シーハオ草原
全速力で飛んだ。蔦を握る手が震えている事に気づかないほど、夢中になって突き進んだ。とにかくその場から離れたかった。
振り向けば、背後からシュウが追いかけていているような気がして。
目が合った時は、もう駄目だと思った。
今までも、プレイヤーと遭遇する事はあった。もちもん言葉を交わしたことなんてないけれど、バトルに突入したことだって一度ある。脱兎で逃げたけど。
なのに、シュウを前にした恐怖は今までの比ではなかった。
身のこなし、体重の移動のさせ方。それだけで強者だと判断するに十分だった。
あんな格上のプレイヤー、脱兎を発動する前に一撃で殺されそうだった。都合よくモスをテイマーと勘違いしてくれなかったら、今頃全員生きてはいなかっただろう。
「お、驚いたでござる」
拠点に戻ったとき、私たちは全員肩で息をいていた。両手を地面について青い顔をしているモスを抱きしめる。
「モス、お疲れ様。一人で大変な役を負わせてしまったわね」
ふわりと飛んできたリディスが優しくモスの頭を撫でた。
「モスが進化していて助かったわね」
「人型とはこんな利点もあるんだなー。俺もモグラやめた方がいいのかな」
モスの震えが収まったのを確認してそっと手を緩めると、丁度ノア達が返ってきた。
ブランが説明しているのを見ながら、私は自分の胸を押さえた。
まだ心臓がバクバクしている。
触れてはいけないものに触れてしまったような。覗いてはいけない箱を開けてしまったような、そんな気分だ。
でもこのバクバクは、恐怖のバクバクだけではないような気がした。
―――あれが、魔法か。
一瞬で離れたところから相手の頭部を吹き飛ばす緑色の光。
斬撃のように見えたあの光。
私に魔法は使えないにしても、あんな風に斬撃を飛ばすことが出来れば。
魔法で空気を鋭利にして飛ばしているのなら。……可能じゃないのか?
空気を斬撃で飛ばすことも。スピードとパワーさえあれば、夢ではない気がした。
「今すぐ移動するぞ」
話を聞き終えたノアが、即断した。
「ヤーミカッタを出る」
―――――――――――
ヤーミカッタの森の終点で、また同じようにクリスタルに触れ、行商人に話しかけた。
行商人は、ツティーシニー平原と同じ人だった。
ちなみに、この転移クリスタルは鍛治師であるブランが触れるとクラフトのレシピが入手出来るらしい。
だけど、聞いた事もない素材のオンパレードで、クラフトするのは無理だそうだ。
急な移動だったけど、ここ数日で素材の調達も済んでいたし、スキルのレベルも上げることが出来ていた。
モスの自然回帰はレベル2に、リディス、ブラン、私の三人のスキル(アビリティ)は、それぞれレベルが3に上がった。
次は私の三つ目のフィールドになる。
今度はどんな景色が待っているんだろうと考えると、胸がときめいた。
逸る気持ちを抑えながら、枝を伸ばした樹々が空を覆う、暗い獣道を抜ける。
いきなり視界が白くなった。
明るい陽光に目を細めながら、眼前の景色に目を凝らした。
広い。ツティーシニ平原の比じゃない。
鬱蒼とした森からの、この開放感!
シーハオ草原。
この世界最大のフィールド。
どこまでも広がる草原には、いくつもの小さな林や池がある。
大地の起伏が、平坦な草原のところどころに丘を作っていた。
一面に広がる緑の上半分を、抜けるような空が青く染め上げている。遠くには大きな街の姿。さら視界が霞むほどの奥には、水の煌めきが見えた。
「あれが貿易都市マカダ。プレイヤーは暫くの間、あそこを拠点にストーリーを進める」
あの街から海へ行き、遺跡の洞窟へ。街に戻ってきて、今度は東の山を抜けてドワーフの街へ行き、もう一度戻って、街の中のボスを倒すのだそうだ。
それが終わればまた山を、今度は反対側に抜けて、やっとマカダとお別れ、という流れだそうだ。
だからここは、エリアによって敵の強さがかなり違ううえに、木材、植物、鉱石、食材など、採取ポイントも豊富だと教えてくれた。
海が、あるので念願の塩がゲットできる日も近い。
塩さえあれば、作れる物が一気に広がる。
醤油も味噌も、全ては塩がなければ作れない。何だかんだと言って、結局味付けの基本は塩なんだ、としみじみ思う私なのである。
中途半端な時間での移動になったので、今日は少しバトルをするだけで、具体的なフィールド攻略は明日以降に行うことになった。
ここはリディスの故郷らしく、キラービーが出現する。
草原の入り口から街までのエリアは、モンスターレベル15から19。
キラービーの他には、コボルトとブラックイーグル、後はミミズ型の『チガミー』と、植物タイプの『ネペンター』が出るそうだ。
キラービーは蜂蜜をドロップすると言っていたので、とても楽しみだ。
初めて見るシャモアの人型でのバトルは、予想に反して結構様になっていた。
ノアがしきりに「全員でのバトルは時期尚早だ」と言っていたから、どれほど無様なのかと楽しみにしていたのに。
シャモアが扱っているのは、先端に鏃のような鋭利な錘が付いた鎖だ。
敵が避けても、鎖の軌道を変えて巻き付け、動きを奪ってから逆側を投げつけてトドメを刺す。
やっぱり頭脳プレーのようだ。鎖の軌道を操るには相当な計算と慣れが必要だろうに、シャモアはもう自分のものにしていた。
やるな、シャモア。
ちゃんと進化で強くなっている。羨ましい。
でも私だって、考えたのだ。
私だからできる特訓法を編み出したのだ!
今はまだ足手まといだけど、この特訓で絶対一皮剥けてやるんだから!
「鳥兎匆々、一.五倍!」
途端に周囲の動きが早くなった。
敵のモーションも早い。その早い動きに何とか反応して避ける。追撃を入れようとダガーを振るが、一拍遅れて刃が届かなかった。
―――今のタイミングじゃ遅すぎる。もっと、避けた瞬間に肩を動かさなきゃ。
そう。これは早い速度に慣れる特訓だ。
常に不利な速度の中で戦っていれば、自然と反応速度はあがる。
スキルレベルも上がって、今では十倍速までできるようになっていた。
一.五倍に慣れたら、どんどんスピードを上げていく。そうすればいつか、斬撃を飛ばせるようになるかもしれない。
次はもっと踏み込みを早くしてみよう。
足にぐっと力を入れて大地を蹴ろうとした瞬間。
ガキンッ
背中に激しい衝撃が走った。
「痛ーーーい!」
なんで?! 後ろから?! 後ろに敵なんていたって?
患部を抑えたいけど、背中の真ん中だから手が届かない。
うー、痛い痛い!
転がって背中を押さえようと、届かない手をバタバタさせていると、ポーションが降ってきた。
慌てて起き上がり、背後を見る。
そこには、ポーションを投げたばかりのシャモアが、鎖を片手に立っていた。
「当たった。ごめん」
真顔だ。
「え? シャモアがやったの?」
「手元、狂った」
「はぁ???!」
ノアが頭を抱えている。
「だから時期尚早だと言ったんだ」
「鎖、難しい」
おいおいおい。
まさか味方から攻撃を受けるなんて!
「……ノア。未だかつて、味方の攻撃で死んだ仲間はいる?」
「いるわけない」
「ポーションある。問題ない」
そっかー。ポーションあれば死なないよね。
っな訳あるかー!




