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殿下の卒業パーティーの日がきた。
私は青いドレスに着替えて、先に到着していた殿下と合流するために学園へと向かった。
生徒会長である殿下は、控室でパーティーの流れを生徒会メンバーと最終チェックをしたのちに、新生徒会メンバーである1、2年生に指示を出している所らしい。
生徒会メンバーであるアボットさんが私に気がついて、手を振ってくれた。それに私も手を振り返すと、アボットさんはにっこりと笑ったあと殿下の方へと視線を向けて、少し考え込んだ後《もう少し待っていて》とジェスチャーで知らせてくれた。
あと少しで準備が終わる、ということだろう。
アボットさんに大丈夫よ、という気持ちを込めて頷くと、私は準備の邪魔にならないように部屋の隅に立った。
殿下の様子をそこから眺めていると、説明が終わったのか顔を上げた殿下と視線が合う。
殿下の目がとても優しく細められ、それと共に口の動きが私の名を呟くのが見てとれた。
隣に立っていたシリルに一言声を掛けた後、殿下は私の方へと歩みを進めた。
「とても似合っているよ」
「ありがとうございます。殿下も……とても素敵です」
「ありがとう。ラシェルにそう言ってもらえて嬉しいよ。
では、そろそろホールに向かおうか。既に生徒会以外の3学年の生徒たちは全員入場が済んでいる」
「はい。……あっ、でもその前に……」
「どうかした?」
「殿下、ご卒業おめでとうございます」
ドレスの裾を摘み殿下に向けて礼をすると、頭上から「あぁ、ありがとう」と柔らかい声が掛けられる。
その声に顔を上げると、殿下は自分の腕を私に差し出した。
「さぁ、行こうか」
「はい」
その声と共に、私は殿下の隣に並び立ちホールへと向かった。
控室から廊下を並んで歩いていると、殿下は「もうここを歩くこともなくなるのか」とポツリと呟いた。
殿下の言葉に視線を隣へと移すと、眉を下げた殿下が私の方へと寂しそうな表情を向ける。
「学園生活はあっという間だったように思うよ。
本当の事を言うと、入学する時に私は学園にあまり興味を持っていなかったんだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。勉強であれば王宮で家庭教師から習うことができる。だからこそ、時間が勿体ないと感じていた」
「今は違う……ということですね」
「そうだな。同年代の者と机を並べ、議論を重ね、時にふざけ合う。
教師の癖を友人と真似したり、食堂のランチを賭けて勝負したり……。
ここでなければ得られなかった経験を、私は出来たのだろう」
確かに私も幼い頃から家庭教師より教えを受けていた。
だが、同年代の子とこんなにも毎日顔を合わせるという経験はない。
王太子であれば特にそうだろう。
特にこの学園には貴族はもちろん、少人数とはいえ平民も通っている。
そういった家格、能力、立場もバラバラの者たちが集まっているのが、この学園という場所だ。
考えたことはなかったが、言われてみると貴重な経験といえるだろう。
「それにラシェルとの思い出も学園の中には沢山あるからね。
窓から見かけて追いかけたり、2人で屋上庭園で過ごしたり……。
きっと、何年たっても何度でも思い出す気がするよ」
「……寂しいですね」
「そうだな。だから、ラシェルもあと1年、君にとってかけがえのない学園生活を送れるよう願っているよ」
「ありがとうございます」
しんみりとした空気の中で、殿下は懐かしむように周囲を見渡したあと、私に優しく微笑む。
殿下と会話をしているうちに、ホールの入り口に着く。
そして大きな扉が開かれると、生徒や教師、そして保護者などの招待客たちが大きな拍手で迎え入れてくれた。
それに微笑みで答えながら殿下と共に中央へと進みゆく。
同時に殿下の表情をそっと伺い見た。
すると、そこには先程までの少ししんみりとした表情を消し、晴れ晴れとした凛々しい姿があった。
――卒業、か。
以前の私は卒業する直前に死んだ。
だから、今学園を去ろうとする3学年の生徒や殿下の気持ちは分からない。
それでも、今の殿下を見ていると、きっと寂しさもあるけれど誇らしさもあるのかもしれない。それに、未来への期待も。
――私は、私はどんな卒業を迎えるのかしら。
まだ見ぬ未来への希望を抱いていられるのかしら。
殿下の横顔を眺めながら、そんな思いが頭を過ぎった。
そして、その後のパーティーは和やかに進んだ。
殿下やエルネストに誘われてダンスをしたり、招待客に殿下と共に挨拶をしたり。
そんな中で、シリルにも誘われてダンスを踊った。
「シリルと踊るのは初めてね」
「そうですね。嫉妬深い誰かが、今も器用に笑いながら睨みをきかせていますからね。
これが最初で最後にならなければいいですが……」
「シリルは殿下の側にいるのだもの。機会はいくらでもあると思うわ」
「えぇ、今後もお側におります。そしてあなたも」
「そうあればいいと思うわ」
「そうでなければいけません。殿下の隣にはラシェル嬢がいなくては。
……私はあなたに感謝しているのです」
「私に?」
感謝?
何の事だろうか。
シリルは私が不思議そうな顔をしたのに気付いたのか、視線を和らげた。
「はい。殿下は知っての通り、優秀ですが人として欠落している部分がある。為政者としては良いでしょう。だけど、乳兄弟としてはもどかしい思いがありました。
ですが、最近の殿下は……どこか冷めた諦めた表情をしなくなりました。
楽しそうで、生き生きとして……」
シリルの顔は、普段殿下の隣でむっつりと立っている時とは違い、僅かに優しい顔をしており、いかにシリルにとって殿下という存在が大きいかを物語っている。
つい微笑ましい気持ちでシリルの顔を眺めていると、その視線に気がついたのかシリルが途端に恥ずかしそうに目を逸らす。
「まぁ、無理難題を吹っかけてくることも増えましたが」
「それは、ごめんなさい」
「私は引き続き殿下を支えていきます。
だから、ラシェル嬢。どうか殿下のことをよろしくお願いします」
「……殿下はとても素晴らしい友人をお持ちね。
えぇ、シリル。もちろんよ。殿下を支える同志として、今後ともよろしくお願いします」
「はい」
シリルとじっくりと話す事は今まで無かった。
だからこそ、ゆったりと流れる曲の間だけとはいえ、シリルとお互いの想いを伝えあうことができた事は良かったと思う。
曲が終わると、シリルは私の手を取り、殿下の元へと連れ立って歩いていく。
殿下はシリルから離した私の手をとると、不満げな表情でシリルに視線を向けた。
「何を話していたんだ? 随分楽しそうだったが」
「それは……ラシェル嬢と私の秘密ですね。同志ですからね。そうでしょう? ラシェル嬢」
「え? ……そう、ね」
「さぁ、殿下。どうぞ存分に悩んでください。私からの卒業祝いということで」
「そんなものは要らない!」
わざと怒ったような殿下の態度に、私は思わず肩を揺らして笑いが堪えられなくなる。
そんな私の姿に、殿下はこちらを見ると優しい瞳を向けてくれた。
そんな穏やかな時間が私の周囲を包み込み、笑みの絶えない時間が過ぎていった。
そして、この卒業パーティーから一週間後。
私はまたミリシエ領へと向かったのだった。
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もしかして、シリルは久々の登場?
名前は時々出てくるのですが、本人は久々な気がします。





