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新世代

 マザーハウスから出ると、やけに空気が美味しく感じられた。


 鍵を閉めるときに髭が風に揺れ、つられるように何となく、手元に落としていた視線を持ち上げた。


 そして目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。


 目の前に広がるのはリュージイ山の生い茂る樹々。赤くなり始めた空は高く、いく筋もの雲が夕日に照らされて光を帯びている。


 見慣れたベル・ウェスの景色の筈なのに、何だろう、この胸に迫る感じは。


 いつもとは違う、圧倒的な生命力。風に揺れる葉の瑞々しさ、葉脈までもが活き活きと映る。頬を撫でる風のひんやりとした心地よさ。鼻腔をくすぐる緑の香り。世界全てが五感を刺激する。


 何が変わったのだろう。


 まるで今までは、写真に映る景色を見ていたような気さえする。眺めていただけの世界に、今入り込んだような現実感。世界とやっとチューニングがあったような安心感。


 横顔にキラリと目を刺す光を感じ顔を向けると、今まさに沈もうとする太陽があった。


 呼吸を忘れるほどの美しさだった。


 ああシャモア、そうだね。確かにこれは、涙が出る。


 私は今ようやく、正しい生を得たんだ。そう思えた。


 太陽が沈むまで、私は空を眺めていた。

 やがて光が完全に姿を消し、私も涙を拭いた。



――――――――――



 今日はお祝いという事で、私はかなり気合を入れて料理を作っている。


 メインはローストビーフとグラタン。スープにミネストローネを、デザートにはレアチーズケーキを作った。前菜としてカナッペも数種類用意するつもりだ。


「賭けは俺の勝ちだなー」


 私が料理している間、古参三人は拠点内で寛いでいて、シャモアとモスはまだ外で景色を見ている。


「賭けって何のこと?」

「マザーハウスから出てきて、アオがどのくらいの時間で平常運転に戻るのか、みんなで賭けてた」

「何それ」


 知らない間に、娯楽にされてた。

 きっと私が景色を眺めながら泣いていたのも、みんなニマニマしながらうかがってたんだ。そう思うと恥ずかしい。


「なかなか凄まじい衝撃だっただろ」

「うん。景色があんまり綺麗で驚いた。私今までどうしてこの美しさに気づかなかったんだろうって」

「いや気付いていた方だぞ。俺なんてマザーハウスに入る前は、植物は緑一色に見えていたからな。アオは違ってたんだろ」

「流石に緑一色はないよ」


 大袈裟な言い方に苦笑すると、リディスがノアの肩を持った。


「あら。私も似たようなものよ。正直ここにくるまで暑い寒いも感じた事なかったもの」

「えー」

「シャモアもだろ。まだ外にいるもんな」

「普通はね、初めて世界を感じるんだから、ああなるのよ」


 そうなんだ。確かに衝撃的に目に映る世界が変わったけど、みんなほどの落差はなかったように思う。


「私はアオも一時間くらいはぼーっとすると思ってたのよ」

「で、ノアが一秒も気にも留めないに賭けて、俺が十分くらいで飽きるに賭けた」

「むちゃくちゃだな。私にだって心の機微くらいあるよ」

「十分で飽きただろー」

「飽きたんじゃなくて、満足したの」

「同じさー」


 今までずっと、みんなは私の感じている世界が、マザーハウスに来る前の目覚めし者にしては鮮やかな世界だと、気付いていたらしい。


 そしてモスにも、私ほどではないが、カラフルな世界が見えていた筈だと言った。


 そんな話をしているうちに料理が出来上がり、シャモアとモスがシュウと連れだって戻ってきた。


 何のお祝いかも知らされずに呼び出されたシュウは、ワイン片手に駆けつけてくれたらしい。


「よし、じゃあ三人の生まれ変わりを祝って、乾杯だ」

「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」


 初めて飲むワインは、少し渋かった。でも受け付けないのは私とモスくらいで、他のみんなは美味しそうにグラスを傾けていた。あっという間に空になり、シュウは二本目を持ち出してきた。


「モス、牛乳飲む?」

「かたじけない」


 盛り上がる大人たちに紛れて、二人でミルクで乾杯した。


「やっぱりアオの料理は美味いな」

「ろーすとびーふ? これ最高だわ。ワインにも良くあうし」


 みんなが新作ローストビーフに大喜びだ。実は行商人から購入したなけなしの醤油を使ってしまった。手痛い損失だけど、今日はお祝いだから良しとしよう。


 私は新作を作った時のいつもの癖で、シャモアとモスの顔色を伺った。二人に美味しいと言わせるのが、料理人である私の目標なのだ。


 シャモアはまず、ミネストローネに手を伸ばした。スプーンを一口くちに運び、信じられない、というような顔をした。


「アオ、これ美味しい」

「ほ、ほんと?! 嬉しいよ。やっとシャモアから美味しいを貰えた!」

「信じられないくらい美味しい。俺、美味しいの意味、初めて分かった」

「うおー! 生きてて良かった!」


 私は地面に両手をついて喜びの咆哮を上げた。

 悦びに震える私を見て、リディスがたまりかねたように吹き出した。


「あはは。それ普通だからね。目覚めし者は普通、マザーハウスに行く前は味は殆ど感じないのよ」

「? でも私は最初から味がしたよ?」

「だから、アオが変なのよ。シャモアが普通なの」


 言われてみれば、最初にサンドイッチを食べたとき、ノアが変な顔で私を見ていた。あれは「何でこいつ味が分かるんだ?」という顔だったんだ。


「モスはどう?」


 ローストビーフをワシワシ食べていたモスが、名指しされてビクッとした。頬袋に肉を詰め込んだまま、喋る。


「この肉、凄いでござる。驚心動魄(きょうしんどうこん)でござる」


 モスは今までカレー以外興味を示さなかったのに。

 モスがもともと濃い味しか好まなかったのは、濃くないと味がしなかったのだと分かった。

 なんだか今までの小さな「?」が次々と解消されていく。これがマザーハウスの威力なんだな。


「目覚めし者は少しずつ進化している。アオやモスは『新世代』なんだ」

「私もファッションに興味を持つ個体なんて変わってるって良く言われたわ。生存本能以外を持ち合わせている新世代だって」


 これまで存在感を消して、聞き役に徹していたシュウが、なるほどな、と口を挟んできた。


「話を聞いた感じだと、人間に近づいてきている感じだな。受容できる情報量が増えて、欲や興味の幅も広がってる。その内マザーハウスに行かなくても、最初から人間同等の情報受容力を持った個体が現れるかもな」


 そんな日が来ればいいと思う。

 そうすれば目覚めし者がもっと増えるし、ノアは守護者の責務から解放される。


 私は目覚めし者が溢れかえる世界を想像して、ほっこりした。

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