100.新年
フィリアは本を読むことも忘れ、ひたすら刺繍の練習をした。
アルグレックに渡すハンカチも、自分でも納得できるほど上手にできたと思う。問題はいつ渡すかだ。
明日で今年も終わり、明後日からは新年祭が3日間開催されるらしい。本来ならその時に渡すのがいいのだろうが、フィリアは団長に良いと言われるまで出歩かないつもりだ。街中イルミネーションで溢れていると聞いて、つい視線をその方角へと移した。
我儘だと分かっているけれど、行きたかった。
彼らと、彼と行った祭りはどれも楽しかった。参加できれば、きっと新年祭だって。
もし行きたいと言ってしまえば、彼らは仕事での参加になりかねない。勤務中なら酒はおろかゲームだってできないだろう。
だから彼らに誘われた時、フィリアは断った。残念だという気持ちがなるべく顔に出ないように。何でもないように装って。
フィリアは完成したハンカチの刺繍に視線を落とした。――いつ渡そう。
「アルグレック。これ」
「これは?」
「ハンカチ。刺繍した」
「え? ハンカチ? 刺繍? ……刺繍!? フィリアが!?」
「……返せ」
「絶対イヤ!!!」
「うるさい」
フィリアは、今年お世話になったしとかなんとか理由を付けて、その日の夕方に勢いのままに渡すことにした。うだうだ考えても仕方ない、と。
アルグレックはハンカチとフィリアを交互に見つめて忙しい。フィリアは傍のベンチに座り、彼が落ち着くのを待った。
菫色の刺繍は、アルグレックのイニシャルと雪の結晶。フィリアが肌身離さず付けているブレスレットと同じ模様だ。
「ありがとう……ああ、やばい。嬉しすぎて泣きそう」
「大袈裟」
「でも、だって、ああどうしよう。すごく嬉しい。フィー、刺繍したものを送る意味知ってるの?」
「ミオーナに聞いた。生還を祈るお守りなんだろ」
「うん。何より騎士の憧れなんだよ。恋人から刺繍したものをもらうって」
「ふうん」
「だから、ほんとに、ほんとに嬉しい……」
感動しっぱなしのアルグレックに、フィリアはほっと息を吐いた。きっと受け取ってもらえるとは思っていたけれど、ここまで喜んでくれるとは。作ってよかった。
「それにしても、フィーがこんなに刺繍上手いって知らなかった」
「修道院でしてたから。別に特段上手くはないだろ」
「充分上手いよ! ああ、勿体なくて使えない……でも使いたい……!」
拝みそうな勢いのアルグレックに呆れながらも笑った。それにお世辞でも贔屓目でも褒められるのは嬉しい。
「それくらいでいいなら、また作る」
「いいの? ならリクエストしてもいい?」
「難しいのは無理だからな」
「じゃあ……ワインレッドの色の刺繍のがほしいな」
フィリアはその言葉に目を瞠る。けれどすぐ、小さく数回頷いた。気恥ずかしくて視線を合わせられないまま。
「……柄は」
「何でもいいよ」
「それが一番困る」
「それならワインレッドだから……やっぱり赤ワイン? 葡萄とか?」
「花とかじゃないのか」
「花なら、そうだな~」
ふたりであれはどうだ、これはどうだと盛り上がる。そうやって束の間の逢瀬を楽しんだ。
年が明けても、挨拶が違うだけでフィリアの生活は変わらなかった。魔消しの仕事以外は引き籠り、ひたすら刺繍の練習をする。ミオーナの分とアルグレックのリクエスト分――セルシオにも作ろうと思ったが大反対された――、それに、ルオンサの分も。
新年に合わせるかのように、ルオンサから手紙と高級そうな焼き菓子がどっさり届いた。手紙には、元両親は無事に回収したことや、新年早々当主交代の手続き取る予定だということが書かれていた。贈った焼き菓子で気に入ったものがあればぜひ教えてほしいとも。
そのお礼にもならないだろうし、もっと上等なものを山ほど持っていそうだが、アルグレックの勧めもあってルオンサの分も刺すことにしたのだ。好みはさっぱり分からないので、イニシャルと魔法陣もどきを刺す予定だ。
今日は新年祭3日目の最終日で、特隊は休み。フィリアは今朝も3人に「一緒に新年祭に行かないか」と誘われたが笑顔で断った。お土産よろしく、と言いたいことだけ言ってさっさと借りている部屋に籠る。
少し寂しいけれど、なにも今年だけの祭りではない。来年参加すればいい。そう思えばすんなり諦められた。
すっかり刺繍に没頭していたが、不意に音が聞こえ、フィリアは顔を上げた。こつん、こつん、と窓に何か当たっているらしい。
カーテンを開けて外を覗けば、真下でよく知る黒髪の男が手を振っている。
「え、何してんの」
「出てこれる? 寒いからローブも着てきて」
「いや、でも……」
「大丈夫。城館の外には行かないから」
フィリアは数秒悩んだが、すぐに頷いてアルグレックの言葉に従った。ローブを引っ掴み、早足で外へと向かう。
アルグレックは片手を上げて嬉しそうな顔を見せた。
「もう抜けてきたの」
「いや、帰ってきた。やっぱりフィーがいないと楽しくないから」
「そんなこと言ったらあいつらに怒られるぞ」
「もうバレてるから平気」
おどけた調子の男に笑ってしまう。
だから、とアルグレックは手に提げていた袋を持ち上げた。
「ふたりで、新年祭しよう」
ふわりと美味しそうな匂いが鼻を擽る。見れば袋の中は食べ物でいっぱいだった。
頬が勝手に緩んでいくのを止められない。
ふたりは並んで歩き出した。いつもの騎士棟の中庭ではなく、城の中庭へ向かうらしい。進むほどに花や装飾が増え、どんどん煌びやかになっていく。冬でもこんなに色んな花が咲くなんて知らなかった。
文官や騎士がちらほらとベンチで昼食を取ったり休んでいるのを横目で見ながら、空いているベンチに腰掛けた。
「たくさん買って来たから、たくさん食べて。さすがにここでお酒は飲めないからお茶だけど」
「充分。ありがと」
「じゃあ、もう何回目か分からないけど新年おめでとう! 今年もよろしくな!」
「ふふ。うん。こちらこそ」
お茶も料理も少し冷めていたのに、身も心も温かくなっていく不思議。時折吹く風だって少しも寒く感じない。こんなに嬉しい新年祭は初めてだ。
「焼き菓子持ってくればよかった」
「ルオンサさんからの?」
「そう。ミオーナと2人じゃ食べきれないくらいある」
「そんなに?」
「箱が重すぎて落としたくらい。ミオーナが運んでくれて、開けたら雪崩が起きた」
大笑いするアルグレックにつられて笑う。最初何が出てきたか分からず飛び退いたことは恥ずかしくて言えないけれど。
大したことは話してないのに話題が尽きない。ほとんど毎日会っているというのに。
「そういえば、フィーは木曜日が今年初出勤だよね? 俺も立会人ゲットできたんだけど……」
「けど?」
「魔消しが終わり次第、団長の執務室に俺も一緒に来るように言われてるんだ」
「それは……」
新年早々、また何かがありそうだなと直感した。
不意にどこかで騒がしい声がする。それは子供独特の甲高い声で、すぐあとに上品に窘める声が聞こえた。おそらくどこかの貴族か商人が一家で城館へと挨拶に来たのだろう。
「今の、副隊長の家族だったみたい」
「へえ……すごい。よく3人一度に抱っこできるな」
「三つ子だって。子供7人いるって聞いた」
「7人!」
驚きの余り、フィリアは彼らが去ったあともその方角を見つめていた。だから、アルグレックの言いにくそうな、仄暗い表情に気付かなかった。
「フィーは、その……いつか、子供欲しいとか考えたことある?」
「は? いや、ない」
予想外の質問に一瞬頭が働かなかったがどうにか答える。
そもそも魔消しにそんな選択肢はないだろうという言葉は飲み込んだ。口にすれば怒られるのは学習済みだ。
「そっか……」
アルグレックは嬉しそうな、それでいて悲しそうな複雑な顔を浮かべてる。フィリアはたまらず首を傾げて、言葉の続きを待った。
「俺は、もし自分の子供にまで魅了かけたらと思うと、怖くて欲しくない……なーんて、副隊長に聞かれたら、あの時のセルシオ並みに怒られるな」
言った後すぐに誤魔化すように笑った男を見て、フィリアは何も言えなかった。




