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目が覚めてから五日が経ったが、依然私は屋敷からの外出を禁じられていた。

両親としてはまたも意識を失って目覚めなかったことが、一年半前の時を思い出させるようで慎重になっているようだ。

さぞ退屈であろうと周囲には思われているだろうが、私本人としてはそんなことはない。

というのも、この穏やかな時間は記憶を自分の中で整理するのに役立ったからだ。



あの森で見た光景は何だったのか。

そして最後に聞こえた声は誰だったのか。



あの声は、私に《思い出せ》と言った。

何を思い出す必要があるのかまでは、今はまだ思い出すことが出来ない。

それでもあの声には聞き覚えがあるし、思い出してみても恐怖を感じない事から、悪い相手ではないのかもしれない。



記憶を整理していく中で、辿り着いた結論として、私はやはりもう一度あの森に行かなければいけないのだろう、と考えた。

きっとあの森で起こったこと、そして最後の声の主がこの時間を遡り魔力を失った鍵を握っているだろうと思うから。もしかしたら、魔力を取り戻すことのきっかけにもなる可能性……そんな希望さえ見出してしまう。



もう一度あの場所に行くことは、今すぐはきっと難しいだろう。

それには両親や殿下に納得してもらわないといけないし、また何かあった時に皆に心配をかけて迷惑をかけてしまう。



――それでも、行かなければいけない。

ようやく少し手がかりを見つけたのだもの。



部屋の窓際に立ち、庭を眺めながら深く思案していると足に擦り寄る柔らかい感触がした。

その感触を追うようにしゃがみ込むと、クリっとした目と視線が合う。


『ニャー』



そしてもう一つ、驚いたことがあった。

殿下が帰った直後に、クロがひょっこりと現れたのだ。自室のクロ用のベッドからモゾモゾと出て歩きだし、いつものように私の寝ていたベッドにピョンと飛び乗って、体を丸めてまた寝始めようとしたのだ。

いきなり現れたクロに驚きと戸惑い、そして喜びと安堵からクロを抱き寄せて『クロ! どこに行っていたの!』と声を掛けた所、眠りたかったのか嫌そうに身をよじって拒否されてしまったが。


それでも、クロが私の元にまた戻ってきてくれたことが本当に嬉しかった。



クロにも、あの森での事を聞いてみたがクロは『ニャーニャー』と可愛く鳴くのみで、私にはクロの訴えを理解することが出来ず、首を傾げるばかりだ。


もしかしたら……テオドール様を頼れば、クロの言っている言葉を理解してくれる可能性が高い。彼は曖昧に濁してはいるが、精霊の言葉を理解することが出来るのだと思うから。



でも、テオドール様にいざ会うことにも躊躇してしまう自分もいる。

それだけ、あの時のテオドール様の様子はいつも知っているテオドール様と違っていた。



――テオドール様と私は、過去に何かを約束したのですか?



その質問をするべきなのかどうかが分からない。

私が覚えていない過去で、テオドール様だけが覚えていることがあるのだろうか。

殿下の婚約者になってから、紹介されたテオドール様だが、もしかしたらその前に出会っていた可能性もある?



どうするべきであろうか、と考えているとコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえた為、それに対して部屋の中から「はい」と返事をする。


「お客様がお見えです」

「えぇ、ありがとう」



扉の奥から、侍女の声が聞こえてきたため返事をする。

そうか、約束の時間が来ていたのか。この頃、考えることが多くって時間があっという間に過ぎていく気がする。


さて、行きましょう。

そう思い一度沈み込んだ気持ちを新しくするために深呼吸をしてから、部屋を出る前にもう一度クロを一撫でした後、お客様を迎えるべく扉の方へと向かった。




「ラシェルさん、お久しぶりです! 倒れられたと聞いて、とても心配しました。

もうお身体は大丈夫なのですか?」

「えぇ、もう大丈夫よ。アンナさんも忙しいのにわざわざ見舞いに来てくれてありがとう」



応接間へと向かうと、その部屋にいたのはアンナさんだった。今日は私の見舞いということで、我が家へと訪問してくれたのだ。

アンナさんだけでなく、アボットさんやエルネストも皆私の体調に対して心を砕いてくれた。そんな手紙を貰うだけで、相手からの優しさが届けられたかのように私を励ましてくれた。



「いえ、でもお会い出来て嬉しいです。顔色も良さそうで安心しました」

「アンナさんは? 聞く所によると、王都の聖教会を回っているとか」

「はい、そうなのです。まだまだ何も出来ませんが、教会を回ってお祈りを捧げております。今後は王都だけでなく、各地の教会を訪ねていきたいとも考えているのですが……まだ学ぶことが多いので、先になるかとは思います」

「とても素敵な事ね。アンナさんはとても頑張っているのね」



私の言葉にアンナさんは、恥ずかしそうに少し頬を赤らめた後、嬉しそうに目を細めて笑った。「まだまだですが……出来ることを頑張りたいです」とはにかむアンナさんに以前の面影は欠片も見えない。

それどころか、憑き物がすっかりと落ちたかのように、穏やかな雰囲気を滲ませるアンナさんは、どちらかというと前回の生において出会った、かつての聖女アンナ・キャロルの雰囲気を思わせる。



「失礼します。お茶菓子をお持ちしました」


その声と共に現れたのはサミュエルで、彼はトレーに載った菓子を私とアンナさんの目の前にそれぞれ置く。



「これは?」

「前にアンナさんが手紙で仰っていたでしょう? 我が家の一風変わったお菓子を食べてみたいと」

「そう……ですね。これが、その……不思議な料理なのですね」

「そうよ。これはね、マンジューと言うのよね? サミュエル」



アンナさんとの手紙のやり取りの中で、どうやらアンナさんは甘いお菓子がとても好きだと教えてくれていた。そのため、サミュエルが他の国のお菓子を作ることが出来るため、ぜひ今度食べてみてほしいと返事をしていたのだ。

普段であれば客の前に出すのは侍女であるが、今回は料理の説明もしてほしいとサミュエルに頼んでいた。



アンナさんは目の前の《マンジュー》を不思議そうにまじまじと見ており、興味津々という様子だ。私も実際に食べたことは無いので、マンジューというものがどんな味なのかとても楽しみだ。



「はい。聖女様のお口に合うと良いのですが……。小麦粉で出来た皮と中に入っている餡子を蒸した東の国の菓子になります。餡子というのは、以前マルセル領で見つけたあの《小豆》という豆を煮て砂糖を混ぜたものです。

ですが人によっては、食べ慣れなくて苦手と感じることもあるかと思いましたので、クリームが入ったものも準備しております。

フォークなどは使用せず、クッキー同様に手に持って召し上がってください」

「サミュエル、ありがとう」



サミュエルにお礼を伝えると、サミュエルは目を細めて嬉しそうに笑った。そして「何かあればお呼びください」と私に声を掛けてから部屋を辞していった。



「アンコと言っていましたね。ラシェルさんは食べたことがあるのですか?」

「えぇ。マンジューは初めてだけど、アンコは食べたことがあるわ。

最初は独特な味に慣れなくて少し苦手にも思ったのだけど、少しずつ美味しく感じてきたの。

私はどちらかと言うと豆が少し残った……確か粒あんと言ったかしら? それが美味しいと思ったかしら」

「粒あん……ですか」



アンナさんは不思議そうに首を傾げると、「では、クリームの方を頂いてみますね」と一つを手に取った。



そういえば……。

確かアンナさんの前世は菓子屋であった為、甘いものが好きだったと言っていたはず。

だから、どの国のお菓子でも今でもどんな材料を使っているかが気になると手紙にも書いてあった。



「アンナさんは、お菓子の作り方も気になるのでしょう?」

「え? お菓子……ですか?」


私の言葉にキョトンとして瞬きを数回したアンナさんは、眉を少し下げて首を横に振った。



「いえ。甘いものは好きですが、作り方は全然分かりません。厨房に入ることはなかなか無いですからね。ラシェルさんは作り方も気になさるのですか?」



ピシリ、と空気が固まるのを感じる。



アンナさんのその表情からは、何故私がそのような質問をしたのか一切分からない。という雰囲気が感じ取れる。

そう、何の不思議も無い。普通貴族の令嬢は調理場には立つ事が無い為、料理をしようという発想など無いのだ。だから、普通の令嬢同士の場合に今の私の質問はおかしいと思うのが当たり前だ。




「あ……いえ、そうね。小麦粉や豆からこんなに可愛らしいお菓子が出来るのだから不思議だと思って……」

「そうですね! 言われてみれば本当に凄い事ですね」



辛うじて誤魔化すように繋げた会話は、アンナさんには不思議には思われなかったようだ。ニコニコと笑顔を浮かべながら私に同意する様に頷いた。



……多分、アンナさんの中での前世の記憶。

《アンさん》の記憶はほとんど残っていないのかもしれない。



それが良い事なのか悪い事なのかは私には分からない。



それでも、あの日。

私の目の前で、好きな人を想って涙を流した彼女がいなくなってしまったような寂しさがぽっかりと心の中に浮かんでしまう。



「あの、アンナさん」

「はい?」

「あの……変な事を聞くようだけど、マコトさんって方はご存知……かしら」



それでも、彼女の欠片を。

アンさんが願った、たった一つの最後の願い。




彼の事だけを覚えていられたら、それだけでいいと言う言葉。




そう私に告げた寂しそうな顔が私の記憶から離れることが出来ない。

だから、間違っているかもしれない。

そう思いながらも尋ねてしまった。


彼の事を。

アンさんがその想いの全てを捧げた相手を。




だが私の言葉に黄色い瞳がこちらに向き、そして次に告げた言葉に私は愕然とする思いがした。




「マコトさん? ……えっと、どなたでしょうか?」


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