103.祝福を
フィリアはぼんやりと部屋の隅で座っていた。
すぐ目の前ではアルグレックとブルーノが最終チェックを行っている。体調や魔力の流れなどを確認しているらしい。
そわそわと落ち着かずに緊張しているフィリアとは対照的に、アルグレックはとても穏やかな表情だ。今日、彼の祝福は封印される予定だというのに。
とても広々とした殺風景なこの部屋は、強力な魔法や大掛かりな魔法陣を実験する時に使われる場所で、ブルーノもよくここに籠っているらしい。
ルオンサはどんな危険なことをするのかとブルーノを問い詰めていたが、彼に本当のことを言えるわけもなく、「心配ありません」とフィリアが何度も宥めることになった。
「準備はどうだ」
「ああ、陛下! ばっちりですとも!」
転移魔法で突然現れた男に、アルグレックは片膝をついて頭を下げた。フィリアも慌ててそれに倣う。
「いい。楽にしなさい。頼んだのは儂だからな」
「そうそう。少しくらいの不敬なら怒られないと僕が保証しよう!」
「お前はもう少し儂を敬うべきだと思うがね」
「そんなことより魔法陣はできました? ああ、見られないのが残念だ」
「まったくお前は……」
ブルーノの気安さに目を剥く。
なんと彼はこの国の筆頭魔術師だった。いや、この件に関わるような人物なので凄い人だろうとは思っていたが、その言動からどうしてもそうは見えなくて、未だに困惑してしまう。
アルグレックに続いて挨拶をしながら国王を盗み見る。金髪碧眼の国王は、普通の体型なのに圧倒的なオーラのせいかとても大きくて見えた。
目が合うと、にこりと微笑まれる。それは歓迎しているようにも探っているようにも見えて、フィリアはまた緊張で目を伏せた。
部屋にまた人が入ってくる。エスカランテ団長に続くのは、侍女とその後ろで怯えている子供だ。少年は目深に帽子を被っており、なおかつ目元には幾重にもベールが掛けられていた。
あの高そうなベールには見覚えがある。少し年配の侍女のつけている眼鏡にも。
「2人に紹介しよう。儂の孫のベルナルディーノと、その乳母リディエだ。彼らにも見学させる。ただ、リディエには誓約書通り、この部屋を出次第すぐに忘却魔法をかける。よいな」
「もちろんでございます」
フィリアもアルグレックも、団長も誓約書にサインした。個々に少しずつ違うものなのかもしれない。
少年が心配そうに侍女を見つめると、年配の侍女は柔和な笑みを彼に見せた。ふたりの信頼関係がよく現れており、言われなければ本当の親子のようにさえ見えた。
ベルナルディーノ王子がフィリアの方に向き直った。ベールでよく見えないが、不安そうな視線をひしひしと感じる。彼は侍女のスカートを握り締めたまま口を開いた。
「あ、あの、あなたがこのベールとリディエの眼鏡に魔消しをしてくれた人?」
「はい。そうだと思います」
「僕、ずっとあなたにお礼を言いたかったんだ。このベールと眼鏡が届いてから、母上もリディエも誰も、石にしなくてよくなったから。ありがとう」
「いえ…………その、もったいないお言葉です」
アルグレックに教わった、礼を言われた時の返答を必死に思い出して答える。団長が面白いものでも見たと言わんばかりに眉を上げた。
「さあ、始めよう。あまり時間を取れない身でな」
「待ってました! ではアルグレック君、いいね」
「はい」
打合せ通りアルグレックと侍女のリディエが近寄り、眼鏡を外す。アルグレックはゆっくりとリディエへ視線を合わせると、彼女の瞳が一瞬色めいた。
フィリアはその光景を見ていられなくなって、そっと視線を外した。
「どうだ? 何を感じた?」
「はい。あの視線を独り占めしたくなるような、とても甘美な心地を覚えました」
「今も?」
「はい」
頷いたブルーノが何かの魔法を唱えると、侍女は効果が消えたと答えた。安堵したアルグレックに胸が少し苦しくなる。
「ではいよいよ実験本番だよ! 陛下! 早く!」
鼻息荒いブルーノに急かされ、諦め顔の国王が部屋の中心部に魔法陣の紙を置き、目隠し用になのかその上にまた紙を置いた。
フィリアとアルグレックはブルーノに引き摺られるようにしてその紙の上に立つと、ゆっくり向かい合った。
「本当に、封印してもいいの」
「うん。お願い」
迷いのない顔で頷く男に何も言えなくなる。フィリアはずっと心に何かが引っ掛かったままなのに。
ブルーノの指示に従ってアルグレックが跪くと、フィリアも指示された通り彼の瞳を覆うように両手を置いた。彼が温かいのか、フィリアの掌が冷たいのか、両方か。
ただ黙ってその美しい顔を見つめた。
「じゃあ行くよ!」
ブルーノの長い長い詠唱が響く。足元の魔法陣が煌々と輝き出したのを見て、フィリアもゆっくりと魔消しを込めた。今までで一番慎重に、丁寧に。
ぶわりと魔法陣が部屋中に広がって、同時にブルーノの魔力がフィリアの全身を覆った。それが徐々に腕へと集中し、手首へ、掌へと移っていく。
どのくらいそうしていたか。掌を通してどんどん吸い込まれていた魔力が、ある時ぴたりと止まり、魔法陣の輝きも消えた。
すぐさまブルーノがアルグレックを鑑定する。そして、満面の笑みで大きく頷いた。
「アルグレック君、気分に変化は?」
「ありません。ただ、目が温かいような」
「うんうん、僕にも成功しているように見えるよ。えーっと、殿下の乳母殿! 来てくれるかい?」
静々とリディエがアルグレックの前に立ち、先ほどと同じように眼鏡を外して目を合わせた。
「……何も。先程のような感じは全くございませんわ」
「アルグレック君、少し強く魅了をかけてみて……どうだい?」
「少しドキドキしますけれど、やはり先程のような甘美さには程遠いですわ」
「そうか! やっぱり成功だね! おめでとう!」
「あ……あり、が……っ」
アルグレックは言葉の代わりに涙を零した。濡れた瞳はやっぱり綺麗で、フィリアは小さく微笑んだ。
「……フィリアも、本当にありがとう」
「私は別に……まあ、こんなモノが役に立って、よかった」
アルグレックはそっとフィリアの両手を取った。
「俺にとって、フィリアの魔消しは祝福だよ。フィリアが魔消しでどれだけ俺が救われたか……本当に、感謝してもしきれない」
「……」
潤んだ瞳につられるように、フィリアも目の奥がツンとして、喉が詰まった。
言わないと。いつものように、大袈裟だと言わないと。そう思うのに。
「なるほど。そうだね、僕もそう思うよ。魔消しも祝福のひとつだって」
ブルーノの言葉に目を瞠る。それでもフィリアはアルグレックを見つめたままだった。
「でも、魔消しは……大罪人の生まれ変わりで……神に見放された人間で……」
「こんなにいろんな人を救えるものが祝福じゃないなら、何を祝福と言うのだろうね?」
ぽろり、と瞳から熱が零れた。胸の奥からどんどん熱がせり上がって、フィリアは両手で顔を覆う。
泣いているのだと気付いたのは、アルグレックに抱き締められてからだった。
最後まで書き終わったので、毎日朝7時に予約投稿します。
ロスで何も手に着かない…




