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107.デート

 翌朝やっと帰ってもいいと許可が下りた。明日の朝一番にまた妖馬車で帰ることが決まり、フィリアは盛大に息を吐いて胸をなでおろした。



「じゃあ、今日はデートできるね」

「いやでも勝手に出歩くのは」

「さっき許可取ったよ」

「いつの間に……」

「そうと決まれば早速行こう!」

「え、今から?」

「誰の気も変わらないうちに行かないと!」



 すぐに手を取って歩き出した男に戸惑いながらも従う。


 鼻唄でも歌いそうなアルグレックが城門を出てすぐ眼鏡を外した途端、フィリアは自分の気持ちがじわりじわりと萎んでいくのを感じた。

 それはまるで冷たいものが少しずつ足元から這い上がってくるような、底知れぬ怖さでもあった。


 その正体に心当たりはある。

 アルグレックが祝福の封印を希望したあの時から、フィリアの心の奥底で巣食っていた憂い。いまだに向き合う勇気の持てないもの。


「もしかして疲れてた? 大丈夫?」

「あ、いや……その、どこ行くか決まってるの」

「ルオンサさんと東側に行ったから、西側にも行ってみようかなって。どう?」

「うん。そうしよう」




 城下町は今日も賑わっている。ふと視線をやった先で、フィリアは目を瞠った。


 ベンチでくつろぐ老人の手にある新聞の一面。そこにはでかでかと『号外! 国王と教会が魔消しを祝福と認める!』と書かれており、謁見の様子が描かれている。横顔ではあるが、あれは間違いなくフィリアだ。


 眩暈がしそうだ。しかも、実物の100倍くらい美化されているように思う。



「わあ。セルシオたちのお土産、決まったな」

「新聞だったら燃やす」

「えー」


 フィリアの抗議を気にすることなくアルグレックは早速1部買い、帰りにもたくさん買って帰ろうと決意した。


「なんで買うんだ……!」

「見て、フィー。ほら、ここにエスカランテ領の紋章がばっちり描かれてる。バレるのも時間の問題だ」

「ちょっと待って、あんたまさか……」

「行き先、決定だな」


 綺麗ににっこりと笑った顔を、フィリアは猫のように引っ掻き回したくなった。




 連行された服屋でアルグレックに指定された服に着替えたはいいが、試着室から出られない。だって、これは、どう考えたって。


 ちらりともう一度鏡を見て、フィリアは悶絶した。


 黒地のワンピースは胸元で切り替えられた上品なデザインで、切り替え部分は太めのレース――もちろん菫色の――が付いている。

 そのレースを後ろでリボン結びをすると、途端に可愛らしい服になった。


「とてもよくお似合いですよ」

「……ありがとうございます」

「少しだけ髪を整えさせていただきますね」


 メイドのように世話をしてくれる店員が付くような店なのだ。絶対高いに決まっている。それなのにあの男は買うと言って聞かないのだ。


 もちろん一度はいらないと断った。けれど「彼女に服を選んで買うの夢だったから!」と背中を押されて入店してしまえば、もう強く拒否しにくい。


「できましたよ。服とお揃いのレースで編み込むのが王都での流行りなんですよ」

「はあ……ありがとうございます」

「お靴はこちらと伺っております」


 靴まで!


 フィリアはつい叫びそうになって慌てて飲み込んだ。彼は少し張り切りすぎではないか。こんな上等そうなもの、着慣れていない人間が着ていいものとは思えない。


 緊張しながらも腹に力を入れてカーテンに手をかけた瞬間。



「おひとりですか?」

「いえ。恋人の試着待ちです」



 フィリアは固まった。男の方は確実にアルグレックの声だ。



「あの、お名前だけでも教えてくれませんか?」

「恋人に変な心配掛けたくないので、すみません」



 手の止まったフィリアを気にも留めていないのか、それともわざとなのか、店員が音も立てずにカーテンを開けた。

 引き攣るフィリアとは対照的に、アルグレックは途端に顔を綻ばせた。


「うん、めちゃくちゃ可愛い。よく似合ってて嬉しい」

「……それはどうも」


 恥ずかしさから目を逸らすと、アルグレックの横に立っていた見知らぬ女性と目が合う。最初は驚き、次にこちらを睨み、全身を舐めるように見たあとは勝ち誇った顔だ。


 この流れも城下町にきてからもう3回目。


 そんなことはどうでもいい。……なんか、ちょっと、近くないか?



「えー、この人が恋人ですか……? あ、もしかして特別な理由とかで付き合ってるんですか? うち、裕福だから大抵のことなら解決できますよ? だから、ね? 私とデートしませんか?」

「しません。俺は彼女としかデートしたくないんで」

「じゃあこれ、名前と住所だから手紙下さい。ね?」

「ほんとにいりません。行こう、フィー」

「え、いや、でも」

「大丈夫、もう支払い済み。寒いからこれも」


 ワンピースとセットのようなコートをフィリアの肩に掛け、アルグレックは外へ出ようと背中を押した。

 アルグレックもいつの間にか着替えている。紺色のコートの下にセーターと細身のパンツスタイルで、いいところの青年に見える。こちらはきっと服に着られている感が拭えないだろうというのに。




「ほんとによく似合ってて可愛い。見せびらかせて嬉しいけど、秘密にしておきたい気もするから不思議」

「意味不明」

「あ、そうだ。フィーが食べたいって言った羊串は広場の公園でよく屋台出してるって。行ってみよう」

「あの店といい、よく知ってるな」

「ルオンサさんに教えてもらったから」

「ああそう……」



 この王都に来てから2人はとても仲良くなった気がする。嬉しい反面、面倒な気配を感じるのはなぜだろう。


 広場に着いたがまだ昼食には早いからと、公園内を散策することにした。


 ふと目が合うと、アルグレックはまたしても蕩けた瞳で笑顔を見せる。


「ああ、可愛いしか出てこない。ほんと可愛い」

「…………あんたは、こういう服が好きなの」

「うーん。そうだね、好きかな」

「それなら」


 言葉に詰まったフィリアの思いつめたような表情を見て、アルグレックはベンチへ座るよう促した。


「どうかした? 体調悪くなった?」

「違う。その…………ずっと、言おうと思ってた」

「何を?」


「私じゃなくても、もういいんじゃないの」



 勢いで言ってしまったそばから、死にそうなほど胸が痛い。


 さっきの店でアルグレックに声を掛けた女性は、こういう服を上手に着こなしていた。本当は、ああいう人がいいんじゃないか。彼の隣には、ああいう可愛らしい人の方がきっと似合う。



 ずっと思っていたから。心のどこかでずっと、彼にはこれしか選択肢がなくて魔消し(わたし)を選んだんじゃないかって。


 だからずっと、目を合わせられるのが自分だけだと思っていた。そうやって安心していたのに。



「……どういう意味?」

「魅了が封印されたんだから、もう相手は魔消しじゃなくても、あんたなら選び放題だろって言ってんの」

「フィーが魔消しだから恋人になったと思ってる? そうなら怒るよ、俺」

「でも、だって」

「俺は、フィーが魔消しだから友達になってほしいと言ったけど、魔消しだから好きになったんじゃないよ。フィーだから好きになったんだ」

「……封印の話があってから、ずっとあんたに酷いこと考えたって知っても? それでもそんなこと言えんの」



 アルグレックは今日、声をかけてきた女性たちにしっかり目を見て断っていた。


 嬉しい反面、それが辛かった。

 ああ、もう自分だけじゃなくなったんだ、なんて。


 彼がずっと魅了という祝福を嫌がっていたのを、一番近くで知りながら。



「あんたに魅了の祝福があれば、ずっと私だけは役に立てるのに、目を見て話せるのに。それがずっと私ひとりだけならいいのにって、そんなこと思……っ」



 言い終わるより先に、フィリアはアルグレックの腕の中にいた。


 言ってしまった。

 頭の隅の方で、これで帰りは気まずくなるなと嘲笑した。それならひとり普通の馬車で帰るのもいいかもしれない。


 きつくフィリアを抱き締めたアルグレックは、彼女の耳元ではっきりと言った。



「フィー、結婚しよう」




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