ナイフ騒動
ドスッと背中に衝撃があって僕は目を覚ました。
懐かしい夢を見ていた。甘い記憶だ。ソィス、今頃どうしてるかな……。
ぼんやりとした視界で、鬱蒼とした森の中にいる自分を認識し郷愁の念に駆られた。ますます村に帰りたくなった。
もぞもぞと思考が定まらないまま外套にくるまっていたらまた背中に衝撃があった。
「おい起きろ!」
ハッと体を起こし振り返ると、そこにはムキムキで顔に大きく傷の入った、見るからに物騒な男が立っていた。
「おいてめぇ」
「は、はい」
「この辺でくすんだ灰色の髪をした女を見なかったか」
すぐに僕はそれがティアのことだろうと推測を立てた。だがこの剣呑な雰囲気の男は一体誰だ?
「その灰色の髪の女がどうしたんです?」
はぐらかして質問を返すと男はわなわなと怒りを思い出すように拳を握った。
「そいつが俺の大事なナイフを盗みやがったんだ!」
「えっ」
僕はギクリとした。自分の懐をそっと確認すると、年季の入ったナイフがあった。今朝、ティアに押し付けられたナイフだ。
(昨日貰ったの!私だと思って持ってていーよ!)
ティアの笑顔が脳内で反響した。
あ、あの野郎!何が「貰った」だ!思いっきり盗ってんじゃねぇか!
僕は冷や汗が止まらない。なんと言って返せば穏便に済むのかと頭を働かせていると、質問に答えない僕に焦れたのか男が胸倉を掴んできた。
「さっさと言えよ!俺は気がみじけぇんだ!」
「は、はいぃ!」
と、持ち上げられた衝撃でするり、と僕の懐からナイフが零れ落ちた。
トスッと音を立てて地面に突き刺さったナイフを男があんぐりと口を開けて凝視している。それをゆっくりと拾い上げて僕に向き直った。
最悪だ……。
僕は目を両手で覆った。
「て、てめぇぇ!!なんでてめぇがこのナイフ持ってんだぁ!?俺は混乱して今にも拳が出ちまいそうだぜ!?」
もはや言い訳も思いつかない。
仮に本当のことを言ったとしても信じてもらえるかどうか……。それにティアをこの血走った男に売り渡すのは気が引けた。
ここは一発貰って男にはさっさと立ち去ってもらおう。僕は無理やりニヤリと笑って悪ぶった口調で言った。
「僕がティアに盗らせたんだよ。あんまりいいナイフだったもんでどうしても欲しくなってな。おっと!僕を殴る前にひとこと言わせてくれ、ごめん」
「てめぇ!!このナイフの価値が分かったのはいいことだが、許せねぇ!お望み通り気持ちいいのくれてやらぁ!!」
男が大きく振りかぶったその時、ザクっと足音がして、聞き覚えのあるドスの効いた声が聞こえた。
「ん?誰だてめぇ?」
そう声を発したのは勇者様だった。
帰ってきてしまった。いつもの不機嫌そうな顔で、僕を掴んで持ち上げている屈強な男を睨んでいる。
男はその鋭い眼光に少し怯んだようだ。
「な……なんだこの柄の悪いやつは……」
どっちもどっちだろ、と僕は内心ツッコんだ。というか勇者様が帰ってきたということは……。
チラ、と目を向けると、勇者様の後ろから続々とメンバーも姿を現した。当然ティアも帰ってきていた。
パッと殴られて終わる想定だったのに間に合わなかった。
男は突然現れた勇者様に睨まれ戸惑っていたが、やってきたティアを見つけるとまた威勢を取り戻し怒鳴った。
「あ、ティアてめぇ!よくも俺のナイフを……!」
勇者様はそれを聞くと「ハッ!」と半笑いになってティアの方へ振り返った。ティアはあちゃ~とめんどくさそうな顔をしている。
「なんだよティア。てめーの知り合いか?どういうご関係か是非とも聞きたいね俺は」
「あ~昨日の自慢話のおじさんかぁ。ナイフ、ごめんね?」
「て、てめぇ!」
男が怒り心頭といった様子で殴りかからんばかりにティアに向かっていった。
すると勇者様が目にもとまらぬ速さで背中の聖剣を抜き男に向かって突き付けた。
「おい、おっさん、そろそろうぜぇから出てけ。殺されてーか」
「なっ」
男は急に喉元に突き付けられた淡く光る剣身に目を白黒させている。そして何か衝撃の事実に気付いたように口をパクパクさせた。
「お、お前……顔を見たことがあるぞ……。ゆ、勇者……?」
「そうだよ、さっさとしろ。切られてーのか?」
「ひぃっ!」
他のメンバーはそうでもないが勇者様はある程度顔が知れ渡っている。
男はいそいそとナイフを懐に仕舞うと去り際に振り返って呟いた。
「なんだこの柄の悪いパーティーは……。これが勇者パーティーだなんて信じられねぇぜ……」
慌てて逃げていく男を見送って勇者様は剣を鞘に納めた。それからニヤニヤとティアに向き直った。
「おいティア~~。この落とし前どうつけてくれんだ?てめぇの持ち込んだ厄介ごと俺が解決しちまったよ」
勇者様は薄笑いを浮かべたままティアの肩に腕を回そうとしたが、彼女はスルッと体を抜いた。
「ありがとっ」と勇者様にウインクをしてなぜか僕の方に近づいてきた。目の前まで来てじっと大きな瞳でのぞき込んでくる。
「……ねぇシオくん、どうして私を庇おうと思ったの?」
「あ……聞こえて……」
「もしかして感謝されたかったの?」
僕は首を横に振った。それはその時全く考えていなかった。
「自分が殴られてそれで済むならって……思ったんですけど……」
「……ふーん」
もっとかっこいい返事が出来たらよかったが、向けられる真剣な瞳に気まずくなって正直に話した。
「おいティア!話済んでねーぞ!」
「え~?ごめんって~」
ティアはパッと僕から半歩離れ、勇者様に向き直って言葉を返した。それからティアはこそっと僕に耳打ちした。
「ありがとね」
もうティアは僕に背を向けて勇者様の方へ歩き出していた。
勇者様に軽口を飛ばすティアを僕が目で追っていると、メルが神官の銀製の杖を胸の前に握りながら近づいてきた。
「勇者様じゃないですけど……なんかシオさん、ティアさんと仲良くありません?いや別にいいんですけどね……」
じとっとした目を向けられて僕はついつい顔を背けた。