、様!? フィリアって信仰深かったの?」
「そう見えるか?」
「…………見えない」
「正解。ないよ」
短く息を吐くように笑うフィリアに、またしても心臓が煩くなった。
聞いてもいいのだろうか。ここに来る前のことを。
アルグレックは違う意味でもドキドキしながら、探るような視線を送った。
「それじゃ、神父様って……?」
「魔消しだと分かって入れられた修道院の神父様。17歳までそこにいたから」
「そうだったんだ。知らなかった」
「別に面白い話でもないし」
「そんなことない。前にも言ったけど、俺、フィリアのこと知りたいから」
目を見て言うのは少し恥ずかしい。目を見て話すことに慣れていないから、なんてそれだけじゃないことは分かっている。
ワインレッド色の大きな瞳に、少しでも長く映っていたい。
「……変な奴」
少し呆れ顔のフィリア。それでも声に拒絶した色がなくて、アルグレックはにやけた顔を抑えることなく笑った。
馬車を降りて家へと向かう。鍵を開けているフィリアを見ながら、アルグレックは改めて家を見上げた。
「それにしても即決で買うなんて思わなかったよ」
「だって安かったし」
「それはそうだけど……家だよ、家。フィリアってたまにすごく男前だよな」
「それ、あんたが言う?」
アルグレックはぎゅんと音がしそうな勢いでフィリアを見た。顔に熱が集まっているのが分かる。
「フィ、フィリア、俺のこと、その、おおおおとこ……」
「? 整った顔してると思うけど」
「とと、えっ、とと……っ」
「嫌味なくらい」
「いや……っ!?」
目を白黒させるアルグレック。褒められているのか貶されているのか分からない。
顔を褒められたことは初めてではない。多分他の人よりは多いという自覚はある。ただまさか、彼女もそう思ってくれてるなんて。
けれどもう、そんなことは一瞬でどうでもよくなった。
「はは! なにその顔!」
笑った。フィリアが。しかも弾けるほどの笑顔で、真っ直ぐこっちを見ながら。
アルグレックは自分の顔が真っ赤なことも、口が開いたままなのも分かっていた。分かっているのに、ただ彼女が見せた初めての表情に見惚れることしか出来なかった。まるで心が射抜かれたような、そんな気分。
フィリアはそんなことお構いなしにまだ笑っている。手の甲を口元に当てて、顔をくしゃりと崩しながら。
どうしよう。可愛い。やばい。可愛い。
心臓が痛いくらいに煩い。泣きそうなくらいに嬉しい。
「どうかした?」
ようやく笑いが収まって、いつもの顔で小首を傾げて見上げてくる彼女に、またしても心臓が掴まれる。
「ほんと、フィリアってずるい……」
「何が?」
「何でもない……」
いつかと同じ会話をしながら、アルグレックはなかなか収まらない動悸に胸を押さえたのだった。
次話から3日おきに更新になります。




