ティアの過去
ティアは貧民街に育った。
貧乏だったが優しい両親に守られ、それなりに幸せだと感じていた。
ティアの8歳の誕生日に両親は、彼女に小さなルビーのネックレスをプレゼントした。
両親は元聖職者で白魔法を学んでおり、教会に禁止されている違法な医療行為、通称「辻ヒール」で稼いできたのだ。
ティアは全財産がこの小さな石ころに変わったので衝撃を受けた。こんなものを貰っていいのかと不安になり両親に尋ねると彼らは言った。
「財産を宝石の形に変えただけだよ。いざとなったら売ればすぐまた金貨に戻る。ティアは女の子なのにまともな服も買ってあげられなくて、せめてそのルビーが代わりになればと……」
ティアはそれを聞いてやっと安心し、ルビーを目いっぱい大切にした。
その若々しい赤の輝きに彼女はすぐ魅了された。一日中暇さえあれば眺め、なるべく汚れの少ない柔らかな布で丁寧に磨いた。
その様子を見て両親はプレゼントは正解だったと喜び、また一年身を粉にして働いた。
そして再び訪れたティアの誕生日に今度はルビーの小さなペンダントを贈った。
その一年後にはこれまた小さなルビーのピアスを買った。
両親の優しさが結晶になって手のひらで輝いている、とティアはそう感じて嬉しかった。
両親はそろそろ換金し、贅沢をしてもいいだろうと考えたが、ティアがプレゼントを全て大切に大切に扱い、とても手放したくないようだったのでそのままにしておいた。
ティアが「来年は指輪がいい」と言うと両親は「ルビーの指輪は将来大切な人に買ってもらいなさい」と微笑んだ。
ティアの幸せは、ルビーの数に比例して増えていった。彼女は目に見える幸せに感謝を込めて毎日一生懸命にルビーの手入れをした。
そして時たま身につけては夢見心地に浸った。
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しかしある日彼女は目を覚ました時、とてつもなくイヤな予感に襲われた。言いようのない不安を胸に抱きながら部屋を見回した。
ルビーを入れたタンスの位置が若干ずれているような気がする……。
震えながらタンスを開けると、予感が確信に変わった。
そこにあるはずの命より大切な宝石は、跡形もなく消えていた。
泣きじゃくるティアの声で目を覚ました両親は何が起こったのかをすぐ理解した。
彼らはそれほど衝撃を受けなかった。貧民街で分不相応な宝石を蓄えていたのだ。いつかこんなことが起こってもおかしくはないと考えていたのだ。
両親はティアを慰めた。彼女が泣いているのは宝石を盗られてしまった悲しさや、責任を感じているからだろうと思った。
しかしティアは恐ろしくて泣いていた。
ものを盗まれるというのはなんて恐ろしいことなんだろう。
両親の働いた時間、労力、愛情、自分の感じた幸せ、思い出、日常、その全てを一瞬で奪い去ってしまうなんて。
この出来事はティアの心に傷を与えた。彼女は盗まれることを恐れ、そして何も持たなければ盗まれることはない、と考えるようになった。
大切なものは要らない。必要なものは他人から貰えばいい。そうすれば、盗まれても元々自分のものじゃなかったんだし、何も感じなくて済むから。
彼女は家を飛び出した。住む場所や大好きな両親でさえ、いつか失われてしまうのだと思うと持っていたくなかった。
そして生活のため、他人から盗むようになる。当然、苦しんだ。ものを盗まれる恐ろしさを十分知っていたからだ。だが、この生活はどうしようもなく気楽で、憂いもなく、彼女はずぶずぶと一端の盗賊に身を落とした。
徒党を組んだりもした。仲間と仕事をこなした祝いに酒場でバカ騒ぎをしたりしたが、盗賊行為への罪悪感は払拭しきれず、苦悩する日々が続いた。
盗んだり、貢がれたりすることが少し楽しくなってきて、もう自分はおしまいだと思った。
そんな風に自己嫌悪にまみれた生活を送っていた彼女に青天の霹靂が訪れる。
突然神託により勇者パーティーとやらに選ばれ、彼女は表舞台に押しやられたのだ。国教の神託はいわば王命のようなものであり、流石に逆らう気にはなれなかった。盗賊と国賊ではまるで罪の重さが違う。
混乱した彼女が、自分の素性を知らないのかと尋ねても、神官は曖昧に笑うばかり。
両親を捨て、根無し草として生きてきた自分が救世の使徒か。
彼女の罪悪感はますます強くなる。
自分が世界に望まれることなどありはしないと自嘲しながら、しかしわずかな希望を感じ勇者パーティーのメンバーと顔を合わせた。
「ん?おっお前……。……中々可愛いじゃねぇか。よし、俺の女1号な」
そこには自分にお似合いの最悪な勇者の姿があり、少し落胆しながらも安心した……。
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「と、盗賊だからなんですか!盗むくらい……僕にだって出来ます!」
目の前でシオという青年が震えながら差し出した赤いリンゴが、いつかのルビーと被った。
「でも見張りも斥候も、ピッキングも僕にはできません!だからティアさんは胸を張っていい!盗みなんてありふれた、誰にでも出来ることなんて気にしなくていいんです!」
罪悪感が、温かいお湯に浸されたように溶けていく。自分を必要としている人が、ここに一人存在している。
お父さん……お母さん……。
私はもう一度やり直せるのかな……。
彼女はふわふわと夢見るような心地だった。
スッと彼の腕を取り、気づいたら口走っていた。
「あーあ、どうせならルビーの指輪くらい盗ってきてくれたらよかったのに」
「な……し、信じられません……。あんな優しい店主さんに許してもらった直後でその発想は……」
もし両親が今の私を見たらそんな風に叱ってくれるのかもしれない、と思い彼女は笑った。