95 サミュエル視点
俺、サミュエル・エモニエは物心がついた時から、ずっと違和感があった。
エモニエ男爵家の五男であり末っ子として生まれたが、幼い時から『妹がいない』と言っては両親を困らせたそうだ。
料理も食べる事よりも作る方に興味があり、兄弟たちが山で駆け回っている頃、俺だけは厨房に入り浸っていた。
そして何よりも、自分には誰よりも大切に思っていた人がいた筈なのに、それが誰なのか。そもそもそんな人がいたのかさえもハッキリとしない。
ずっとモヤがかかっているような不思議な感覚があった。
だが、その違和感が明確にどこから来るのかが理解できたのは、十歳の時に釣りの最中に川に落ちて頭を岩にぶつけた時であった。
急激に様々な記憶が頭の中を駆け巡り、この世界ではない世界において、自分ではない自分がいたことを思い出したのだ。
そう、前世というものだ。
前世の自分は、妹がいたからあんなにも妹が欲しかったのか。
以前の自分は料理人だったから、厨房が好きだったのか。
そして、誰かをずっと探していた気がしていたのは、あの子のことだったんだ。
俺の前世を思い出すとき、必ずその後ろには俺よりも小さくて可愛い女の子がいるんだ。
その子はいつだって俺に懐いてくれていて、俺を見つけては嬉しそうに笑ってくれて、俺が料理を作ればいつだって美味しいと喜んでくれた。
料理人を目指したのも、その子の『美味しい! 誠くんは天才だね!』なんて幸せそうに笑う姿が何よりも好きだったことがきっかけだったのだと思う。
俺にとって大事な大事な……特別な子。
それでも、臆病な俺は彼女からの好意を見ないように目を背けていた。
俺の方が年上だったし、特別優れた学力や容姿だって無い。料理が好きだということ以外に得意なことだってないし、本当に平凡な人間だと自分でも思っていたぐらいだ。
逆に、幼馴染の杏は年々可愛らしく成長していって、いつだって彼女の周りは明るい陽が差すように眩しく見えた。
だから、きっと高校や大学に行く頃には杏は気づくと思った。
俺に向けていた感情は、親しみであって恋ではなかったのだと。
幼稚園児が先生に淡い初恋を抱くようなものであって、杏にとっての初恋はきっとこれからなんだ、と。
そう自分に言いきかせていた。
それでも自分はいいと思っていたんだ。
杏にとって特別な相手が出来て、そいつも杏を大切にしてくれる奴だったら。
きっと俺は心から祝福しただろう。
彼女が俺の料理を食べた時のように、キラキラと大きな瞳を輝かせて幸せそうに笑っていてくれたなら。
それでも、あの日。
杏がトラックに轢かれそうになったあの時。
何も考える余裕が無く、無我夢中で走った。
杏の腕を引っ張って、庇うように抱き抱えた。この子だけでも何とか助けなければと必死だった。
だが、覚えている記憶はそこまでで、それ以降の事を一切覚えていないことを考えると、きっと即死だったのだろう。
杏は助かったのだろうか。
今でもそれだけが気がかりではあるが、自分の行動を後悔することは無い。
きっと俺はあの瞬間に何度戻ったとしても、同じことをするだろうから。
願う事はただ一つ、杏が助かっていていることだけ。
それでも、今の俺にはそれさえ知る術は持ってはいないのだけど。
ただ杏が日本という、こことは違う世界で幸せでいてくれたら良いと、そう思わずにはいられない。
自分は自分で、混乱も相当したけれど何とか前世を受け止めることが出来たし、料理人という道にまた進むことが出来た。
しかも、どうやら現世は前世とは異なった世界ではあったが、日本の食材も手に入らないこともないということも分かった。
だから、俺としてはこんな人生もまたいいのかな、と感じてはいた。
杏と再会するまでは。
「誠くんはサミュエルって名前なんだね! しかも見た目も髪の毛と目の色が茶色になったぐらいで、あんまり変わってなくて嬉しいな」
「あぁ。杏は名前がアンナであんまり変わらないな。それに、相変わらず可愛いな」
「なっ! ……誠くん……そういうとこ全然変わってない」
俺の胸で沢山泣いていた杏は、今はニコニコと嬉しそうに俺の隣に座って、親から離れない雛のように俺から離れようとしない。それにさっきまで泣いていて、次は笑っていたと思いきや、今度は急に顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうに唇を尖らせている。
でも、こんな風に表情がくるくる変わるところが杏らしくて、本当に可愛らしくて仕方が無い。
つい昔に戻ったように自然と頭を撫でてしまうと、杏はまたビックリしたように体を揺らせた後、杏の頭に乗せていた俺の手を取りまじまじと見ると「……誠くんの手だ」と嬉しそうに目を細めた。
「俺の手?」
「うん。大きくて、皮が固くなってて……誰よりも優しさに溢れた手」
「火や水ばっかり使っているから、あんまり人に見せられるような綺麗な手じゃないな」
「そんなことない! この手からあんなにも人を笑顔に出来る料理が作れるんだよ!」
その言った杏の言葉に昔、同じことを俺に向かって言った子のことを思い出す。
『誠くんの手は魔法みたいだね。この手から、あんなに美味しいものを作れるなんて本当に凄いよ』
俺に訴えるように真剣な瞳をした杏。
見た目は黄色い瞳にピンクの髪の毛と、日本人の頃とは全然違うものであるが、目の前にいるのはやっぱり杏なのだと、そう理解することが出来る。
それに対して自然と、今まで空いていた隙間が埋められるように心が満たされて、歓喜が湧いてくる。
それからも俺たちは互いの時間を埋めるかのように、今世での生まれ育った環境だったり、前世のことだったりを話していた。
というのも、状況を察してくれたラシェルお嬢様が二人でよく話し合ってほしいと時間と場所を与えてくれたのだ。
「……それにしても、聖女、か」
「うん。私もあのゲームのヒロインに生まれ変わるなんてビックリした」
杏の言葉に違和感を覚える。
ゲーム? ゲームとは何のことを言っているのだろうか。
ポカンとした表情を浮かべた俺に、杏も驚いたように目を見開いた後、今度は噴き出すように笑い始めた。
「うそ! 誠くん気がついてないの? ここ、最後に誠くんに見せたゲームの世界と一緒なんだよ! ほら、王太子殿下がメインヒーローで……」
「殿下がメインヒーロー? あぁ! メグのやっていた乙女ゲームってやつか」
そういえば、そんな記憶もあった気がする。
とはいえ、俺にとっては随分昔のことだからそんなには鮮明に思い出す事は出来ない。
それに日本とは違う世界だとは思っていたが、まさかゲームの世界だなんて考えもつかなかった。
だが、それを聞いて納得する部分もある。
魔法に精霊に……言われてみて初めて気が付いたが、いかにもゲームや漫画の世界だ。
生まれ育った時から当たり前だったから、前世の記憶が戻ってからもその辺は違和感を覚えることは無かったな。
何といっても、俺は前世の記憶はあっても自分はサミュエル・エモニエであるという意識の方が強い。
対する杏は、さっき話を聞いた限りではここに来るまで相当の苦悩があったのだろう。
今はアンナ・キャロルとしての記憶も前世の杏の記憶も、俺のように上手く融合しているようだが、それまでは杏の記憶しか残っていなかったそうだから。
しかも、その後は杏の記憶を徐々に失っていた……。
杏はどれほど助けを求めていたのだろうか。
そう思うと、呑気に料理の事しか考えていなかった自分に対して苛立ちしか湧いてこない。
でも、それよりも……まずは。
「杏、よく頑張ったな」
まずは、彼女の頑張りを。
一人で戦っていたであろう杏を。
彼女の想い全てを全身で受け止めたい。それだけしかなかった。
昔、いつも彼女が泣きそうな時にやっていたように杏の頭を撫でながら、そう言葉にすると杏は大きな目に涙を溜めながら、泣くのを我慢するように唇を噛み締めて何度も何度も首を縦に振った。
「俺しか見てないから我慢するな。……一人にしてごめんな。助けてやれなくて悪かった。
……それでも、俺はもう一度お前に会えて嬉しいよ」
杏の頭を抱えるように腕で抱き、自分の肩に杏の頭を乗せる。すると、杏は堰を切ったようにまた大声で泣き始めた。
俺は杏が泣き止むまでずっと、力一杯に杏を抱きしめていた。
今度はもう杏を一人にさせない。
絶対に守り抜く、と決意しながら。
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
前話に対し、沢山の感想をありがとうございます。とても励みになりました!
需要があるかは微妙ですが、作者も書くとは思っていなかったサミュエル視点を書きたくなってしまいまして、つい挟んでみました。
正直、アンナの結果には賛否があるかと思ってドキドキしていたので、良かったと言って頂きとても安心しました。
聖女と料理人なので、まだ越える壁は高そうですが……その辺は頑張って欲しいものです。
次はラシェル視点に戻ります。





