12.服屋
「見事になんっにもない部屋ね」
「まあね」
今日はミオーナに服を見繕ってもらう日だ。
正直なところ、あの酔っ払いっぷりでよく覚えていたなと感心している。それに伴い、昨夜にアルグレックから手紙が届いていた。次回のご飯の日時指定が主な内容だったが、追伸に『明日、何かあったら逃げるんだ』という不吉な一文が書かれたものだった。
朝何時に起きられるか分からないという理由で、ミオーナは直接フィリアの借りている宿に来てくれた。
もてなすための茶器ひとつもない、がらんとした部屋。あるのは簡易ベッドと小さな卓袱台、申し訳程度のクローゼット。それだけである。
ミオーナが覗いたクローゼットの中には、今フィリアが着ている冒険服と全く同じものが一式と、騎士団関係者用の制服一式のみが吊るされており、その下に少しの食器と洗面器具が置かれている。下の引き出しにはタオル数枚と下着が入っているだろう袋と、フィリアの荷物全てがちょうど入りそうなくらいの鞄が入っていた。ちなみに洗面所とシャワー室は共同だ。
「今時、浮浪者でももう少し物を持ってるわよ」
「うるさいな」
「まあいいわ、それも今日までよ! このクローゼットじゃ足りないくらいにしてみせるわ!」
「1着でいいから」
ミオーナのブーイングにうんざりした顔をする。アルグレックは正しかったかもしれない。既に逃げたい。
気合を入れ直したミオーナに、引き摺られるように安宿を後にしたフィリアだった。
「一応聞いておくわ。希望はある?」
「安い。楽。丈夫」
「特に希望なしね! 私に全部任せてね!」
聞いといて完全に無視された。全く納得できないが、お願いしたのは自分だと口を噤む。
ミオーナはいつもの練習着ではなく、所謂下町の町娘のような格好だった。白色の綿のワンピースは膝下まであり、よく見るタイプより少し襟ぐりが広く、胸元から鳩尾まで紐が編まれている。ウエストはリボンで締められており、スタイルの良さを際立たせている。袖と裾に黄色でいくつも薔薇の刺繍が施されていて、ミオーナによく似合っていた。
「ここよ! ここなら値段もお手頃だし、何より信頼おける人がやってるのよ!」
庶民の店がひしめく通りの途中でミオーナは足を止めた。建物自体は古いが、小洒落た雰囲気に装飾されている。白く塗装された壁と、マネキンが飾られた大きなウィンドウの枠は黒く塗られており、扉は特注だろうか、色々な木材を組み合わせて作られている。ドアハンドルも縦に細長い黒の金属で、蔓を模した柔らかな曲線になっている。
店の佇まいだけで、フィリアはもう回れ右したくなった。確実に自分には縁のない店だ。
「古着屋でいい」
「ダメ。ここのは丈夫だから、古着より結果的に安くつくわよ」
「いやでも」
「さ! 行くわよ!」
そんなフィリアの気持ちを無視して、ミオーナはその腕を引っ張り、強引に店へと入って行った。奥に広い店内は優しくとも甘い香りがしている。フィリアは益々顔が引きつった。
「ミオーナいらっしゃい! あら、そちらの可愛いお嬢さんは?」
「フィリアよ。私の友達なの。今日はこの子の服を探しにきたの。フィリア、ここのオーナーのアデルよ」
「……どうも」
「やだ可愛い。フィリアちゃん? そんな薄汚れた服じゃ勿体ないわよ。素晴らしく素敵に変身させてあげるわ。私たちに任せて?」
薄汚れてて悪かったな。
強張った顔のまま挨拶しても、アデルと呼ばれたオーナーは嬉しそうに目を細めてフィリアの全身を舐めるように見た。純白のシャツの襟元は大きく開いており、目のやり場に困る程だ。細身の黒いスボンには真っ赤な薔薇の刺繍がいくつも入っている。少しカールした金髪は肩まで伸び、照明によってキラキラ輝いて見える。少し細い眉、赤色の瞳の上にはしっかりとアイラインが引いてある――――男だ。
この時フィリアは確信した。アルグレックは正しかった、と。
「フィリアちゃん。ご希望は?」
「安い。楽。丈夫」
「全面的に任せてくれて嬉しいわ」
ここでも完全無視だ。フィリアはもう諦めて、大人しく採寸されることにした。昼ごはんは何にするか、夜ごはんは何するか、そんなことばかり考えていた。
大人しくなったフィリアをいいことに、2人はああでもないこうでもないと服をあてがっては盛り上がっていた。どんどん積み上がっていく服をちらりと見れば、値段はそこまで高くはないことにひとまず安堵する。
しかし、全てが下町娘の格好だ。スカート自体、最後に着たのは修道院に入れられる前だ。修道院に入ってからは、庶民の男が着るようなお下がりの服――ローブを着ればあっという間に冒険者の格好だ――しか着たことがない。
「とりあえず候補を10着に絞ったわ。さ、まずはこれ着てみて!」
「1番安くて地味なやつで……」
「もう少し増やす?」
「着ればいいんだろ、着れば」
投げやりな気持ちで試着室に入る。渡された紺色のワンピースを手に取って溜息をついた。似合うとは到底思えない。というか、そもそも必要か?
試着室の外から「着替えられないなら手伝うわよ?」と親切心を装った脅しが聞こえてきて、慌てて服を脱いだ。
「あら、いいじゃない。そんなしかめっ面しないの」
「……今更だけど、いつもの格好でいい気がする」
「ねえ、フィリア。あんた目立ちたくないんでしょ?」
急に真剣な顔で迫って来た美女に気圧されながら、遠慮がちに頷く。オーナーはニコニコとまだ服を選別していた。頼むからこれ以上増やすな。
「その格好で図書館に行くと警戒されるのはね、見るからに冒険者だからよ。冒険者っていつどこに行くか分からないでしょ。それに女の冒険者ってそんなに多くないわ。嫌でも目立つの」
「なるほど……?」
「郷に入っては郷に従え! この街に長く居てくれるなら、余計に溶け込めるようにしないと! 分かった!?」
「……うん」
そう言われればそんな気もするから不思議だ。似合わなかろうが、要は紛れ込んでしまえば誰も見ない。ミオーナと違って平々凡々な容姿だ。きっと気恥ずかしさも最初だけ、それも気にしているのも自分だけだ。
随分肩の荷が降りたような気分になって、フィリアは手渡されるままにどんどん着替えていった。とうに10着は超えたと文句を言いたかったが、溶け込める服を見繕ってくれてるはずだとぐっと我慢した。
それにしても、どの服にも色んな刺繍がされている。服の色やデザインに合わせて色も形も数もそれぞれに違っており、素朴の中にも上品さを醸し出していた。
昼を告げる鐘が鳴ったのが聞こえてから暫く経って、漸くミオーナの手が止まった。
「大体5着に絞ったわ。フィリア、気になるものある?」
「赤のとピンク以外なら」
「え〜可愛いのに〜!」
最後までミオーナはピンクに濃いピンクの刺繍が入った服も押していたが、買っても着ないと却下した。
結局薄グレーと紺のワンピースに決めた。やはりどちらにも刺繍が入っている。聞けばすべてオーナーが自ら刺繍しているそうだ。
「量産工場の検品で落とされた服を安く仕入れて自分で手直しして売ってるの。刺繍は趣味よ」
「アデルの刺繍の大ファンなの。ね、素敵でしょ?」
「うん。すごい」
素直に頷くと、オーナーは身をくねらせて照れていた。こんな仕事もあるのかと、初めて知った。
紺色のワンピースにもう一度着替えることを条件に、漸く店を出ることができた。
最初はやはり気恥ずかしくて居たたまれない気持ちでいたが、通り過ぎる人のほとんどがミオーナを見て、ついでに自分をちらりと視線をやる程度だった。足がスカスカして落ち着かないが、その内きっと慣れるだろう、多分。
この街の一員になれたような気さえして、フィリアは少し気分が軽かった。




