アリスというエルフ
エルフはかつて魔物だと言われていた。
魔物というのは高い魔力を持つ獣や怪物たちのことだ。きわめて凶暴で共食いなども珍しくない。
互いに食らい合う生態系がある一方、魔王に従い人間と戦争したりする協調性もあり謎が多い。
そして基本的に知能は高くない生物だ。
だがエルフは知能が高く文明を持つ種族だ。どう考えても彼らは魔物ではなく人間寄りの生物だった。
エルフはその容姿の美しさから奴隷として価値が高かった。だからわざと魔物だと思うことでスムーズに売買したかったのかもしれない。
とにかくエルフ狩りが流行り、エルフたちは人間と魔物両方に怯えて暮らさねばならなかった。
そこでエルフたちは得意の魔法研究を進め、ある特殊な肉体改造魔法を開発した。
それは異種間でも子供を作れるという魔法で、それにより強い魔力を持つ魔物との混血が進んだ。高い魔力を持つ子供を産み、得意の魔法技術で身を守ろうとしたのだ。
やがて時代と共に人間との軋轢が減り、条約を結んで友好関係を持ち始めた。
……だが対面的には友好でも、内情は人間のアウトローによるエルフ狩りが続いていた。
~~~~~~~~~~
ビカラの里も、外敵から身を守るために魔物との混血を進めていた。だが同時に純血も大事にした。
血の混じらない美しい緑色の瞳と髪色をしたエルフが里の中で権力を持ち、混血は地位が低かった。
そしてある日、混血の集大成、色の混ざり切った真っ黒な瞳と真っ黒な髪を持つ高い魔力のエルフが生まれた。
それがアリスだ。
アリスは化け物として徹底的に教育された。
純血に逆らわないこと、里を命がけで守ること、そして強力な魔法だ。
産まれてすぐ石造りの蔵に押し込められた。暇さえあれば強制的に魔法を教え込まれ、食事が朝と夜の2回差し出される生活。格子の窓から覗く空だけがアリスの全てだ。
1つ……2つ……。
星を数える。食事を数える。日差しが直接差し込むわずかな時間を数える。夏はうだるように暑い。冬は凍えるように寒い。頬に当たる太陽の視線だけが生きていることを教えてくれる……。
アリスは教育の成果があり、心のない人形のようになった。
日中は暗い石蔵の中でじっとして過ごし、襲撃があると外に出て戦った。
~~~~~~~~~~
だが彼女に、思いもよらないところから救いの手が差し伸べられることとなる。神託によりアリスは勇者パーティーに選ばれ強制的に連れていかれることとなったのだ。
当然里のエルフたちは抵抗した。だが奴隷狩りの襲撃くらいなら追い返すことはできても、国を挙げてこられると敵わない。
武力をちらつかされ、里はしぶしぶアリスを差し出した。
「出ろ」
その命令をアリスはぼんやりした頭で理解した。ふらつく足取りで蔵から出る。
蔵の外では王国の兵士が槍を構えて並んでいた。里のエルフたちは怯えるような視線を向けている。雲一つない朝のことだった。
アリスはその日初めて手枷もつけず朝日を全身に浴びた。襲撃は必ず夜にあったので、太陽を全身で受け止めたことはなかった。
アリスは、強烈に感じる自由の気配に全身が細かい粒になって震えだすようだった。
裸足で地面を踏む。土とはこんなに温かいものだったか。眩しさに目を細める。晴天、太陽の輪郭が見える。
この日から、真っ暗で何もなかったアリスの心に朝日がぽっかり浮かぶこととなる。
~~~~~~~~~~
勇者パーティーとしての旅が始まった。アリスの関心は朝日のみだ。
夜明け前に起きて太陽が昇るところを見る。そうして自分が自由であることを確認する。
「おはようございます」
「……?」
話しかけてくるこの男は誰だっけ。……確か、シオだったか。勇者パーティーの一員の。何が面白いのかいつも笑っている奴だ。
何も言わないでいたら、きゅっと口をつぐんでため息をついて謝った。よくわからない。
アリスは翌朝も薄暗がりの中、目を覚ます。太陽も毎日ちゃんと昇ってくる。安心する。
彼女はふと気づいた。また、あの男がいる。そういえば昨日も一昨日もいたような。
「おはようございます」
「……おはよう……?」
意味はもちろん知っているが、それよりはぼんやりオウム返ししたつもりだった。
だがこの男、シオは何がそんなに嬉しいのか目を見開いて、それからにっこり笑った。
「アリスさん、夜明けはいいものですねぇ」
「……」
彼が嬉しそうにしみじみ呟いた姿を見て、アリスは日差しが眩しくなった気がして瞬きをした。
相変わらず夜になると体が上手く動かなくなる。
このまま一生太陽が昇ってこなくて、自由じゃなくなるのかもしれないと暗い想像をする。世界が再び蔵の中に閉じ込められる。格子から星を眺めるのだ。
1つ……2つ……。
数を数えていると朝が来る。ぼーっとしているとあっという間に夕方になる。
拠点への帰り道、身体が少しずつ寒さに震えだす。夜の帳に合わせて意識がゆっくり沈んでいく。
「あ……」
だが、その日彼女は拠点から煙が上がっているのに気づいた。
シオがシチューを作って待っているのだ。そのことを思うとなんだか急にホッとした。
朝日が毎日昇るように、シオは毎晩シチューを作る。
立ち上る焚火の煙に、朝日と同じような連続性と温かさを感じた。
いつもいつも、毎日毎日そこにいてくれるんだ。
そう思うと彼女は夜の寒さも怖くなくなってきた。
アリスの心の中に太陽と、もう一つ、シオの姿がぽっかり浮かぶことになる。




