月夜の悪夢
みんなが寝静まった後、二人でワインを飲んでいると、不意にシュウがバッグから何かを取り出した。
「なんだかんだで、言うのが遅くなったけど。レベル50おめでとう。ほら、これはお祝いだ」
渡された物は『パワーリングⅡ』。レベル50からのアクセサリーだった。
俺たちの中に彫金師がいない事を気遣ってくれたのだろう。
俺は有り難くそれを受け取ると、空になったシュウのグラスにワインを注いだ。
「よく気付いたな。上がったのは今日だぞ」
「お誘いのメッセージが来たときにな。てっきりノアのレベル50を祝う集まりかと思って来たのに、えらい話を聞いてしまった」
おそらく神の国の住人であるシュウの方が、桃奈の言葉の深い所まで理解出来ているのだろう。それでも突っ込んだ話をしてこないのは、俺達への気遣いなんだと思う。
シュウはプレイヤーだが、信頼できる奴だ。
「で、50になったって事は、新しいスキルが手に入ったんだろ? どんなスキルだった?」
「糞みたいなスキルだ。使い所が分からん。恐らく一生使うこともないだろうな」
「そうか? みんなを見ていると、スキルは想いに呼応している面もある気がする。今は変に感じるスキルでも、それはノアの想いに応えた物かもしれないぞ。大切にした方が良い」
「それなら魔法が欲しかったよ」
そう零すと「大剣と魔法は相性悪いぞ」と爽快に笑った。
初めて飲むワインは、ことの他美味い。
早くアオが作れるようになって欲しいものだ。
「……桃奈は目覚めし者が現れるのを待っていたんだよな」
シュウが話を避けるので、俺から切り出した。
「だろうな。でなきゃマザーハウスの存在理由が説明つかない」
「いったい俺達に何を望んでいるのか」
「さあな……。ただもしかすると、ベル・ウェスは目覚めし者を生むために葉山桃奈が作った世界なのかもしれない」
今迄ここはプレイヤーが遊ぶために作られた世界で、俺達ははぐれ者だと思って来た。だが逆に、ここは俺達の為の世界で、プレイヤーは目覚めし者を育む為の存在。そんな事があり得るのだろうか。圧倒的弱者の俺達に。
「シャモアはまだ外か」
「ああ。通常運転に戻るには、まだ時間が必要なんだろ」
「……俺たちも見に行くか。この美しい世界を」
シュウが揶揄うように目を細めた。
俺は残ったグラスの中身を一気に飲み干して立ち上がった。
「酔い覚ましには良さそうだ」
――――――――――
キンと冷えた夜の森は、美しかった。大きな月が辺りを照らし、柔らかく色づいている。
そこにシャモアの姿はなかった。
目を周囲に走らせていると、シュウが空を見上げて苦笑した。
「いたぞ」
森の上を飛ぶ一羽のイーグル。気持ち良さげに羽を広げ、月に照らされて宙に円を描いていた。
「はしゃいでるな」
「余程世界を堪能したいんだろう」
同じ経験を持つ者として、共感はできる。もし翼があれば、俺も同じことをしただろう。
弟を見るように気持ちでシャモアの描く軌道を見つめた。自然と口元が緩む。
その時、空を切り裂く一陣の風が、シャモアを貫いた。
なんの予兆もない一瞬の出来事だった。
貫かれたシャモアは、そのまま身動きもせずに地面へと垂直に落ちていく。その姿がスローモーションのように見えた。
「ウインドカッターだ!」
シュウが叫んだ。
「プレイヤーからの攻撃だ!」
二人同時に大地を蹴る。
「起きろ! 襲撃だ! シャモアがやられた!」
チャットで眠る仲間を叩き起こしながら、シャモアの落下地点に走る。
「ノア! プレイヤー相手なら俺は攻撃できない! 役に立たないぞ!」
「俺達の強化だけしてくれればいい! アオが来るまで時間を稼ぐ!」
視線の先にシャモアを見つけた。
生きている。その事実に胸を撫で下ろしながら、俺は背中から剣を抜き放った。
「ハイヒール! マインドアップ!」
シュウの魔法がシャモアを包む。
プレイヤーは二人だ。一人の剣はシャモアに迫り、もう一人は少し離れた場所で詠唱に入っていた。
ギイン!
何とかシャモアに迫る剣を受け止める。そして勢いのまま弾いた。プレイヤーは再び俺に刃を振り下ろしてきた。それを何とか受け止める。
「シャモア! メイジをやれ!」
「分かった」
シャモアは流れるように人型に変化すると、俺の横を風のように通り過ぎて行く。
すれ違う時、シャモアと目が合った。
瞳だけで、ありがとうと伝えて来た。俺も無言で謝意を受け取る。互いの目に安堵が滲んだとき―――
「メギド!」
シャモアを閃光が貫いた。
シャモアの瞳は一瞬で白濁し、膝から崩れ折れ、そのまま地面へ音を立てて倒れた。
「シャモア!」
駆け寄ろうとするも、もう一人の追撃の手がそれを阻む。
「くそ!」
メギド。大型ですら三撃で倒す大魔法。
その威力は嫌というほどに分かっている。俺達の命を根こそぎ奪い取るには十分すぎる技だという事を。
足元に転がるシャモアの土色の顔には、最早そこに命の煌めきが残っていないと伝えて来た。
ああ、くそっ。
やはり世界は無慈悲だ。
こうも簡単に、こうも呆気なく仲間を、命を奪って行く。
レベル99。このパーティなら可能だとリディスは言った。聞き流しながらも、俺もそう願っていた。行けるかもしれないと、本気で自惚れた。
ああ、くそっ!
「シャモア! ノア!」
その時アオの声が聞こえた。
――――――――――
ノアの叫びで叩き起こされた私は、すぐに拠点を飛び出した。
シャモアがやられたと言っていた。
状況が分からない。
でも今ノアは私を呼んでいる。脱兎が必要な強敵に出くわしたんだという事は分かった。
大丈夫。大丈夫。
私は全身を締め付ける嫌な予感を振り払いなが走った。
シュウがいる。シュウがいれば最悪の事態は避けられる筈だ。シャモア待ってて、今行く。頑張れ! 踏ん張れ! 今行くから!
最初に拾ったのは剣のぶつかり合う音。ノアが戦っている。
いた!
遠くに二人の姿が見えた。
生きていた。二人とも無事だ。
相手はプレイヤー二人のようだ。
私は安心で全身が熱くなるのを感じながら、脱兎の有効範囲まで走る。
ようやく射程距離に入った。間髪入れずに脱兎を叫ぶ。
「脱……」
ドオオオン……。
発動の直前、ほんの髪の毛一本ほど前で、空から光の柱が飛来して、シャモアを貫いた。
「え……?」
一瞬真っ白になる頭。
見覚えのあるエフェクト。今のは……メギドだ。
「シャモア!ノア!」
呼びかけながらも考える。
冷静になれ! 私のする事は変わらない。
一刻も早く、この戦闘から二人を連れ出す事だ。
再び脱兎を発動しようとした私を、ノアの声が止めた。
「アオ! 脱兎、五秒後だ!」
「え? う、うん。分かった」
何故五秒後?
状況が分からない。もしかするとシャモアはギリギリでメギドを避けたのか。何か手があるのか。
今はノアの指示に従うしかない。
頷いた私に、ノアが小さく微笑んだ。
「アオ、辛い時は空を見ろ。アオなら辿り着ける。アオの望む世界に」
「え?」
次の瞬間、ノアが叫んだ。
「オールオートネイション!」




