110.結婚式
「フィリアちゃん、あの騎士と結婚するんだって? 教えてくれないなんて水臭いじゃないか。ほら、お祝いにオマケのアイスだ」
「聞いたよ。来週湖の畔の聖堂で結婚式だってね! お祝いに巨大鹿の肉を仕入れたんだ。持って帰ってくれ」
「フィリアちゃ~ん、結婚式私たちも行きた~い♡ 良い人いたら紹介して♡」
結婚式の一週間前。
やっと演劇のことが薄れつつあったのに、今度は違うことで質問攻めにあっているのだ。
「なんっで! なんでみんながみんな知ってるんだ……!!」
「あー……なんとなく誰か予想できる」
「誰!」
「多分団長」
「ああ……」
納得とともに脱力する。もう少しで膝から崩れ落ちるところだった。
団長ならさもありなん。団長も張り切っているひとりで、アルグレックの父親代わりとして出席する予定だ。
アルグレックが数年振りに実家へ「結婚する」と手紙を出したが、返ってきたのは「分かった。その日は仕事だから」という、祝いの言葉も何もない文だけで、アルグレックは呆れ返っていた。長兄と長姉は必ず行くという手紙とともに大量のお祝いが贈られてきたけれど。
団長に問われたアルグレックが渋々そのことを話してからだ。団長が張り切り出したのは。
その後、その相手が話題になっている魔消しで、しかも伯爵家と縁のある人間だと知ってから慌てて参加したい手紙が来たが、にべもなく断っていた。
お互い実親には恵まれなかったが、親代わりには恵まれたと思う。
ちなみにフィリアの父親代わりはルオンサに頼むつもりだ。当日まで内緒だけれど。
代理を立てるほど本格的な式にしなくてもと今でも思うが、そう言うと悲しそうな顔をするのが何人もいるので言えない。
ドレスだってレンタルで充分だと言ったのに、むしろ要らないとまで言ったのに、アルグレックとルオンサと団長のタッグには敵わなかった。なのでもう丸投げしている。
前夜にもなるとさすがに少し緊張してきた。ふたりでベッドに潜り込むと、アルグレックはすぐにフィリアを引き寄せてキスを落とした。
「やっと明日フィーのドレス姿が見れる」
「……アルが着た方が似合いそうだけど」
「可愛いフィーの方が似合うに決まってるだろ。ああ、想像だけで鼻血出そう」
「あんたの目は全然治らないな。むしろ保護で酷くなったんじゃないの」
「超正常だから」
呆れた視線は笑って流される。服の中に手が伸びてきて、フィリアは叫んだ。
「ちょっ、明日の話したばっかだろ!」
「大丈夫。ほどほどにする」
「しないって選択肢は!」
「ない」
翌日は朝から快晴だった。気温も暑すぎず寒すぎず丁度いい。絶好の結婚式日和だと呟く隣の男はご機嫌だ。
朝食を済ませ馬車に揺られて聖堂に着くと、別々の場所へ案内される。
フィリアが通されたのは教会の裏手にある離れで、城館から派遣されたという侍女たちに素っ裸でもみくちゃにされた。
要はフルエステなのだが、初めて受けるフィリアにとっては擽ったくて痛くて何度叫びそうになったか分からない。最後の方にようやく気持ちよくなって、もうこのまま寝かせてくれたらいいのにと叶わない夢を描いた。
コルセットをぎゅうぎゅうに締め上げられたことで強制的に目が覚めた。朝食が飛び出るかと思うほどで、叫びそうな声とともに懸命に飲み込んだ。唸り声くらいは許してほしい。
ガウンを着せられた時はぐったりとしていて、化粧とヘアメイク中は気付いたら夢の中。起こされた時にはすべて準備が終わっていた。ありがたい。
「こちらでご確認くださいませ。とてもお綺麗ですよ」
「はあ、ありがとうございます」
重たいドレスを引き摺って鏡の前で驚愕する。これは、いつかミオーナが言った「別人みたい」ではない。
完全なる別人だ。
髪も肌も艶々で、目はいつもの倍くらい大きく、睫毛は多分3倍くらい長く見える。仮面でも付いてるんじゃないかと目元を触ろうとして怒られた。
アルグレックの入室が伝えられたけれど、この詐欺レベルの化粧では気付かれない気がする。
「フィー…………」
アルグレックは真っ直ぐフィリアを見たまま固まっている。さすがにドレスを着ていれば分かるかと片手を上げた。
真っ白なスーツは恐ろしいほどアルグレックに似合っていた。前髪もいつもと違ってふんわりと持ち上げられ、緩くサイドに流されている。眼鏡がかけられていない瞳は、いつもよりキラキラウルウルと……
「え、いや、なんで泣いてんの」
「フィーが綺麗すぎて……! どうしよう、俺、世界一幸せな夫だ……」
「大袈裟。そのうえ早すぎ」
クスクスと侍女たちが笑いながら退室していく。ふたりにしてくれるらしい。
「ほんとに、ほんとに綺麗。誰にも見せたくないくらい」
「じゃあ帰るか」
「ダメ。見せびらかさないと」
「どっちなんだ」
「男心も複雑なんだよ」
「複雑すぎるだろ」
額を寄せ合って笑う。化粧が落ちて怒られないよう細心の注意を払いながら。
アルグレックは改めてドレスを眺めた。
真っ白に艶めくシルク生地に繊細な刺繍レース。シンプルで上品なデザインなのに、素材が最高級だからかとても豪奢に見え、隠れていたフィリアのスタイルの良さを際立たせていた。
真っ白な衣装とは対照的に、髪にはアメジストをふんだんに使った飾りが付けられている。
衣装などはすべてルオンサが持ちたいと言って聞かなかった。その熱意に負けたフィリアはお願いしますと言うには言ったが、ここまで高級なものになるとは思わず、絶賛恐縮中だ。
そろそろ、とアルグレックに支えてもらいながら立ち上がる。途端に緊張していくのがフィリアには分かった。
「みんな来てくれてるって」
「ああ、まさかまた見世物になる日が来るとは」
「逃亡したい?」
「これじゃあ走って逃げられない」
「諦めた?」
笑って頷いた。諦めの良さには自信がある。フィリアは腹を括った。
ノックの音と共にルオンサの声がした。アルグレックは会場でと言い残し、ルオンサと代わるように退室していく。
「ああ、フィリア。本当に綺麗だ」
「ありがとうございます……その、こんな上等なものを用意してくださったことも」
「したかったのは僕の方だから。むしろ、受け取ってくれてありがとう」
ルオンサの瞳も潤んでいる。喜んでくれているのがよく分かって、フィリアも微笑んだ。
「結婚しても、君は僕の唯一の妹だ。何かあったらいつでも頼ってほしい。何でもすると約束する」
「……それなら、早速お願いしてもいいですか?」
「何だい?」
「父親の代理として、一緒に歩いてくれますか?」
同じ色の瞳が固まる。フィリアは眉を少し下げて笑った。
「……本当に、僕でいいのかい?」
「はい。ルオンサさんがいいんです」
「ああ、待って……まだ泣かせないで……」
ルオンサが目元を押さえて天を仰ぐ。何度か深呼吸を繰り返したあと、ルオンサは咳払いをしながら腕を出した。
「もちろん。喜んで引き受けるよ」
「ありがとう…………兄様」
以前呼んでいたように呟くと、ルオンサはボロボロと涙を零した。
教会へ続く扉の前に立っても泣き止まないルオンサのお陰で緊張は吹っ飛んだ。
ゆっくりと扉が開けられる。
拍手が聞こえてきても前だけを、アルグレックだけを見ていた。視線を逸らしたらきっと緊張が戻ってくる。
一歩一歩前に進んでいる途中で、フィリアは我慢できずに笑ってしまった。前で待っている男までボロボロと泣き出したからだ。
フィリアにつられたのか参列者の何人かが笑った。そしてすぐ誰かが「泣くの早すぎだろ!」とツッコみ、大きな笑いに変わった。
そのあとの式はとても和やかに進んだ。誓いの言葉も婚姻のサインも終え、この国で主流である挙式後すぐの立食パーティーの為に外へ向かう。
扉を開けられてすぐ、フィリアは目を瞠った。
めちゃくちゃ人がいる。アイス屋のバリーは家族総出だし、肉屋の号泣店長は想い人を伴っている。顔見知りの娼婦たちも、髪飾りの店員も、特隊の家族も顔と名前の一致しない他の騎士たちも。
そこからは、暗くなっても終わらない大宴会になった。参加者は大いに食べて飲んで歌って踊って、笑った。
今までで一番笑顔の絶えない日に、彼女はフィリア・ランドウォールになった。




