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目を開けると、そこには暗闇が広がっていた。
「どこ? 誰か、誰かいないの?」
周りを見渡しても何も見えず、私の声に応える人は誰もいない。暗闇の中で私の声だけが空しく響き渡るのみであった。
「レオニー様? ロジェ?」
先程まで一緒であった二人の名前を呼んでみるも、耳を澄ませた所で風の音さえひとつも聞こえてはこない。何か触れるものはないかと両手を前に出して周囲を探るが、壁も葉っぱも何も触れるものは無く、ただ真っ暗な空間にひとり取り残された感覚がする。
――ここはどこ? 私は何故ここに?
頭の中で疑問が渦巻き、たった一人きりの空間に恐怖さえ感じ始め、自分の身を守るように自分で自分の体を抱き締める。
その時、目の前の暗闇の中でぽわっと淡く柔らかい光が浮かび上がる。
何だろう、と目を凝らし見ていると徐々にその光は広がっていき、周囲を明るく照らし出す。
すると、私が立ち竦んでいる場所は草の上であることが分かる。
周りを見渡すと、どうやら木々に囲まれた場所に立っていたようだ。
森? でも、何故?
私は確かブスケ領にレオニー様とロジェと共にいた筈だ。そう、カトリーナ様に会って……それで……。
そう、急に頭が割れるように痛みだして……。
駄目だ。その後の記憶が無い。
『ニャー』
深く考え込んでいると、ふと猫の鳴き声が聞こえて顔を上げる。どこから聞こえたのだろうかとキョロキョロと見渡すと、私が立っている場所から少し先の木々が重なっている部分に小さな影を見つけた。
「クロ!」
『ニャー』
影を注意深く見ると、そこには見慣れた黒猫の姿があった。考えるよりもまず体が動き、クロに呼び掛けながら側へと駆け寄る。
ここがどこなのか、何故クロがいるのか。そんな事は私の頭の中から抜け落ちて、ただそこにクロがいた嬉しさだけが私の胸を温かくしてくれた。
「クロ! クロじゃない! 心配したのよ。どこに行っていたの?」
駆け寄ったそのままクロを抱き上げると、クロは私の腕の中でくすぐったそうに身をよじりながら小さく鳴いた。その姿がとても愛らしく、離れていたのは一日だけだったのに、もう何ヶ月も会えなかったような、そんな想いさえ過ぎった。
クロと会えたことで、先程まで感じていた心細さも僅かに軽くなったように思う。それに、クロをここで見つけたということは……。
そう考えて周囲をもう一度よく眺めると、どうやら暗闇の原因は夜だったかららしい。
顔を上に向けると、雲が多いからなのか僅かではあるが木々の隙間から星が輝いているのが見えた。
「綺麗ね……」
クロの温かさ、そして遠くに見える星の煌めきに心が落ち着きを取り戻すのを感じる。
だが、問題はこれからどうすればいいか、という事だ。このままここにいたら、確実に迷子になるだろうし、皆も心配しているだろう。
だとしても、この深い森をどう抜ければいいのか……。そう悩んでいると、腕に抱いていたクロが耳をピクッとさせキョロキョロと顔を動かしている。
「クロ、どうかしたの?」
不思議に思い、クロの顔を覗き込むと、クロは私の腕からピョンっと飛び降りて地面へと綺麗に着地する。そして、そのままトコトコと森の奥へと歩いていく。
それに焦った私は、思わずクロに駆け寄り「クロ!」と名前を呼ぶ。すると、クロはその声に応えるように振り向くと、私の方へと戻ってきて何回か私の足元をグルグルと回りながら『ニャア』と何かを訴えるように鳴き、また森の奥を進もうと歩き始めた。
「……着いてこいってこと? ……かしら?」
『ニャー』
まるでクロは私の答えに《そうだ》と言うように鳴くと、またトコトコと私が着いてこられる速度で道を進み始めた。
訳が分からないままではあるが、確かにこのままここにいてもどうにもならない。そう思い直して、クロの後ろを着いていく。すると、クロは迷う素振りも無く真っ直ぐに進み始め、時々私がちゃんと着いてこられているか確認するかのように後ろを振り返る事もあった。だが、ちゃんと着いてきているのを確認するとまた前を見て歩き始めた。
「あら? ……あれは、灯り? ……松明?」
どれぐらい歩いたのだろう。普段あまり運動していないことが祟ってか、私の息が上がり始めたその時、クロは足を止めた。それに気づいて、クロの近くに立ち息を整えていると、遠くに赤い炎のような灯りを見つける。
クロはこれ以上進むつもりはないのか、ジッと前だけを見つめている。その姿を見てクロを抱きかかえると、私もまたクロの視線の先へと目を凝らす。
――え? ……嘘。
何の灯りなのだろう。誰かいるのかしら、と期待を込めて視線を前へと向けると、まさかの光景が私の視界に映り、一気に血の気が失せるのを感じる。
足の先から徐々に体が冷え始め、ガタガタと全身が震えるのを感じる。
嘘、でしょ。
だって……。
そんな筈は無い……。
確かに私の目にはある光景が映っている。
それでも、それを信じることが出来ず、何故、何故とそればかりが頭に浮かぶ。
なぜなら。
私の視界に映ったそれは。
私の視線の先に居たのは、まさに私自身であった。
そう、そこにあったのは絶望と恐怖に震えながら地面に座り込み、今まさに剣で後ろから刺されようとしている私の過去の姿。
それが眼前に広がっていたのだ。
「嫌……嫌……何で……」
ガタガタと震えながらこの光景を受け入れたくない自分が、何かを口にしている。それは意識したものでは無く、自然と口から出た言葉。
足は棒のように固まり、鉛で重しを付けられているように重い。
それでも、どうにかしたくて。
サラや御者を。
今まさに殺されようとしている自分を。
どうにか助けたくて、前へと踏み出そうとする。
だが、目の前に透明のガラスのような固い壁に遮られているようで、進むことが出来ない。
ならばと、「誰か…誰か!」と震える声を上げる。
その声も壁の向こうには聞こえないようで、私の足掻きなど空しく下品な笑みを浮かべた賊が剣を私の胸部目掛けて振りかぶる。
「……っ!!」
恐怖に目をギュッと瞑る。
怖い、嫌だ。
死にたくない。
怖い、怖い。
誰か、助けて。
あの時の自分の感情が乗り移るかのように、自分の全身を渦巻いていく。
震えは止むどころか、増していくばかり。
氷のように冷え切った手でクロを何とか落とさないように抱き締めたまま、ガタガタと体が震える。
恐る恐るきつく閉じていた目をゆっくり開ける。
そこには、横たわり動くことのない私の姿。
そして、それを賊たちがニヤニヤと笑って覗き込んでいる光景があった。
死んだ?
……あれは、私の姿。
私の過去の姿……。
私が殺された瞬間、ということ?
何故、何故。何故これを見なければいけないの。
こんなの見たくない。
ふっと膝から力が抜けるように、その場にしゃがみ込む。
もう目の前の光景など見たくない。
そう思いギュッと固く目を瞑る。だが、腕の中のクロが『ニャア』と私を呼ぶように鳴く声にゆっくりと目を開く。
すると、先程胸を刺されて倒れ込んだ私の周囲から眩しい光が広がり、それは私を包むかのようにキラキラと光り輝いている。
「何……これ……」
その光はとても神々しく、優しく光っている。この光景に驚いているのは私だけではないようで、視線の先で賊たちも驚いたように叫び声をあげている。その後恐怖におののいたようにズリズリと後ずさっている。
そして、その光がまた私の体の中へと入り込み、周囲がシンと静まり返った後、何も無かった空間から現れた人物に、私は極限まで目を見開く事になる。
そう、それは私のよく知る人物であったからだ。
「……テオ……ドール……さま……?」
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