16.ローブ
悪いことは重なるものだ。
怪我のせいですることがなく、あの本の続きを読む為に図書館へ向かおうと宿を出るところで宿主に声をかけられた。恰幅の良いおばさんだ。
「悪いけど、そろそろ出てくれないか」
「……え?」
「あんたより金払いの良い客が入りたがってるんだよ。今月末には出てってくれ。悪いね」
言うだけ言うと、ぴしゃりとドアを閉められた。フィリアは大きな溜息をついた。
部屋は他にも空いているはずだ。魔消しだということが今更問題視されたのかもしれない。そのせいで追い出されたり泊めて貰えなかったりしたことは多々あった。宿の信頼に関わるだとか、信用できないだとか理由は様々だったが。
今月末まであと1週間しかない。図書館へ行くことはとりあえず中止して、ワンピースのままだが冒険者ギルドで相談してみようと決めた。
ギルドにひとつだけある総合相談窓口で散々待たされた挙げ句、良い返事は聞けなかった。
今の安宿に決まるまでも「探してみます」以外の返事は中々聞けず、4回目に知らない冒険者があの宿主を紹介してくれたのだ。申込書の属性欄が必須なのが恨めしい。
属性その他に丸をし、括弧の中に魔消しと書きながら、毎度これで難航するのは決定だと心の中で吐き捨てる。自分で書かなくても冒険者カードには記載されているので、担当者に溜息をつかれながら書かれることになるのも身を持って知っている。
結局正午を大きく過ぎてから、何の収穫もないままギルドを出ることになった。昼はどこで取ろうかと重たい足取りで考える。溜息が止まらない。
「え、嘘。あの子じゃない?」
「やだ本当だわ。いつもの汚い格好じゃないから分からなかったわ」
「ほんとほんと」
「ちょっとあなた、待ちなさいよ」
肩を引っ張られそうになって、漸く自分に話しかけていたのだと気付いた。
化粧が濃く、胸元が大きく開いた女3人が苛立ちを隠さずにこちらを睨んでいる。1人として全く見覚えがない。
「……何?」
「あなた、あの人に付き纏うの止めなさいよ」
「あの人?」
「しらばっくれないで! アルグレック様よ!」
声には出さずに表情だけで「様……」と辟易する。3人とも庶民の格好ではあるが、その内の1人は全体的に金のかかってそうな身なりをしている。
「あいつの友達か何か?」
「かっ、関係ないでしょ!?」
「そういうことは本人に言えば」
「言えないからあなたに言ってるんじゃない!」
心の底から面倒くさい。恐らくアルグレックに好意を寄せているのだろうが、自分に言うのは筋違いだと思う。
はあ、と大きな溜息をつくと、顔を真っ赤にした3人組はこれでもかと言わんばかりに視線を鋭くさせた。
「ちょっとアルグレック様に気に入られてるからっていい気にならないで!」
「そうよ! どうせすぐに飽きられるんだから!」
「それを決めるのはあいつだろ」
「まあいいわ、どうせすぐに後悔するわ! 私たちの忠告を聞かなかったことに!」
「マチルダ様もお怒りなんですから!」
これ以上付き合わなくていいだろうと無視を決め込んで歩き出すと、3人組はまだブツブツ言ってはいたもののついては来なかった。
ほっと一息ついて忘れることにする。今はそんなことより住む場所だ。
「ごめん、追い出されるの俺たちのせいかも」
「は?」
翌日、いつものように城門まで迎えに来てくれたアルグレックに宿のことを話すと謝られ、その理由を教えてもらった。宿にモグリがあるなんて知らなかった。
「もしかしたら何か紹介できるかもしれない。心当たりがないでもない」
「無理はしなくていい。また昼から探してみる」
「俺が力になりたいだけだから気にしないで。とりあえず、先に医務室に行こう」
今日もあのオーナーの双子の医師がいた。ミオーナも既におり、2人で何やらきゃっきゃと話に花を咲かせていたようだった。
前回程消毒液も染みることはなく、経過観察は良好、来週には抜糸できると嬉しそうに言われた。
立会人はミオーナで、魔消し依頼は17個。ここの仕事だけは順調だ。練習場へ行くミオーナと途中まで一緒なので、並んで歩く。
「そういえば、あの店にローブって置いてある?」
「アデルのお店? 確かあったわよ。ああそうね。あのローブは買い替えた方がいいわね」
「うん。帰りに行ってくる」
フィリアがそう言うと、ミオーナは立ち止まって少し考え込んだ。美人は腕を組んで考える仕草も絵になるな、と彼女を見つめながらフィリアは思った。
「なら一緒に行きましょ。夜7時に店の前で。時間になっても来なかったら先に見ててくれたらいいから」
「ローブ1枚くらいひとりでいいよ」
「ダメ。絶対にただ安いだけの、他の服との組み合わせも考えないような物選ぶもの」
「……」
否定出来ずに押し黙るフィリアに、ミオーナはじとっとした視線を投げつけた。溜息と共に「よろしく」とフィリアが呟くと、彼女は漸く満足げな微笑みを見せた。
午後からも数軒賃貸紹介所を訪ねたが、一様に嫌な顔をされて終わっただけだった。
最悪、決まるまで野宿で凌ぐしかない。それ自体は別に良いのだが、この身体では野宿できる場所を探しに行くこともままならない。今日何度目かの溜息をつきながら、待ち合わせの店へと向かった。
約束の10分前だったが、既にそこにはミオーナとアルグレックが待っていた。フィリアは慌てて駆け寄った。
「ごめん、待たせた」
「丁度来たところよ。さ、入りましょ」
「俺も来ちゃった。朝話してた心当たりのことで、フィリアにも確認したくて。ローブ買ってから話すよ」
「うん、ありがと」
ミオーナに続いて入ると、今日も目のやり場に困る派手な服を来たアデルに出迎えられた。今朝の医師と見事に同じ顔だ。
ローブは案外すんなりと決まった。冒険者の時にも使えるようにと、カーキに黒糸で刺繍が施された夏用のものにした。
「ローブだけでいいの? チュニックは大丈夫だった?」
「縫えば使える」
「見るわよ」
フィリアがミオーナに強制連行される。
明らかにげんなりした彼女をアルグレックは苦笑しながら見つめていた。そんな彼にすすすと寄ってくるアデルの手には、先程フィリアが選んだローブと刺繍針が握られている。
アルグレックは目を合わせないようにしながら、アデルの言葉を待った。
「このローブの胸元に刺繍するなら、菫色と菫の花、どっちがいい? サービスするわ」
「は? え?」
「貴方の瞳の色、菫色でしょ? 分かるように菫色の菫にしちゃう? 魔除けになるわよ」
「なっ!?」
「あら、違った? てっきり貴方はあの赤紫の仔猫ちゃんのことが好」
「わーわーわーっ!!」
フィリアが振り返ってアルグレックに視線をやるが、ミオーナの「放っておきなさい」の一言に視線を戻した。楽しそうで何よりだ。
「そういうのいいですから!」
「あらいいの? 紫の菫なら花言葉も『愛』だし良いと思ったのに」
「あ、あ、愛って……」
顔を真っ赤にしたままブツブツ言うアルグレックにアデルは楽しそうに微笑んだ。
「それなら桔梗はどうかしら? 色も似てるし誤魔化せるわよ?」
「……聞きたくない気もしますけど、一応花言葉は?」
「ふふふ、『友の帰りを願う』よ」
想像と違った花言葉に、アルグレックは拍子抜けした気分になった。
それなら別に入れてもらっても……
「それから『永遠の愛』に『誠実』に『従順』に……」
「やっぱり!!」
「忠犬にぴったりじゃない?」
「結構です!!」




