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ポーションの割れる音

 絶対時間の虹色の幕の中で、ノアは眠るように横たわっていた。


 なんで? どうして? そればかりが頭を駆け巡る。


「シャモアにメギドが落ちたの。……脱兎を五秒待つように……ノアに言われて」


 あの時、ノアは生きていた。無傷だった。

 それなのに、なぜ今息をしていない。


「身代わりになったのでござるか……」


 モスの言うように、それ以外考えられなかった。

 どうやったのかは分からない。でも、ノアは自分の命をシャモアに渡したんだ。


「嘘だろノア! 何なんさ! 目を開けろよ、意味わかんないぞ! ノア! 俺らを99の世界に連れてくんじゃなかったのかよ、目覚めし者の……村を作るんじゃなかったのかよ! まだ作れてないさ! ノア! ノア……やめてくれよ……うわー……!」


 ブランがノアの上に倒れ込んで、咆哮を上げている。

 見た事もないブランの慟哭が、これが現実だと突きつけてくる。


 こんなの、無情すぎる。


 ほんの少し前まで、一緒に笑っていたのに。

 私の作ったご飯を美味しい美味しいって食べて、初めて飲むワインに目を細めていた。満足げな笑顔はまだ目に焼きついたままだ。


 空を仰ぐように仰向けに横たわるノアは、今にも動き出しそうだ。

 何故そんなに満足げに、誇らしげに。


 いつもと同じノアの余裕に満ちた表情。なのにその瞳が再び開くことはもうない。


「……ノア、ポーション……」


 シャモアが膝でノアに擦り寄り、ノアの上でポーションで開けた。


 シャラン……。


 鈴のような音を立ててポーションの瓶が砕け、緑の光がノアに降り注ぐ。けれど、それだけだった。

 光はノアを包むでもなく、儚くその場で消えて行く。


 ポーションはノアに、何の効果も齎さなかった。

 傷を癒す以前の問題だと、一目でわかる。ノアの中にはもう、命の輝きは一欠片も残っていなかった。


「ノア……ポーション……」


 シャラン……。


 小さな鈴の音は、シャモアの嗚咽にかき消えそうだ。


 シャモアは涙に濡れながら、ノアに縋り付くようにポーションを使う。


 シャラン……。


 ノア!


 競り上がってくる感情に叩かれるように、私はその場にくずおれた。嗚咽が、悲しみが、暴れ回る。


 目覚めた私が初めて見たのは、ノアの顔だった。


 行くぞ、という短い一言で、いつも私の背中を叩いてくれた力強い笑顔。ノアはいつも余裕たっぷりで、そこにノアがいるだけで、安心できた。


「ノア……、起きて、ノア……ポーション」


 シャラン……。


 鈴の音が苦しい。小さなその音は、シャモアの叫びのように思えた。


 シャラン……。


 シャラン……。


「やめなさい!」


 リディスが、シャモアの手を掴んだ。

 シャモアはその手を振り解き、またポーションを掴む。


「無駄だって、シャモアも分かってるでしょ! もうノアは死んだの! 無駄遣いしないで!」


 止められたシャモアの瞳が絶望で揺れた。


「ノア、死んでない」

「死んでるわよ! よく見て! 早く現実を受け止めなさい! 掟を破ったノアが馬鹿なのよ。シャモアが気にする必要はないの!」

「違う。死んでない」


 バシンッ!


 頬を打つ硬い音が響いた。

 シャモアは打たれた頬を押さえて、信じられないという風に目を見張った。


「時間がないの。シャモアはそこで泣いてなさい!」


 そう言うと、リディスはノアの上に飛び、首から鍵を抜き取った。そして、ノアの腰のアイテムバッグを外す。


「……リディス?」

「ブラン、アオ。中身を全てあんた達のバッグに移しなさい」

「そんな……」

「消える前に会えたのは幸運よ。遺体もなく気づいた時には死んでいるなんてザラなのよ! 根こそぎアイテムを持ち帰るわよ!」

「リディス姐さん……あんまりでござるよ!」


 モスが泣きながら、リディスの手を掴んだ。


 手を引かれ、振り向かされたリディスの顔に胸を抉られる。


 リディスは大きな両目から、大粒の涙を流していた。

 真っ赤に染まった目のふちが、今リディスがどれほどの悲しみを噛み殺しているのかを伝えてくる。


 ノアと最も長い時間を過ごしたのはリディスだ。

 二人で沢山の仲間を見送り、沢山の出会いを共有してきた。そのリディスが、辛くないわけがない。


 リディスは涙を拭う事もせず、真っ直ぐにモスを見つめてまま、硬い声を出した。


「早くしなさい。……ノアの全てを紡ぐためよ」


 その声は震えていた。

 小さな肩に、押し潰されそうなほどの哀しみが覆い被さっている。


 私は嗚咽で震える身体を動かして、何とかノアの元にたどり着く。アイテムバッグに手を伸ばした。


 隣ではブランが、無言でアイテムを詰め直している。ゴーグルからは滝のような涙が溢れ出していた。


 装備、素材、アイテム。様々なものを取り出しては、自分のバッグに移していく。

 使い込まれたボロボロの大剣。丁寧になめされた革。その一つ一つに、ノアの存在が染み込んでいた。


 アイテムの中に、小さなクッキーを見つけた。


 今日、私が焼いたものだった。


 みんなで食べたそれを、ノアはこっそり一つ、取っておいたのだ。


 クッキーを頬張るノアの顔が、脳裏に蘇ってきた途端、視界が涙で白濁した。


 そんなに好きなら、もっと沢山焼いてあげれば良かった。カナッペを沢山食べたからって、怒ったりしなければ良かった。もう一度食べたいと言っていたチーズハンバーグだって、まだ作ってあげてない。


 ノア、ノア!


 どれほどの物を貴方に貰った?

 どれほどの勇気をくれた?


 何一つ、返せてない。


 私があと少し早く駆けつけていたら?

 私の脚があと少し早ければ?


 ノアはまだここにいた?


 今のはヤバかったな、なんて一緒に笑い合っていたの?


 桃奈、貴女は神なんでしょ。


 返してよ。お願い、ノアを返して。

鬱展開ですみません……。

次は月曜日に更新します。

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