14.怪我
油断した。
ここのところずっと浮ついていたからだ。
左肩が痛い。とにかく痛い。どくどくと血が出るのを感じる度に痛い。
運よく珍しい薬草を見つけられたと思っていた。中々見つけることのできない薬草で、報酬が高価な割には常に採集依頼一覧に消されずに載っているものだ。依頼には一度限りのものと、常時受け付けているものがある。
高級素材や高等魔物討伐、使用用途の多い素材などは、例え依頼一覧になくてもギルドでも買い取ってくれるので、フィリアは気にして草花にも目を配ることにしていた。
それが今回は仇になった。いや、ただ自分が浅はかだっただけだ。巨大鹿が近くにいることに気付かないなんて。薬草を摘み終わって振り返った瞬間だった。頭上には既に巨大鹿の前脚があり、体を少しずらすことしかできなかったのだ。
どうにか逃げ切ることができ、そのままギルドの医務室に駆け込んだ。
ギルドの1階の最奥が魔物のいる森への入口になっており、その扉のすぐ前に医務室がある。フィリアが治癒術師に痛みの具合と怪我をした時の状況、最後に魔消しであることを伝えると、露骨に嫌な顔をされた。それも仕方ないことだ。フィリアには治癒魔法も回復薬も効かないのだ。
幸い折れてはいないらしく、止血したあと、化膿止めと鎮痛作用のある薬草をくれた。こういう時も魔消しは不便だと思う。
翌朝起きてからシャワーを浴び、鏡を見て驚いた。全体的に赤黒く変色し、その中心が縦にぱっくりと切れていた。寝返りを打つ度に起きる訳だ、と妙に納得した。
フィリアはいつもよりかなり早い時間に安宿を後にした。ふとした拍子に動かすとまだ血が出るため、支給された制服を汚したらどうしようかと怯えながら、ゆっくり歩を進めた。
ちらりとローブを見て溜息をつく。いつものローブはもうボロボロで買い直さないといけない。穴は空き、血染みがはっきりと残っている。ミオーナの教えてくれた店にはあるだろうか。
いつもの倍以上時間をかけて城門が見えるところまで来ると、アルグレックが血相変えて走ってきた。
「フィリア! どうした!?」
「何でもない。昨日ちょっと怪我しただけ」
「ちょっとには見えない! 肩を貸すよ」
「いや、そっちは、い……っ!」
「ごっ、ごめん!」
とりあえず隣で歩調を合わせてもらうだけに留めてもらう。オロオロしながら「担ごうか!?」と言うアルグレックに苦笑しながら断った。
根掘り葉掘り怪我した状況を聞かれ、どんどん彼の顔が険しくなっていく。心配してくれてるのが分かるからか、とてもいたたまれない気持ちになった。
「とりあえず治癒術師のところに……!」
「大丈夫。どうせ効かない」
「あ……ごめん……」
「そのうち治る。魔消しには問題ないから」
まだ何か言いたそうだったが、彼はそれ以上は何も言わずに歩調を合わせてくれた。
控室には副隊長がいたが、できればいつも通りにしていたかった。が、そんな願いは叶わず、着くなり早々アルグレックが話してしまった。
「アルグレック君、ミオーナさんを医務室に呼んできて下さい」
「はい」
「本当に大丈夫です。気にしないで下さい」
「いいえ、ダメです。恐らくですが貴女が思っているより酷い怪我です」
「でも……」
「血の匂いで分かります。これは祝福ではなく、ただの特技ですが。さ、我々も医務室に行きますよ」
そうまで言われると、フィリアはもう何も言えなくなった。ただただ申し訳なさで俯いてしまう。
自分はここに何をしに来たのか。フィリアは下唇を噛んだ。
医務室には誰もいなかった。もうすぐ来る時間だからと座って待つように言われる。自分だけ座るのも落ち着かなかったが、大人しく指示に従うことにした。
「フィリア! 大丈夫なの!?」
「ミオーナさん。フィリアさんの傷の状態を私に見せられるようにしてもらえますか? 我々はカーテンの向こうで待機していますので」
「はい。フィリア、脱がすわよ」
医務室に飛び込んできた美女の恐ろしいオーラで気圧されながら、フィリアは口の端が引きつるのが分かった。道中アルグレックから聞いたのか、少し怒ってすらいる。
フィリアの返事など少しも待たず、てきぱきと服を脱がすと、はっと息を飲んだ。フィリアは制服が汚れていないか心配だったが、ちらりと見た限りではどうやら大丈夫そうだ。間に挟んでいたタオルはもうダメそうだが。
彼女はフィリアの支給されたローブで左肩以外をぐるぐるに巻き、2人を呼んだ。手慣れているなと他人事のように感心する。
「フィリア……! こんな……!」
「見た目は酷いと思うけど、折れてはいないと言われた」
「折れてはいないでしょうが、酷いことには変わりありません。もうすぐ先生が来る予定ですので待ちましょう」
「……すみません」
フィリアは申し訳なさで謝ることしかできなかった。
今日は来るべきではなかった。こんなことで手を煩わせている自分が情けなかった。呆れられただろう。自分の愚かさを呪った。
「あら? 今日はお客さんがいっぱいね」
「イデル!……先生。患者はこの女性です。私たちの専属魔消師なんですけど」
入ってきたのはこの前のオーナーそっくりの男性だった。ぎょっとしていると、ミオーナがこっそり「アデルの双子の弟なの」と教えてくれた。この兄弟の親が見てみたいような、見たくないような。そんなどうでもいいことを考えている間に、アルグレックが今朝話した内容をもう一度説明していた。
「あらまあ、結構酷いわね。魔消しなら縫うしかないわね」
「おやおや、嬉しさが全面に出てますよ、先生」
「だって滅多に縫う機会なんてないんだもの! うふふ、腕が鳴るわ……!」
頬を染めてくねくねと喜ぶ姿はあのオーナーとそっくりだ。フィリアだけではなく、アルグレックも若干引いている。医師は気にした様子もなく、嬉々として薬草の入った瓶からいくつか取り出して調合を始めた。
「消毒、沁みると思うけど我慢してね」
「~~~~っっ!!?」
「次は麻酔ね。それにしてもよく我慢してたわね~」
返事もままならない。痛い、熱い、沁みる。手を固く握り締めて、処置が終わるのをただ耐えて待つ。
幸いにもとても手早く処置してくれて、消毒薬液と包帯までくれた。その上、次回魔消しに来る日にまた診てくれるそうだ。ありがたいより申し訳ない気分が勝ってしまう。
医師と2人にお礼と謝罪を述べてから、副隊長と控室に向かう。副隊長から今日はいいと言われたが固辞した。それだと来た意味がない。
「治療費は報酬から天引きにしてもらえますか?」
「それには及びません。貴女は我が隊の専属魔消師なんですから」
「いえ。冒険者の時の怪我です。ただでさえご迷惑をおかけしたのに」
「迷惑だなんて思っていませんよ。貴女に全力で魔消しをしてもらうための必要経費です」
最悪だ。
鉛を飲み込んだような気分に、下を向いて唇を噛む。けれど今はすべきことをしないといけない。
重く吐き出した溜息は、喉の奥にある鉛を一緒に出してはくれなかったけど、とにかく今は魔消しに集中することに決めた。




